投稿日 2025/06/01

キリンビールのクラフトビール事業の推進は、"八段階の変革プロセス" の実践例

#マーケティング #組織開発 #八段階の変革プロセス

日本のビール市場全体のうち、クラフトビールが占める割合はまだわずか 2% 弱です。しかし、その背後には約1800万人もの 「飲んだことはないけど興味がある」 というクラフトビール潜在層が存在しています。

この可能性を前に、大手ビールメーカーのキリンビールがどのようなアプローチから、新しいビール文化をつくろうとしているのか――。

挑戦を、ジョン P コッターの 「八段階の変革プロセス」 に当てはめて紐解きます。

八段階の変革プロセス


ジョン・P・コッターが提唱したのが、「八段階の変革プロセス」 です。

書籍 「企業変革力 (ジョン・P・コッター) 」 という本に、八段階の変革プロセスが書かれています。


✓ 八段階の変革プロセス

  1. 危機意識を高める
  2. 推進チームをつくる
  3. ビジョンと戦略を立てる
  4. ビジョンを周知する
  5. メンバーが行動しやすい環境を整える
  6. 短期的な成果を生む
  7. さらなる変革を進める
  8. 新しい方法を文化として根づかせる


なお、ペンギンを主人公にした小説 「カモメになったペンギン」 に変革の8つのプロセスがわかりやすく書かれています。こちらもおすすめです。


キリンビールのクラフトビール事業への取り組みが、この八段階の変革プロセスを実践するものでした (参考記事) 。以下で、順番に当てはめて見ていきましょう。

キリンビールのクラフトビール事業改革


八段階の変革プロセスは、まずは危機意識を高めることからです。

危機意識を高める (Establishing a Sense of Urgency) 

キリンビールはビール類全体の市場縮小トレンドに直面し、クラフトビール比率が 2% 弱にとどまる日本市場に注目しました。

アメリカなど海外と比べて、日本ではクラフトビールへの浸透はまだ道半ばの状況で、国内消費者の約8割はクラフトビールを飲んだことがないというのが現状でした。

このままでは国内ビール市場が縮み、新しい価値創造を実現しなければいけないというのが経営層・現場に共通する課題認識でした。キリンビールの社長自らがクラフトビール事業を展開するヤッホーブルーイング社長に電話をし、人材を貸してほしいと相談するなど、危機意識がトップレベルから存在していたのです。

推進チームをつくる (Creating the Guiding Coalition) 

キリンビールは、2024年10月、新たに約30名の専属チームを立ち上げました。専門部署 「クラフトビール事業部」 の発足です。

それまでキリンでは 「一番搾り」 や 「本麒麟」 の担当者がクラフトビールも兼務していたそうですが、クラフトビール専門にコミットする体制を整えました。

また、ヤッホーブルーイングからの人材も招へいしました。これはキリンビールとヤッホーブルーイングの双方の社長レベルでの合意によるもので、ヤッホーブルーイングの若手エース2名をコアメンバーに加えました。

キリンビールは同業他社のノウハウを取り込み、クラフトビール事業を推進するチームを結成しました。

ビジョンと戦略を立てる (Developing a Vision and Strategy) 

キリンビールが掲げたビジョンは、「クラフトビールで多様性と体験価値を広げる」 という実現したい世界観です。

クラフトビールの位置づけを、造り手の創造性を活かし、多様なおいしさで、人生の楽しみを広げていくものと捉えました。

従来の大規模な広告投下でナショナルブランドを押し上げるアプローチから脱却し、「多様な香りや味わいを体験する文化をつくる」 という新しい方向性を打ち出しました。

また、目指す水準として潜在顧客1800万人を目標としました。クラフトビールは未経験であるものの興味を持つ消費者 (約1800万人と見込んだ) をメインの注力顧客に設定し、体験イベントや改装店舗でクラフトビールの世界を知ってもらうという戦略です。

ビジョンを周知する (Communicating the Vision) 

キリンビールは社内外でビジョンを発信しました。

社長や事業部長が 「クラフトビールは造り手の想いと個性が命」 と強調し、一番搾りなど大量生産型とは異なることを積極的にメッセージとして発信しました。

また、クラフトビールの体験型イベントにもキリンビールは力を入れています。

例えば、「クチコミで味わうビアバー」 の開催 (渋谷駅近くで5日間限定オープン) など場によって、キリンビールのクラフトビールへのビジョン、クラフトビールの良さを来場者に伝えました。

他には、ヤッホーブルーイング式の社内コミュニケーション (例: ニックネーム制度など) をキリンビールにも一部導入しました。

ビールを飲むと顔が赤くなる部長は 「レッド」 、社長は 「ヒデ」 というニックネームになるなど、社内の風通しを良くするきっかけを用意し、それによってビジョンも共有しやすく浸透すする取り組みも行っています。

メンバーが行動しやすい環境を整える (Empowering Employees for Broad-based Action) 

八段階の変革プロセスの5つ目は 「行動しやすい環境の整備」 です。

キリンビールは、既存ビールブランドとクラフトビールにおけるチームや担当者レベルでの兼務をやめ、クラフトビールの専任メンバーがフルコミットできる組織と環境を整備しました。

専属チームでは、自由な発想を促します。

データや実績からの正解を求めるような 「正解志向」 から、ヤッホーブルーイングの 「正解のない議論」 をよしとする考えへのシフトです。ヤッホーブルーイングのユニークな製品である 「ゆっくりビアグラス」 のようにアイデアを形にしやすい社風を育むことを目指しました。

フラットなコミュニケーションの推進も進め、ニックネーム制度により上下の壁を取り払い、メンバーが忌憚なくアイデアを出せる風土づくりです。

短期的な成果を生む (Generating Short-term Wins) 

組織変革では、小さくてもいいのでいかに早い段階で成功をあげ、関わってる人たちが 「このビジョンと方向性、やっていることで間違いない」 という認識を強くできるかが、変革を続けられるカギを握ります。

キリンビールの場合は、スプリングバレーブルワリー東京のリニューアルが、クラフトビール事業の短期的な成功例でした。

1階は色の違うクラフトビールの液色が見えるサーバーを壁一面に配置。幅6メートルのスクリーンはドローン映像作家などによる四季の映像を流し、SNS 映えもする空間です。メニューは文字中心をやめ、特徴が分かりやすい五角形のチャートなどに変えました。

2階はコース料理とビールとの相性を体験できるフロアです。カウンター席で味わう 「ペアリングカウンターコース」 (1万5000円) は3カ月ごとにメニューが替わる完全予約制です。スプリングバレーブルワリー東京の1階も2階も、キリンの要素は一切ありません。

2024年5月の全面改装後、新規顧客の率が 74% から 85% へ増加し、かつ1人あたりの注文杯数も伸び、売上・集客アップに成果を挙げました。

また、イベントとして実施した 「クチコミで味わうビアバー」 も盛り上がりを見せました。

メニューを伏せて、計9種類のクラフトビールを提供するというユニークな企画でした。来場者は他の参加者が壁に貼った口コミを頼りに、自分好みの 「今日の1杯」 を決定。味わった後は自らもステッカーに感想を書き、次の来場者につなげていきました。

来場者が口コミを貼り合うという企画が話題性を生み、短期間の開催ながら SNS で注目が集まりました。消費者から 「クラフトビールっておもしろそう」 と思ってもらえ、クラフトビールのトライアルへの促進を生み出したのです。

さらなる変革を進める (Consolidating Gains and Producing More Change) 

キリンビールは、クラフトビールの体験型マーケティングを他の施策へ広げました。

先ほどのスプリングバレーブルワリー東京や期間限定イベントで得た知見を活かし、全国への横展開、他のブランドとのコラボなど新しい顧客接点を増やしました。

ヤッホーブルーイングとの協業をさらに進め、キリンビールはクラフトビール文化創造の旗振り役としてのポジションを確立しようとしています。

キリンビールにとってのクラフトビールの位置づけが、主力ブランドの影に隠れがちだったところから抜け出そうとしています。

これまで 「一番搾り」 や 「本麒麟」 の枠の中で部分的にクラフトビールをアピールしていましたが、今後はクラフトビールを中心にした独自の販路やコミュニティを築き、さらなる成長を狙っています。

新しい方法を文化として根づかせる (Anchoring New Approaches in the Culture) 

キリンビールはクラフトビール事業での変革を通して、異質なものを受け入れる組織文化の定着を図ろうとしています。

キリンビールという大企業においても、ヤッホーブルーイング流のフラットな発想法やニックネーム制度を導入するなどの新しい試みを続けることで、クラフトビールの文化をキリンビールの文化に落とし込もうという意欲的な姿勢をとっています。

クラフトビールは多様性・地域・体験のあるものという認識を社内に浸透させ、商品開発・マーケティング・営業それぞれの部署がクラフトビールを 「商品」 にとどまらず、「クラフトビールのカルチャーを広げるもの」 として扱うよう意識改革を進めているわけです。

キリンビールは将来的には 「日本でクラフトビールを楽しむのが当たり前」 というビール文化を社会に根づかせ、新しいビール市場を創造するという長期ビジョンを描いています。

* * *

ここまで八段階の変革プロセスに当てはめて見てきましたが、キリンビールのクラフトビール事業は、

  1. 危機感の醸成
  2. 専属チーム結成
  3. ビジョンと戦略の策定
  4. 社内外へのビジョンの周知
  5. 行動しやすい環境整備
  6. 短期的な成功
  7. さらなる変革拡大
  8. 社内文化への定着


という、コッターの八段階の変革プロセスの順に沿って着実に進んでいる事例です。

マーケティングの視点では、体験型施策を軸に据えて早期に短期成果を出しつつ、ビジョンや手法を社内文化として根づかせるプロセスに示唆があります。

まとめ


今回は、キリンビールのクラフトビール事業への推進事例を取り上げ、学べることを見てきました。

最後に 「八段階の変革プロセス」 のポイントをまとめておきます。

  1. 危機意識を高める: 国内ビール市場の縮小とクラフトビール普及率 2% 弱という状況に危機感を持った

  2. 推進チームをつくる: 2024年10月に 「クラフトビール事業部」 を新設し、専属メンバー約30名でフルコミット体制を構築。ヤッホーブルーイングから若手エース2名を迎え入れた

  3. ビジョンと戦略を立てる: キリンビールは 「クラフトビールで多様性と体験価値を広げる」 というビジョンを策定。体験型施策でクラフトビール文化を広げる戦略を打ち出す

  4. ビジョンを周知する: 社内外で 「クラフトビールは造り手の個性が命」 というメッセージを発信

  5. メンバーが行動しやすい環境を整える: クラフトビール専任チームを結成し自由な発想を促進。ニックネーム制度などを導入し、上下関係をなくしたフラットな組織を育成した

  6. 短期的な成果を生む: スプリングバレーブルワリー東京を改装し、新規顧客比率が 74% → 85% に。イベント 「クチコミで味わうビアバー」 や SNS 映えする施策を実行

  7. さらなる変革を進める: 成功した施策を全国展開や他ブランドとのコラボに拡大

  8. 新しい方法を文化として根づかせる: 「日本でクラフトビールを楽しむのが当たり前」 という文化を目指し、長期的な市場創造に取り組む


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多田 翼 (運営者)

書いている人 (多田 翼)

Aqxis 代表 (会社 HP はこちら) 。マーケティングおよびマーケティングリサーチのプロフェッショナル。ベンチャーから一部上場企業の事業戦略やマーケティングのコンサルティングに従事。

前職の Google ではシニアマネージャーとしてユーザーインサイトや広告効果測定、リサーチ開発に注力し、複数のグローバルのプロジェクトに参画。Google 以前はマーケティングリサーチ会社にて、クライアントのマーケティング支援に取り組むとともに、新規事業の立ち上げや消費者パネルの刷新をリードした。独立後も培った経験と洞察力で、クライアントにソリューションを提供している。

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名古屋出身、学生時代は京都。気分転換は朝のランニング。