投稿日 2012/03/17

情報社会の未来:私たちはネットの世界に知らない間に閉じこもってしまうのか

ここ最近よく考えるのは「パーソナライズ化」というキーワードです。パーソナライズ化とは、簡単に言えば「あなただけにカスタマイズされたサービス」というイメージで、例えばアマゾンではこれまで買った商品と関連のあるものを「あなたへのおすすめ」という形でレコメンドする機能があります。同じアマゾンを利用しても購買行動によりパーソナライズ化がされています。あなたが見ているアマゾンと、私が見ているアマゾンは同じではないのです。

■パーソナライズ化って何?

ウェブでのパーソナライズ化は実はいろんなところで起こっています。自分のアカウントでログインして利用するサービスは、多かれ少なかれほぼ全てでパーソナライズ化されていると思っていいでしょう。例えばツイッターやフェイスブックではフォローする人やつながっている友達により中身が全然違ってきます。

あるいはグーグル。グーグルの検索では、自分のアカウントでログインしている状態とログアウトしている時での検索結果は、同じ検索キーワードでも微妙に違っていたりします(試しにやってみると実感できるかと思います)。なぜこのようなことが起こるかと言うと、グーグルでは過去の検索履歴やウェブ閲覧履歴、すなわちウェブでの行動履歴を取っているので、そこからグーグルはアカウントごとに特徴づけています。つまり、グーグルはウェブ行動から「あなたはこういう人だよね」という人物像をつくっていて、検索結果はそれに最適なものを返している。だからアカウントでのログイン状態(パーソナライズ化)でとログアウト状態(匿名化)では結果が異なるのです。

■なぜパーソナライズ化をするのか

ではなぜグーグルはパーソナライズ化をしているのでしょうか。同じキーワードでの検索結果は誰がやっても同じ結果を返すほうが仕組みとしてはシンプルです。でもグーグルはアカウントごとに「あなたにはこの検索結果が欲しかったんだよね」とカスタマイズしてくれているのです。

1つの理由は、ユーザーにとってより使いやすいサービスの提供です。同じキーワードでの検索でも、人によって知りたいことは違っていたりします。であれば、その人に最適なサービスを提供しよう、そうすればもっと自分たちのサービスを使ってもらえる、ユーザーも自分たちもWin-Winになれる、そういう考え方です。

別の側面としては、広告のパーソナライズ化でしょう。実はこっちがグーグルが本当にやりたいこと。広告のパーソナライズ化はあなたにとっての最適な広告を表示させることで、実現すればより効果的な広告をユーザーに提供できます。効果的というのは、より興味関心の持ってもらえる広告だったり、買いたくなるもの、一度買ったものをもう一度買いたくなるような広告です。グーグルの収益の大部分はネット広告から上げているので、これは企業としては当然の考え方だと思います。

■メリット

パーソナライズ化は一見するとユーザーにとってはとても便利に思えます。以前のエントリーでもパーソナライズ化について取り上げていますが(参考:重宝してるアプリziteをヒントに4層で考えるTVのパーソナライズ化|思考の整理日記)、今もよく使っているキュレーションアプリであるzite。ziteとはiPhone/iPad用のアプリで、パーソナライズ化されるデジタルマガジンみたいな感じです。自分の興味あるテーマの記事を自動的に集めてくれるもので、例えば「ソーシャルメディア」、「モバイル」、「マーケティング」、「Google」、「Facebook」などのキーワードで登録しておくと、関連する記事が表示されます。さらに、ziteでの記事閲覧行動履歴データを集め、独自のアルゴリズムでパーソナライズ化してくれ、使えば使うほど「あなただけのデジタルマガジン」になる。雑誌には編集者がいますが、ziteの編集者は行動履歴データに基づくアルゴリズムというイメージ。

グーグルもアマゾンも自分に最適な情報を提供してくれる、より探していたもの、知りたかったこと、買いたかったものを見つけるメリットは大きいでしょう。あるいは、フェイスブックではよく知っている友達がいて、人間関係のパーソナライズ化ができている。これらはパーソナライズ化のメリットです。

■デメリット(問題点)

いきすぎたパーソナライズ化に警鐘を鳴らしているのが、最近読んで考えさせられた「閉じこもるインターネット―グーグル・パーソナライズ・民主主義」という本です。原題は「The Filter Bubble: What the Internet Is Hiding from You」。この本ではインターネットでパーソナライズ化されている状況をFilter Bubble(フィルターバブル)と表現していて、ユーザーがパーソナライズ化するフィルターで囲まれてしまった状態をあたかもバブル(泡)に包まれていると表現したもの。で、サブタイトルのWhat the Internet Is Hiding from You(ネットで見えなくなっているもの)はまさに著者の問題意識です。



パーソナライズ化とは、自分が見たい情報だけを取捨選択してくれる状態です。これは過去の大量の行動履歴データと高度に発達したアルゴリズムなどにより実現できている・されようとしているもの。著者はそこに落とし穴があると指摘します。私たちの考え方・思想、行動、そして民主主義にも悪影響を及ぼすとの主張です。

自分が見たい情報だけが見られるということは、逆に言えば自分と異なる考え方や未知なるものとの出会いが減っていくと著者は言います。これは例えばツイッターを考えると、自分の興味関心に近いユーザーをフォローする傾向にあるので、自分のタイムラインに流れる内容はわりと自分に近い考え方という状況がそれです。つまり、このようなタイムラインだけを見ていると、自分とは違った考え方、異なる視点でのものの見方に触れることができない、そうなるとますます偏った考え方になってしまうのではないか、これが懸念される影響です。

著者が問題視するものの1つに、パーソナライズ化は企業が勝手にやっているが故に、私たちはどうパーソナライズ化されているか見えないし、パーソナライズ化を訂正することが難しい、さらにはそもそも自分がパーソナライズ化されているとは気づかない点があります。「あなたが見ているネットと、わたしが見ているネットは同じではない」という状況に気づかない。人々の思想を変えるということは、極端なことを言うとパーソナライズ化をちょっとずつ調整することで、世の中の意見や世論もコントロールすることもできるのではないかというのが、著者の意見です。

もう少し現実的なイメージをすると、例えばレコメンドサービス。これは自分が今までに買ったものを参考にしているという認識だったのが(「XX」を買ったんだから「XX vol.2」も買うよねというレコメンド)、実は購買履歴以外にも広告販促費をより多くもらっていえる商品がレコメンドに含まれている場合でも、それはどういうロジックでレコメンドなのかこっちにはわからない。知らず知らずのうちに、何かを買うという行動もパーソナライズ化によってコントロールされることだってあり得るわけです。

■So What?

ネットでのパーソナライズ化の是非。正直これはまだ自分の中での結論は出ていません。今のところは自分に最適化されたサービスは、そうではないものより便利だと感じています。前述のziteがそうですし、アマゾンでもレコメンドを参考に本を買うこともあります。ツイッターでも情報が自分の興味・関心にだけ絞られているからこそ、おもしろい情報が流れています。こうしたサービスがもたらされること自体がすごいことだと思うし、これがなければ日々入ってくる情報の確度はもっと下がってしまうはず。その意味で情報を取捨選択してくれるパーソナライズ化の恩恵は一定は受けていると思います。

一方、こうしたパーソナライズ化された情報の外側はあえて知ろうとしないとわかることができないわけで、これがフィルターバブルの内側に閉じこもっている状態。これまでと違う考え方、自分とは違う価値観に触れる機会が減るというのは確かにあまり良くないかなとも思います。未知との遭遇があるからこそ、自分の中で考え方など何かが変わるのだと思うし、そういう複眼的なものの見方は意識してしておきたいもの。フィルタリングされることで自分に興味がないものは目に入らなくなるとすれば、考え方によっては全体像がどうなっているかがわからないとも言えます。つまり、目の前の情報がどの程度の代表性を持つか/偏っているかの判断できないのではないと。

間違いなくネットではパーソナライズ化の方向で進んでいくと思います。3月1日からグーグルのプライバシーポリシーが変更されましたが、これはグーグルが提供する各種のサービスでのユーザー利用情報を1つに統合するという変更。統合することでもっとユーザーのことがわかるようにしたいわけです。グーグルが強調しているのは統合することでより使いやすくなるとしていますが、本当にやりたいことはユーザー情報を統合し、その人により関連性のある広告を表示したいという意図でしょう。前述の「なぜパーソナライズ化をするのか」に書いた通りです。

では自分にできることは何か。今のところの考えは、あえてバブルの外側に出る、あるいは一度バブル自体を割ってしまうことではないでしょうか。例えばグーグルの過去の検索履歴やクッキー等をクリアすること。ひと手間をかけて違う意見や一次情報に当たってみること、そんなところから始める感じでしょうか。それと、自分が見ているものはパーソナライズ化されているという認識、「わたしのネットはあたなのネットと同じではない」こうした意識も持つことだと思っています。


※参考情報

重宝してるアプリziteをヒントに4層で考えるTVのパーソナライズ化|思考の整理日記
The personalized web is just an interest graph away|GigaOM
グーグル広告部門幹部、「次なる狙いは検索と広告のパーソナライズ」と発言|Computerworld
プライバシー ポリシー|Google
Googleがソーシャル検索にシフトするのはウェブの世界が変わりつつあるから|思考の整理日記
「グーグル ネット覇者の真実 追われる立場から追う立場へ(In the Plex)」から考えるデータ至上主義とGoogleの描く未来|思考の整理日記


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投稿日 2012/03/11

映画「Time」を見て考えさせられた人生の本質


少し前に映画「Time」を見てきました。

■ 映画「Time /タイム」の世界

ストーリー設定は、全ての人は25歳になると(肉体的な)成長が止まる近未来で、25歳の誕生日を迎えると自分の左手には「ボディクロック」が起動します。

ボディクロックとはデジタル時計で、そこに表示される時間は自分の残された時間、すなわち余命がカウントダウンされているのです。

その世界での最も大きな特徴は「時間=通貨」です。文字通り「時は金なり」の世界で、人々は物やサービスを買うために自分の時間を使います。

例えば、コーヒー:4分、バスの運賃:2時間、1ヵ月の家賃:36時間などです。物・サービスに時間を支払うということは、自分の残りの人生の時間を差し出すことを意味します。家賃に36時間を払うというのは、余命が36時間減るということです。

余命を増やすためには仕事をすることになります。例えば、8時間働いて24時間稼ぎます。仕事をして時間報酬をもらわなければ自分の残された時間はゼロになり、その瞬間に死んでしまいます。

自分の時間を相手に分け与えたり、もらったりも可能です。自分の余命を全てボディクロックに入れておかなくても、銀行へ預けることもできます。

時間経済の世界なので、例えば物価や金利(時利?)が上がると、それだけ自分の時間を払わなければいけません。

映画ではバスの運賃が1時間から2時間に上がるなどのインフレが起こっていましたが、物価が上がるということはその分だけ人々の余命が少なるなくなることを意味します。余命という時間が通貨であるが故に、物価上昇が起こると死んでしまう人が増えることになります。

大きく見ると物価上昇の増減と人口増減が一致するような世界です。

自分の残された時間=余命が全ての人間の左腕にデジタルで表示されてて、それが現在の貨幣の役割も担います。

時間が人々の欲望の対象になっている世界は正直怖かったです。でもよく考えると、私たちの現実の世界でも誰もが余命は有限で、今この瞬間も人生の残りの時間は刻一刻となくなっています。

映画の世界との違いは、自分にはあとどれくらい時間が残っているかは知らないだけです。残された時間はあと24時間かもしれないし、50年かもしれません。

わかっているのは人は皆いつか必ず死ぬことです。そんなことをあらためて考えさせられた映画でした。

■ 時間配分の見直し

現実の世界では時間は完全にフローなものです。1秒たりともストックすることはできません。時々刻々と流れる時間で自分は何をするか、どう使うかというのはここ最近は特によく考えることだったりします。

以前のエントリー「自分を変えた「時間配分の見直し」と「片づけ」の方法」でも少し書きましたが、2012年の今年になって自分の時間配分の見直しをしました。やったことはいたってシンプルで、

  1. 日々の無駄な時間を見える化
  2. いつ/何に無駄があるかを確認
  3. 優先順位づけをして「やらないこと」を決めた

の3ステップでした。やる/やらないを決めることで、本当にやるべきことの優先順位が明確になりました。

3つ目の「やらないこと」を決めた効果は思った以上に大きく、何をやらないかを決めたことで平日でも結構時間ができるものです。

特に出勤までの朝の時間配分の変化が大きく、あわせて去年より1時間ほど早く起きるようにしたこともあり、朝にまとまった時間が生まれました。その時間は読書だったり勉強だったりと、生活スタイルを変えたことで、かなり効果が出ていると実感しています。

時間が有意義に使えていると感じるし、勉強も今の仕事で必要になるものなので結構活かされています。

■ 人生の本質

映画「Time」の世界では、自分の時間を仕事で稼ぐことができました。あるいは富裕層の人々はカジノを興じることで永遠とも言える時間を手に入れていました。

しかし、私たちは自分の余命は限られています。この限られた自分の時間をどう過ごすかというのは、人生を考えた時に最も大切なことなのではないかと思います。

結局のところ、この1秒や1分、そして今日という1日をどう過ごすか、この積み重ねが自分の人生を形作るのではないでしょうか。そう考えると、いかに毎日をきちんと生活することができるかが人生の本質です。

「きちんと生活する」という中身は人によって違います。

仕事をばりばりこなす、家族と過ごす時間、遊ぶこと大切にする、などなど、どれか1つだけではないにしろ、人それぞれの価値観があり(明確に意識しているかどうかは別として)、優先順位があるはずです。

今の自分を形成しているのは、日常の習慣・生きる姿勢/考え方が積み重なったものです。過去の積み重ねが現在の自分です。こう考えると、過去は変えられないものですが、現在の自分を変えようとすることで未来は変えられるのです。

※参考情報
映画「TIME /タイム」オフィシャルサイト


投稿日 2012/03/03

アフリカで人々の生活を変えた電子マネーイノベーション:M-PESA

「仕送り」という行為があります。例えば出稼ぎ労働者の場合は、自分の収入を故郷に残した家族に仕送りをします。学生の時に私も親から仕送りをもらっていました。仕送りなどでお金を誰かに送るには、送り先相手の銀行口座に振り込むのが便利です。口座間の振り込みや、直接相手の口座への振り込みもできます。

そう考えると、もし送り先相手が口座を持っていなかった場合、あるいは郵送などのインフラが整っていない環境では遠く離れた家族などにお金を渡すには手軽にではなくなってしまいます。直接自分が行って手で渡す、または誰かにお願いして家族にお金を渡してもらう、くらいでしょうか。

アフリカのケニアでは、まさにこの状況が起こっていました。出稼ぎで都市に働く人は遠く離れた故郷に住む家族へ仕送りをするためには、毎週のように自分がお金を持って渡しに帰ったり、信頼できるバスドライバーに仕送りのお金を預けて家族に渡してもらっていました(参考)。背景にはケニアでは多くの人が、私たちにとって当たり前のように持っている銀行口座を保有していないという現実があります。

■M-PESAという電子マネーのイノベーション

この問題を解決したのが、携帯電話を使った送金サービスの「M-PESA」。サービスの使い方イメージは、
  • プリペイドで携帯にお金をチャージする
  • 送金相手に送りたい金額を明記してメールを送る
  • メール受信者はM-PESA契約店舗で身分証明し、メールを提示すればメール内の金額を現金化
という感じで、仕送りをするのに銀行口座は不要で携帯電話があれば簡単にできます。ちなみにPESAとはスワヒリ語で「お金」を表す言葉、MはモバイルなのでM-PESAとはモバイルマネーという意味。M-PESAはアフリカの携帯キャリアであるSafaricomが提供するサービスで、利用者はケニアで1500万人、Safaricom利用者の80%が使っているそうです(参考:Learning from Kenya: Mobile money transfer and co-working spaces|thenextweb.com)。ちなみにSafaricomのケニアでのシェアは75%とのこと。

この参考記事では、Waceke Mbugua氏(director of marketing and communication at Sararicom)の説明として、M-PESAでの送金金額はケニアGNPの25%分に相当し、また、1回あたりの送金金額は50セント以下であるとしています。ケニアのGNPがどれくらいかや物価水準は詳しく調べていないのですが、M-PESAでは多くの人が少額での送金のやりとりをしていることがうかがえます。日本のように銀行やATMが整備されていないケニアでは、M-PESAは人々の生活支える重要なインフラになっているのです。

引用:Learning from Kenya: Mobile money transfer and co-working spaces|thenextweb.com

■覚えておきたいモバイルの3つの特性

M-PESAの事例を考えた時に、このサービスが成り立つのはモバイルの3つの特徴がうまく活かされているからだと思っています。すなわち、本人性、携帯性、ネットワーク性。本人性とは、携帯電話は基本的には1人1台の保有なので、所有者を特定できることになります。M-PESAの例で言うとお金を渡される相手(仕送り先)とメール受信者が同一人物である必要があり、それが携帯電話を使うことで成立しています。

携帯性とは文字通り、携帯電話を「いつでも」「どこでも」持ち歩くという特性。常に手元にあるのでお金がM-PESAのメールで送られてくることもわかるし、買い物へ行く時にも常時持っているので、支払いや換金が携帯電話を使ってその場でできてしまう利便性があります。3つ目のネットワーク性とは、携帯電話がメールやネットを通して他の携帯電話、つまり他の人とつながっていることで、M-PESAのケースではネットワーク性が存在することで、簡単に仕送りができてしまいます。このように、携帯電話の持つ3つの特性である本人性、携帯性、ネットワーク性が、かつては遠く離れた家族に直接渡しに行ったり、誰かにお金を預けて渡すしかなかった状況にイノベーションを起こしたのです。

■モバイルの可能性

携帯電話は私たちの生活にとって必需品です。興味深いのは先進国だけではなく、アフリカのケニアのような国にとっても欠かせない存在になっていることです。世界人口は70億人を突破しましたが、いずれはモバイル端末利用者が世界人口とほぼ同等の水準に普及するはずです。

利用者が増えるということは、マーケットがしばらくは拡大し続けるので、いろんなプレイヤーがモバイル事業に参入してきます。M-PESAを提供するSafaricomのようなキャリア、アップルやサムスンなどのハード端末提供プレイヤー、Androidを無償提供するGoogleやWindowsなどのOS、FacebookやZynga、GREEなどのプラットフォーム、アプリや動画・ゲーム等のコンテンツプロバイダーなど、いろんな層で動きが活発になり利用者の獲得が激しくなります。

各プレイヤーが最終的に何で/いつ/どうやって収益を稼ぐのか。直接利用者から収益を得るのか、広告により間接的に利用者から売上を上げるのか。利用者から直接収益を上げるにしても、有料アプリやゲーム内の有料アイテムへの課金、あるいはモバイルから物を買うことで手数料で稼ぐのか、提供サービスを月額で提供するのか、など単発的に収入を得るか継続的に稼ぐかでもビジネスモデルが違ってきます。Facebookがモバイル用アプリ内にもついに広告を表示させるという話ですが、モバイル広告は今後も有用なのか、投資対効果があるのかも気になるところです。

以上はモノ・サービスの提供者側の視点ですが、一方のユーザーにとってはモバイルでどういう「価値」がもたらされるのか。アフリカでのM-PESAのように人々の生活に欠かせない価値は、色々な領域ででてきそうですし、そうなることを期待しています。


※参考情報

Learning from Kenya: Mobile money transfer and co-working spaces|thenextweb.com
M-PESA|Safaricom
M-Pesa|Wikipedia

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多田 翼 (運営者)

書いている人 (多田 翼)

Aqxis 代表 (会社 HP はこちら) 。Google でシニアマーケティングリサーチマネージャーを経て独立し現職。ベンチャーから一部上場企業の事業戦略やマーケティングのコンサルティングに従事。

ブログ以外にマーケティングレターを毎週1万字で配信しています。音声配信は Podcast, Spotify, Amazon music, stand.fm からどうぞ。

名古屋出身、学生時代は京都。気分転換は朝のランニング。