2011/01/23

ポケベルのブームとソーシャルという功績




2011年の今から15年ほど前の1996年当時、女子高生を中心に大ブームを巻き起こしていたものがありました。

ポケベルことポケットベル(無線呼び出し)です。

今回のエントリーでは、ポケベルについてのブームの現象や功績について取り上げてみます。

■ 当初のユーザーは営業マン

ポケベルでできることはいたってシンプルです。ポケベル自体が固有の電話番号を持っており、今でいう携帯電話のメールの機能のうち、メッセージ受信・表示のみでした。

その歴史は意外に古く、1968年からサービスが始まっています。

サービス開始当時のユーザーは官公庁や医療関係者で、緊急時の連絡用だったようです。その後ユーザーは外出の多い一般企業の営業担当者に拡がり、使われ方はポケベルに呼び出しが入ると、出先の公衆電話から事務所へ電話を入れるというものです。

当時は携帯電話の元となった自動車電話は高額で普及しておらず、外出している営業マンとの連絡手段として活用されていました。

■ 若者で流行ったベル文字

ところが、思わぬユーザーが現れます。

それが冒頭でも挙げた女子高生などを中心とした若者です。

ポケベルについてまとめられたNTTドコモレポートにはこう書かれています。「語呂合わせで意味をつけた数字を文字制限いっぱいに工夫してメッセージを送るという一種の『言葉遊び』が大流行し、新しいコミュニケーション文化が始まりました」。

数字の語呂合わせは、例えば以下のようなものです。

0840 (おはよう)
0833 (おやすみ)
3476 (さよなら)
724106(7 (何してるかな)
14106 (愛してる)

() 内の読み方と見比べると今でも読めなくもないでしょう。

ただ、当時は次第に語呂合わせは、多様な表現を生み出したようです。Yahoo!知恵袋には「当時のベル文字が読めないのでわかりますか?」という質問トピックに次のような数字が並んでいました。

084- 101052160[7 ]03106 864107
0[86- 1051210100[7
210 1442 14-7

一見すると数字がランダムに並んでいるだけのように見えます。このような数字の語呂合わせでもわかる人には読めるようです。読み方はこちらです。

084- 101052160[7 ]03106 864107
おはよー いまどこにいるのかな? これみたらベルしてね

0[86- 1051210100[7
おかえりー どこに行ってたのかな

210 1442 14-7
ずっと いっしょに いよーね

どうやら「10」と表記しても読み方がいろいろあるようです。

1と0 で「いま」、10 で「と」または「ど」、英語(Ten:て)として読んだりと、多様な表音を持っていたことがうかがえます。後に、ポケベル画面の表示は数字以外にもひらがなや漢字も可能になっています。

■ 若者がポケベルメインユーザーに

以下は、1996年当時のドコモのポケベル新規契約者の年代別のグラフです(図2)。

ドコモのポケベル新規契約者の性別・年代別構成比 (1996年)
(出所:NTTドコモレポート

1996年の新規契約者数が書かれておらず母数は不明ですが、それを考慮しても10代女性だけで64%、20代も含めると女性の85%、男性10~20代でも80%近い割合は、当時のポケベルがそれだけ若者の支持を集めていたのかがわかります。

ちなみに、1996年当時のトータルのドコモ契約数の内訳は以下の通り(図3)です。

男性は法人利用もあり、わりとどの年代でも使用されていますが、女性では圧倒的に若者中心です(約80%が10~20代)。

ドコモのボケベル契約者の性別・年代別構成比 (1996年)
(出所:NTTドコモレポート

当初は完全にビジネスユースが想定されていました。しかし、いつの間にかポケベルが高校生や大学生などの若者がメインユーザーになったのは興味深い現象です。

ポケベルを発売していた2つのキャリアであるドコモやテレメッセージ、あるいは製造メーカーにとっては、当初は全く意図していなかったユーザーだったのではないでしょうか。

ターゲットユーザーを拡大させるための若者向けのマーケティングなども行われずに、若者に浸透していったのではと思います(その後、ドコモは広末涼子や加藤あいなどをイメージキャラクターに起用している)。

■ ポケベルを4Pで考えてみる

マーケティングの4P(Price・Promotion・Place・Product)のフレームワークで見てみます。

Price(価格)は、おおよそ月額3,000円程度で契約ができたようです。これくらいなら高校生であっても気軽に持てる設定です。

ただし、ポケベルへのメッセージ送信のためには屋外からは公衆電話を使うことになったので、その費用が別途必要です。

次にPromotion(販促・プロモーション)。ドコモではイメージキャラクターとして広末涼子を起用していたこともあります(図4)。ここからも、ポケベルのターゲットユーザーとして、高校生などの若者を設定していたことがうかがえます。



Place(販売場所)についてです。

現在の携帯ショップのように、ポケベルショップがあったようです。

どれくらいの規模でショップが存在していたかはわかりませんが、それなりに身近な場所にも出店していたとすれば、消費者も訪れやすい環境だったのでしょう。

最後にProductはどうだったのでしょうか。

実物がないので、あくまで少し調べた印象ですが、だいたい現在の折りたたみ携帯くらいの大きさです。カバンやポケットにも十分入るサイズです。

つまり、モバイル性に優れていたのだと思います。

機能面ではなんと言っても、友達や彼氏・彼女あるいは面識がなくポケベルだけでつながっている「ベル友」とコミュニケーションができる点が、当時の若者に受けた点ではないでしょうか。

■ なぜポケベルは若者で流行ったのか

今でこそ、携帯電話は当たり前のように持っていますが、ポケベル全盛の1996年当時は、携帯電話は一般には普及していませんでした。

ポケベルを持つ以前の友達との連絡手段は、家の固定電話に電話するか手紙を出すかくらいしかない時代です。

そこへ、ポケベルが全く新しいコミュニケーションを生み出します。前述のように、ひらがな等が画面に表示される前は数字だけの受信でしたが、それだけでもとても新鮮なコミュニケーションだったのです。

一言で表現すれば、いつでもどこでもメッセージが受信できることです(受信できるエリアに制限があったようですが)。

今では当たり前のコミュニケーションのモバイル性を、初めて享受できるものがポケベルでした。

ふとした時に自分のポケベルが鳴り、そこには友達からのメッセージが表示される。寝ようと思った頃に彼女からくる「0833」。彼氏に送ったメッセージへの返信。

携帯電話がなかった時代には単にそれだけの他愛のないことでも、今までにはない「つながり」を体感させてくれ、かつ持ち歩けたことが、ポケベルの最大の功績です。

■ ポケベルブームの終焉

そんなポケベルですが、ブームの終わりはあっけなく訪れます。下図はドコモのポケベル契約者数の時系列推移を表したグラフです(図5)。


 ドコモのポケットベルの契約数の推移
(出所:NTTドコモレポート

赤い線がポケベルで、1996年までは順調に契約数を増やしています。1996年6月のピーク後は、ユーザーが激減しているのがわかります。

その一方で、緑色の携帯電話が一気に普及し始めています。携帯ほどではないものの、PHSもポケベルの減少と同じタイミングで増加しています。

携帯電話でメッセージを交換できるようになり、ポケベルは取って代わられたのです。その後の携帯電話普及状況はもはや語るまでもないでしょう(図6)。


携帯電話の世帯普及率
(出所:社会実情データ図録

ポケベルの不便さは、メッセージが受信できても送信ができない点にありました。

当時、ポケベルにメッセージを送るために公衆電話を使うのが一般的で、高校では休み時間には公衆電話に行列ができたそうです。

しかし、携帯電話は、メールを受けることも送ることもできます。ポケベルの比較優位性が失われたことで、その結果は上記の通りです。

今では携帯でのメール以外にも、FacebookやツイッターなどのSNSもスマホから使え、コミュニケーションの手段は多様化しました。

「つながり」を持ち歩けることが当たり前になった状況です。今から振り返れば、ポケベルがそれを初めて、普通の若者にもたらした功績は大きかったのではないかと思います。


※参考情報

「ベル友」ブームを巻き起こした「ポケットベル®(現クイックキャスト®)」の歴史|NTTドコモレポート http://www.nttdocomo.co.jp/binary/pdf/info/news_release/report/070313.pdf

無線呼び出し|Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E7%B7%9A%E5%91%BC%E3%81%B3%E5%87%BA%E3%81%97

Yahoo!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1319386393

携帯電話世帯普及率|社会実情データ図録
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/6350.html


2011/01/21

これからの「シェアと評判」の話をしよう

わたしだけの「所有」からあなたとの「共有」へ。書籍「シェア <共有>からビジネスを生みだす新戦略」では、消費システムが変わる歴史的なターニングポイントに私たちはいると書かれています。今回は、「シェア」という本を読んで考えたことを中心に書いています。

■3つのコラボ消費

本書では、共有(シェア)される消費システムを「コラボ消費」という、コラボレーション+コンサンプションから作られた言葉で表現しています。そして、コラボ消費には大きく3つのカテゴリーがあるとします。すなわち、1.プロダクト=サービス・システム(PSS)、2.再分配市場、3.コラボ的ライフスタイル(表1)。

出所:「シェア <共有>からビジネスを生みだす新戦略」

■我慢から便利へ

さて、上記の例を見ると、コラボ消費は特筆すべき概念ではないように思えるかもしれません。確かに、私たちには、日本語特有の「もったいない」という言葉であったり、近所へのおすそ分け、兄弟間でのお下がりなどがあり、昔から普通に見られるものでした。あるいはDVDレンタルや書籍・ゲームなどの中古、またはフリマなど、不特定多数の人との間でも行われています。

このように、すでに私たちの身の回りに存在しているコラボ消費ですが、個人的に思うことに、レンタルや中古品の利用は従来はどちらかというと消費の主流ではなかったという点があります。つまり、中古ではなく新品を買うこと、あるいはレンタルではなく自分の物として所有することがこれまでの主流で、中古品を積極的に利用することはどこか「かっこよくない」というイメージを与えていたのではないでしょうか。レンタルや中古品を「我慢」して利用してきたように感じます。

しかし、本書を読んであらためて思ったのは、こうした潮流に変化が起こってきたのではないかということです。個人的に感じるのが中古品であっても、場合によっては満足度の高い購買ができていることです。私はよくアマゾンで本を買うのですが、少し古い本などを探していると、新品は取り扱っておらず中古品でしか買えないことがよくあります。そして実際に中古の本を買いますが、ほとんどの場合、自分の欲しい本が手に入り読むことができるという満足感が得られます。レンタルの場合も同様で、ずっと所有しているよりも必要な時だけ利用するほうがむしろ便利なのではないかと思います。

■間違った場所から正しい場所へ

本書で印象的だったのは、「世の中にいらないものはなく、使えるものが、ただ間違った場所にあるだけ」という表現です。これは、ある物に対して自分には必要がないけれど、他の誰かにとっては欲しいものだということを言っています。別の表現をすれば、ある物に対して供給と需要がうまくマッチングしていない状況を指しています。

ここにネット、特に人と人のつながりが無数につくられるソーシャルネットワークが介することで、需要と供給のマッチングがこれまで以上に起こってくるのではないかと思います。上記の表現で言い直せば、使えるものが正しい場所に移るということ。個人的に、インターネットの本質は「ネットワーク上の双方向性」と「個の情報発信」だと捉えていますが、このような特徴を持つネットが、人々の物に対する「いらない」と「欲しい」を結びつけます。その結果、こんなふうに考えるかもしれません。「所有するより必要な時だけ利用しその分だけお金を払えばいいのではないか」と。「所有」よりも「共有」にメリットを感じるようになるのです。

いくつかのシェアビジネスを挙げておきます。まずアメリカ。世界最大のカーシェアリングサービス「Zipcar(ジップカー)」。近所の人と貸し借りをサービス化した「Neighborgoods(ネイバーグッズ)」。お下がりを共有するサービス「ThredUP(スレッドアップ)」。そして日本。使っていない時だけ自分の車を貸し出すカーシェアリングの「CaFoRe(カフォレ)」。ツイッターを通じてモノをあげたりもらったりすることができるサービスの「Livlis(リブリス)」などです。

■「お金」からこれからの「評判」を考える

それでは、共有という考え方がもっと一般的になり、人々がよりシェアをするようになるとどうなるのでしょうか。「シェア」という本には、あるおもしろい示唆が書かれていました。それが「評判の口座」というものです。

何かをシェアするためには自分一人ではできなく、シェアをする相手が必要になります。そしてシェアは相手とのお互いの信用のもとで成り立っています。ということは、他人からの信用や評価、評判がある人ほど、ますますシェアすることができるようになると本書では指摘しています。こうして出来上がっていくのが「評判の口座」で、信用の上に成り立っているシェアに参加できるかどうかを判断するカギになるとも書かれています。

ここで思ったのが、お金と似ているなということです。物々交換の時代、人々の間で取り引きがしやすいようにとお金という仕組みが生まれました。それまでは個々人の相対的な評価(価値)で物々交換がされていたのが、お金により物やサービスの価値が定量的に判断できるようになったのです。

これと同じことが、信頼や評判でも起こるのかもしれません。それが、「評判の口座」という考え方だと思いました。相手のことが信頼できるかどうか、あるいはどの程度信頼できるかどうかは、実は人それぞれで判断されているのではないでしょうか。これは、上記の物々交換の時と同じ構図です。もし評判の口座、つまりどれだけ信頼できるかが定量的に判断できるようなものが生まれるなら、もしかしたら、シェアされる世界では評判はお金のような存在になるのかもしれません。

■最後に

去年の後半くらいからよく目にする言葉に、「断捨離」というものがあります。断捨離とは、もともとはヨガの「断業」、「捨行」、「離行」という考え方に由来するようで、その意味は、不要なモノを断ち、そして捨てることで、モノへの執着から離れて身軽で快適な生活を手に入れようというものです。こうしたことからも、無駄なものを所有をしない暮らし方は少しずつ広がってきているように感じます。


シェア <共有>からビジネスを生みだす新戦略
レイチェル・ボッツマン ルー・ロジャース
日本放送出版協会
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「What's Mine Is Yours」紹介ムービー

http://www.youtube.com

※参考情報
Zipcar(ジップカー)
Neighborgoods(ネイバーグッズ)
ThredUP(スレッドアップ)
CaFoRe(カフォレ)
Livlis(リブリス)

2011/01/15

なぜ大垣共立銀行は日経金融機関ランキング3位なのか?

10年1月8日付の日経新聞朝刊に日経金融機関ランキングの結果が公表されていました(表1)。

出所:日本経済新聞(10/1/8朝刊)

この調査は毎年実施されているもので、今回の調査概要を整理すると以下のようになります(表2)。

出所:日本経済新聞(10/1/8朝刊)

上記の満足度ランキングで印象に残ったのは、3位の大垣共立銀行でした。岐阜県大垣市に本店を置く地方銀行がなぜ3位なのか。ちなみに、07年:4位、08年:7位、09年:7位と、ここ数年ではベスト10の常連のようです。(なお、上記調査概要の通り、対象エリアが全国ではないため、地方銀行は首都圏・近畿・中部からしか評価対象とはならないですが、それを考慮しても大垣共立銀行の3位は注目に値します)

■大垣共立銀行の独自サービス

手始めにWikipediaで大垣共立銀行を見てみると、「独自のあるいは全国初となるサービスが多い」という記述がありました。具体的には、エブリデープラザ、コンビニプラザ、移動ATM、ドライブスルーATMなどです(表3)。

出所:Wikipedia

■コンビニモデルの導入

同行のサービスの取り組みについて、詳細記事が日経ビジネス(2011.1.10)に掲載されています。「”非効率経営”の時代」という特集記事で、記事の趣旨は、さらなる経営効率化の追及では成長の達成が困難になるとし、あえて「内向き」「ムダ」「遠回り」の”非効率”に商機のヒントがある、というものです。その非効率の事例として、大垣共立銀行が取り上げられていました。

例えばコンビニモデルを導入している半田支店(愛知県半田市)。店内に設置されている本棚には女性誌、漫画、クルマ雑誌など、100を超える雑誌が置かれているようです。ATMは24時間稼働、そしてトイレの併設。深夜では有人窓口は閉まっていますが、トイレ休憩や立ち読みに利用ができるとのこと。

こうしたコンビニさながらの独自サービスを打ち出している半田支店ですが、その狙いはどこにあるのでしょうか。それは、コンビニで採用されている「消費の連鎖」という考え方を銀行でも応用することになると記事では指摘します。

コンビニの主力商品の1つにお弁当があります。お弁当は店内の奥に売られており、周辺には飲料やデザートが置かれています。弁当を手に取りレジへ向かうためにはお客は店内をめぐることになります。こうして、弁当以外の商品にも手を伸ばしてもらおうといのが「消費の連鎖」。これを半田支店に当てはめるとこうです。店内奥にはATMがあり、雑誌コーナーの横を通ります。クルマ雑誌の横にはカーローンのパンフレットが、生活雑誌には住宅ローンのパンフレットが、という具体です。また、店内には金融商品ランキングが記載されており、その1~3位までの商品パンフレットが並んでいるそうですが、これもコンビニが売れ筋商品を目立つ場所に並べることがヒントになっているようです。他には、詳細は割愛しますが、コンビニモデル以外にも美容院から学んだ行員指名ができるネット予約受付、ファストフードからはドライブスルーATMなどのサービスがあります。

■異業種からの学び

以上のような独自サービスに共通する特徴は、異業種のサービスを銀行に応用している点だと思いました。記事によれば、コンビニ、ホテル、メーカー、テレビ局、通信会社などへ行員を送り込み、多様な業界から業務ノウハウや考え方を吸収していると紹介されています。

異業種ノウハウを取り込むのって、言うが易しだと思います。前述の大垣共立銀行のケースでは、言われてみると効果がありそうなのですが、導入までには試行錯誤も多かったのではないでしょうか。そもそも、異業種ノウハウと銀行サービスを結びつけること自体も簡単ではないと感じます。やはり、普段からどこまでアンテナを張っているか、問題意識を持っているか、先入観や常識にとらわれない視点を持っている、などが大切になってくると思います。これを書いていて思い出しましたが、そういえば、「異業種競争戦略」の著者でもある早稲田大学ビジネススクールの内田和成教授が、異業種競争戦略では3つのスピードが必要だと言っていたことです(日経ビジネス2010.3.29特別編集版)。1.問題に気づくスピード、2.意思決定のスピード、3.実行するスピード。

話を大垣共立銀行の取り組みに戻すと、これらは一見すると非効率なものかもしれません。おそらく、異業種のノウハウがそのまま当てはまるケースは少ないように思います。あるいは、ノウハウを共有したとしてもその効果が短期的(例えば翌月~数カ月程度)には見られないことも考えられます。しかし、大垣共立銀行では上記のような取り組みの成果として、地域住民からも評価されているのでしょう。その結果、日経金融機関ランキングでは上位行の常連です。同行には行ったことがないのですが、機会があればぜひ一度、特に半田支店のような銀行には足を運んでみたいと思っています。


※参考情報

大垣共立銀行
http://www.okb.co.jp/index.html

Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%9E%A3%E5%85%B1%E7%AB%8B%E9%8A%80%E8%A1%8C

日経ビジネス2011.1.10

日経ビジネス2010.3.29特別編集版

2011/01/06

では僕はどう生きるか

考えさせられる本でした。「君たちはどう生きるか」(吉野源三郎 岩波文庫)。人としてどう生きるか、この重いテーマについて真正面から、それでいて難解でもなく、誠実に書かれている本でした。今回のエントリーでは、「君たちはどう生きるか」を読み考えさせられたことを中心に書いてみます。

■ コペル君とおじさん

この本の主人公は「コペル君」といいます。もちろんこれはあだ名で本名は本田潤一といい、15歳の中学二年生です。もう一人、この本で重要な人物がいます。それが「おじさん」。おじさんとはコペル君のお母さんの弟(つまり叔父)です。本書の構成は、コペル君が友達とのやりとりや学校での出来事から気づいたこと・学んだことについて、おじさんがコペル君へ伝えたいことをノートに書き記すというものです。

おじさんの設定は、コペル君の家の近所に住む大学を卒業してまだ間もない法学士。年齢的には20代前半くらいだと思います。ただ、このおじさんがすごいの一言。というのも、おじさんのノートへの記述内容が秀逸で、ほんとに考えさせられることばかりでした。ノートに書かれたコペル君へのメッセージは本質的です。かと言って難しすぎるわけでもなく、物理、化学、経済、歴史、哲学などの様々な教養からも引用しつつ、コペル君にもわかりやすい表現で綴られています。時には諭すように、ある時はコペル君の行動や考えを誉めたたえ、あるいは叱咤する。コペル君の成長を心から願うおじさんの愛情が、言葉の節々から伝わってきます。

本書の主題は「人として立派に生きること」です。これはおじさんだけではなく、コペル君のお母さん、そして亡くなったお父さん全員のコペル君に対する願いでもあります。だから、この本を読んでいると、読者である私たちにも問うてきます。「君たちはどう生きるか」。本書のいいところは、その「答え」は用意されていないということ。でも、立派に生きるための「示唆」はたくさん用意されていました。その中で最も印象的だったものについて、これから書いてみようと思います。

■ 心から感じたことから出発し、その意味を考えること

中学生であるコペル君のクラスメートに浦川君という少年がいます。彼はクラスメートから、油揚げの匂いがするなどとからかわれるようになります。そしてある時、中学生であるコペル君のクラスにちょっとした事件が起こります。次第にエスカレートしていく浦川君へのいじめをめぐって、コペル君の親友の一人である北見君と、いじめの中心であった生徒とでけんかになります。

コペル君からこの「事件」について聞かされたおじさんは、コペル君に伝えたいことをいつものようにノートに書きます。コペル君が北見君の肩を持ち、浦川君の味方をしたことにうれしく思ったこと。その上で、ノートには、おじさんやお母さん、そしてお父さんのコペル君に人として立派に生きてほしいという願いがあらためて記されています。

おじさんは立派に生きることに対して、学校で教えられたことや世間では立派だと思われていることを言われた通りにそのまま行動しても、それは単に「立派そうに見える人」になるだけだと諭しています。あるいは、自分を立派に見せようとする人は、自分の振舞いが他人にどう映るかを気にするようになり、結局は本当の自分やありのままの姿がどんなものかをつい忘れてしまうと言います。だからこそおじさんはこう願います、本当に「立派な人」になってほしい。

おじさんは、世の中のことや人間が生きる意味については、コペル君に説明することはできないと言います。なぜか。それは、大人になってゆく中で自分で見つけなければならないから。おじさんは言います。自分が感じたことや心が動かされたことから起点に、誤魔化さずに正直に自分の頭でその意味を考えてほしい、その感動や経験の中からその時だけにとどまらない意味があることをわかってほしい、と。

ここで思ったのは、経験の中からその時だけにとどまらない意味を見出す、すなわち事象から普遍的なことを捉えるというのは、自分が得た経験から「本質」をつかむことだということです。それも、人から教えられるのではなく、自らの体験から自分の頭で考えて得るもの。このようにして得られる本質こそが、「人間として立派に生きること」。これがとても大事なのだと、おじさんはコペル君に伝えようとしたのではないか、そんなふうにも思うのです。

■ 僕はどう生きるか

立派に生きるとはどういうことだろうと考えた時に、個人的に思うのは、立派に生きたかどうかは後からついてくるものなのではないかということです。例えば、今から自分は立派な人間になろうと思ってもすぐにそうなれるわけではありません。立派さって、自分の人生を歩む中で少しずつにじみ出てくるようなものだと思います。そう考えると、人生も同様で、自分のとった行動、あるいは自分の姿勢だったりのいろんなことの一日一日の積み重ねから、結果として築きあげられるものではないでしょうか。当たり前のように聞こえるかもしれませんが、25歳の人にとっては25年という時間における自分の姿勢や考え・行動の蓄積が人生です。

正直に言うと、自分にとって「立派さ」というのが、そもそもどう定義されるのかはまだ明確になっていないとも感じます。もちろん歴史上の人物も含めて世の中には立派と言われる人物はたくさんいます。でもだからと言って、その人と同じことを実践し同様の考え方を持ったとしても、それはあくまで「立派そうに見える人」でしかない。ではどうするかと言うと、自分が感じたことや心が動かされたことから出発し、その意味を自分の頭で考え、その時だけにとどまらない何かをつかんでいくこと、それを1つ1つ積み重ねていくことではないかと思っています。これが、「君たちはどう生きるか」という本から学んだことです。

本書は以前にも読んだことがあったのですが、お正月のゆっくりした時間で読んだことで、また違った気づきが得られたように思います。ちなみにこの本が書かれたのは1937年です。当時の日本は軍国主義が日ごとに増しており、アジア諸国への進行を続けていた、現代とは全く異なる時代の作品ですが、主題は普遍的です。おそらく、この先も何度か読み返すことになるような作品です。

そして読む度に、いつも考えさせられるのだと思います。
「君たちはどう生きるか」。


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