努力は大事。誰もがそう思う、共通の認識だと思います。
では、どういう努力がよいのでしょうか。努力の中身や仕方の捉え方は、人によって考え方が違います。あらためてそう思ったのは、イチローがインタビュー記事で以下のように語っていたからです。
参考: イチロー、40歳にして惑わず ヤンキースでの決意|日本経済新聞 (2013年2月13日)
以下は記事からの引用です。
努力をすれば報われると本人が思っているとしたら残念だ。それは自分以外の第三者が思うこと。もっと言うなら本人が努力だと認識しているような努力ではなく、第三者が見ていると努力に見えるが本人にとっては全くそうでない、という状態になくてはならないのではないか。
イチローの目指す努力
イチローの努力の考え方を読んだ時、自分の中でひっかかりを感じました。なぜなら、努力の捉え方が自分の評価基準と違っているからでした。
引用した最後の部分である、「もっと言うなら本人が努力だと認識しているような努力ではなく、第三者が見ていると努力に見えるが本人にとっては全くそうでない、という状態になくてはならないのではないか」 には、2つの評価軸があります。
- 本人が自分の努力を認識しているかどうか
- まわり (第三者) に自分の努力が見えているかどうか
この2軸の中でイチローが目指す努力領域は図のようになります。
一方、私が目指したい努力の評価軸は、
- 本人が自分の努力を認識しているかどうか
- 努力の成果が出ているかどうか
2つ目の軸が、イチローの語ったことと違いました。図で表すと以下です。
マトリクスで考えると、イチローの言葉になぜひっかかったのかがよくわかりました。2つの図で横軸が違います。
私自身が考える努力の評価基準では、「努力が成果につながるかどうか」 を重視しています。イチローが重視している 「第三者に自分の努力が見えているかどうか」 は入っていませんでした。
努力と習慣化
新しい考え方・評価基準を知ったとき、自分の頭の中で何かが生まれる感覚があります。
自分はどう考えるか (図のどこに位置するか) 、どこが共通で何が違うのか、なぜ違うのか、を色々と考えるのは興味深いです。
イチローは 「本人が自分の努力を認識していない」 状態の努力を目指しています。努力を努力と思わないレベルにするということです。
思ったのは、努力と習慣化の関係です。自分が取り組んでいることを 「自分は努力しているな」 と思っている段階はまだ習慣化できていない状態、ということです。努力していると思う時点で、まだどこかで自分はがんばっている意識があります。
それに対して、自分が努力していることを認識しない状況というのは、その行為が習慣化されていることです。まるで朝起きて顔を洗ったり歯を磨くようなごく自然な振る舞いになっている状態です。
習慣化できているので本人にとっては努力している意識はもはやない、でもまわりから見ると努力に見える。これがイチローの言う目指したい努力の姿です。
例えば、イチローは試合がある日は誰よりも早く球場に来て、入念な準備をします。これは本人にとっては当たり前の習慣です。他の選手からすると、「イチローはすごく努力している」 と思います。
イチローの言葉から得られたのは、努力を続けることで習慣化できるかどうか、習慣化できるくらいになって初めて 「努力」 と言えるという考え方です。
その努力は10年続けられるか
思い出しましたが、プロゲーマーの梅原大吾氏は著書 勝ち続ける意志力 - 世界一プロ・ゲーマーの 「仕事術」 に書かれていたことです。該当箇所を引用します。
「その努力は10年続けられるかものなのか?」
自問自答してみるのがいい。甘過ぎることなく、厳し過ぎるわけでもない。10年続けられる努力であれば、ちょうどいいと言える。
10年続けられる努力かどうか考えれば、おのずと自分にとっての努力の適量、正しい努力の度合いが見えてくるのではないだろうか。
10年続けるという意味は、それくらい継続できそうなことが努力かつ、本当の習慣にできることです。
10年までの間にもっと細かく区切りを設定できます。
- まずは3日続けてみる (3日坊主とは言い得て妙です)
- もう少し続けられそうなら3週間で設定
- 次が3ヶ月。そして3年
もちろん、続けていく中で 「やめる」 という選択肢もあってよいでしょう。自分の気持ちに背くような行ないを継続することは難しいです。
努力を続けて習慣にまでもっていけるか、そして成果につなげられるかです。あらためて考えさせられたことでした。
梅原 大吾
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