#マーケティング #問題設定 #価値実現
「なんだか今年の夏は長かったな…」
「9 月も中旬なのに秋という感じがしない…」
ここ数年、そんな風に感じることはないでしょうか? かつて日本では当たり前だった四季の感覚が、気候の変化によって少しずつズレてきているのかもしれません。
この誰もが感じている季節感のズレにビジネスチャンスを見出し、新たな一歩を踏み出した企業があります。それが、うま味調味料でおなじみの 「味の素」 です。
味の素は、主力商品 「ほんだし」 の売上減少という危機を乗り越えるためにプロジェクトを開始しました。新しい季節 「まだなつ」 を定義する、その名も 「五季そうさまプロジェクト」 です。
今回はこの事例を、「新しい事象 → 新しい問題 → 解決策 → 価値実現」 というフレームワークに沿って解説していきます。
新しい事象の発生
すべてのビジネスは、社会や人々の生活の変化に影響されます。今回のケースにおける 「新しい事象」 とは、気候変動による夏の長期化と猛暑の常態化です。
異常がもはや日常になった日本の夏は、数字が物語ります。
2025 年 8 月 27 日は、東京都心で記録された 10 日連続の猛暑日でした。
この出来事は、私たちの生活に根本的な変化をもたらす、新しい事象の象徴です。かつては年に数日あるかどうかだった 35 度以上の猛暑日が、今では当たり前の光景になりました。30 度を超える真夏日も急増し、地域によっては 40 度という酷暑もめずらしくありません。暑い期間そのものも確実に長期化しています。
日本の 9 月から 10 月上旬は暦の上では秋なのに、気温は夏のままです。店頭には秋の食材が並ぶのに、体感はまだ夏。このねじれこそが、味の素が着目した新しい事象でした。
お盆を過ぎれば涼しくなり、秋の味覚が食卓に並ぶという日本人のかつての季節感が崩れつつあるのが、目の前で起きている現実です。
従来の春夏秋冬という四季の枠組みでは説明できない曖昧な期間について、味の素は 「まだなつ」 と名付け、日本の季節を 「五季」 として再定義したのです (参考情報) 。
新しい問題の顕在化
「新しい事象」 は、人々の生活の中に 「新しい問題」 を生み出します。長引く夏は、私たちの気づかないところで、様々な歪みを生んでいました。
生活者の悲鳴 「もう料理したくない…」
9 月になってもまだ続く夏は、人々の料理や買い物への意欲を奪っていました。味の素の調査によれば (参考情報) 、
- 71% の人が 「なるべく火を使いたくない」
- 61% が 「暑い中での買い物が大変」
- 56% が 「簡単に済ませたくなる」
暑いキッチンに毎日立ち続け、冷たい料理ばかりで胃腸が弱り、さらに料理意欲が低下するという負のスパイラルです。
企業の焦り 「秋物が売れない」
小売業界も頭を抱えていました。
かつて 8 月のお盆明けには、例えば鍋の売場を立ち上げ秋冬シーズンの到来を示していたのに、今では 9 月中旬、年によっては 10 月まで待たざるを得ません。秋の食材は入荷するのに、暑くて売れないという季節のミスマッチは、流通全体の問題です。
旬の秋野菜を仕入れても消費者の料理意欲が低ければ、当然のように売れ行きが伸び悩みます。夏から秋へと季節が移ろうこの時期の売場づくりに小売店が苦慮しています。
味の素の危機 「ほんだしが売れない」
そして味の素自身も打撃を受けていました。スーパーなどで鍋売場の立ち上げが遅れることで、主力商品の 「ほんだし」 を訴求するきっかけもその分だけ遅れます。
ほんだしの 8 月から 9月の出荷数は、この 10 年で 10 ポイントも減少。鍋やスープに使われる商品だけに、まだ暑い秋が直接影響しました。
このように、生活者、小売、メーカー (味の素) の三者が、それぞれ夏が長引く 「まだなつ」 という新しい事象の中で、これまでにはなかった問題を抱えるのです。
問題を解決する商品開発
新しい事象によって顕在化した 「新しい問題」 に対し、企業は解決策 (ソリューション) をつくり提案することによって、存在価値を発揮します。
発想の転換 「ないなら作ればいい」
味の素は 「暑い日でもほんだしを使いましょう!」 と商品を直接売り込むことはしませんでした。
「まだなつ」 という新しい季節を、みんなで楽しく乗り切るための新しい食文化を創るという、より大きな解決策となる 「五季そうさまプロジェクト」 を提案しました。
すでに生活者に浸透している 「夏にはバーベキュー」 「冬には鍋」 というように、「まだなつ」 にも独自の料理ジャンルをつくればいい。新しい季節に対応した、新しい食文化の創造への挑戦でした。
「まだなつレシピ」 という新しい提案
味の素によって開発されたレシピには、生活者の悩みに寄り添う意図がありました。
- 極力火を使わない: 「冷やしスープカレー」 など、暑いキッチンに立たずに済む料理
- 買い物いらず: 「とうもろこしそうめん」 など、家にあるもので作れる料理
- ひんやり感覚: 「黄ゆずのそうめん」 など、体を冷やしながら栄養が摂れる料理
- 食欲増進: 「鮭のガパオライス」 など、暑さで落ちた食欲を刺激する料理
注目したいのは、秋食材のそもそもの使い方を変えたことです。
焼き芋のイメージが強いさつまいもを 「慌てん坊のさつまいもスープ」 に、煮物の定番のれんこんを 「お好み焼き」 にするなど、固定観念を打ち破る提案から 「暑くても食べたい秋食材」 を実現しました。
さらに、レシピ本 「何もしたくない日のまだなつレシピ」 の出版、外食店や百貨店でのメニュー提供、量販店での売場づくりなど、多方面での展開を見せます。これらは単発のキャンペーンではなく、最低でも 3 年間は続けるという中長期視点での文化創造プロジェクトとして設計されています。
生活者の悩みに共感し、その解決策として新しい文化を創造することによって、結果的に自社の商品が選ばれる状況をつくり出す。これが味の素の狙いです。
顧客価値の実現
優れたソリューションは、顧客に新しい価値をもたらし、生活や体験をより良いものへと変えていきます。
味の素の 「五季そうさまプロジェクト」 が実現しようとしている価値は、多岐にわたります。
生活者にとっての価値
味の素が提案する 「まだなつレシピ」 は、長い夏の暑さで疲労がたまった人に、料理をしたいかもと思わせる力を持っています。
火を使わない、買い物に行かなくていい、それでいておいしい。料理の負担が減り、暑い日のごはん作りが楽になる。夏バテ気味の体でもおいしく食べられるレシピで、家族の健康を守れるという価値があります。
味の素が独自に言葉にした 「まだなつ」 には、どこかポジティブな響きを伴います。
それは、残暑という後ろ向きな表現ではなく、新しい季節として前向きに捉えようとしているからでしょう。料理がしんどいと感じる夏の終わりが、実は 「まだなつ」 を楽しめる時期へとイメージが変わるという意識の転換が、人々の行動を変えていきます。
小売店や生産者にとっての価値
小売業にとっては、今までは端境期 (はざかいき) だった 9 月から 10 月が新しいビジネスチャンスになります。
新たに 「まだなつフェア」 という売場提案が可能になります。秋食材が出荷されてきても、秋の旬の食べ物で新しい切り口で訴求できます。秋の旬の食べ物でこれまでにない食べ方が広まれば、食材のロスが減り、需要も喚起できます。
社会への価値
味の素の 「五季そうさまプロジェクト」 が生み出した最も大きな価値は、気候変動という避けられない現実に対して、前向きな適応の形を示したことです。
困った、大変だと嘆くだけではありません。新しい楽しみ方を見つけようという発想の転換です。
将来的に、季節がひとつ増えて四季から 「五季」 という捉え方が当たり前になったとき、アパレルやレジャー、スポーツなどの各業界で、「まだなつ」 だからこそできることが生まれれば、生活者もこの時期をポジティブな気持ちで過ごせるのではないでしょうか。
そして、まだなつに適応された顧客価値や事業価値が実現された先に、社会の変化に対応する企業としての味の素のコーポレートブランド、ほんだしなどのブランド価値向上が起こることでしょう。
味の素の取り組みは、気候変動という大きな社会の変化を的確に捉え、新しい事象から生まれる人々の困りごとに寄り添い、新しい習慣や文化の創造という大きな解決策を提示した事例です。
私たちの周りにも、当たり前だと思っていたことが少しずつ変化し、新しい問題が芽を出しているかもしれません。
変化にいち早く気づき、解決策を考える。商品を売るだけにとどまらず、新しい社会価値までつくる。この発想は新しい価値を生み出すヒントになります。
まとめ
今回は、味の素による 「五季そうさまプロジェクト」 の事例を取り上げ、学べることを見てきました。
最後にポイントをまとめておきます。
- 新しい事象の発生: 社会や人々の生活に起きる変化 (気候変動, 技術, 政治, 社会的な共通価値観など) を 「新しい日常」 として捉え直すことで、ビジネスチャンスを見出せる
- 新しい問題の顕在化: 変化や新しい事象によって生まれる、生活者や企業のまだ満たされていないニーズ、不満や困りごとを多角的な視点から洞察し、問題の構造と本質を明らかにする
- 解決策の構築: 特定された問題を根本から解決するため、既存商品の顧客価値を再解釈をしたり、新しく商品を開発する。より大きな概念や新しい習慣・文化、ライフスタイルそのものを提案することを目指す
- 顧客価値の実現: 解決策により、お客さんの問題解決、さらに生活をより豊かにし、業界や社会全体に貢献する新しい価値を実現させる
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