投稿日 2018/02/18

村上春樹の走ることの意味、自分にとっての走ることの意味


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走ることについて語るときに僕の語ること という本には、タイトルの通り、「作家・村上春樹にとって走ることの意味」 が書かれています。



今回は、この本から村上春樹の走ることの意味合いをご紹介し、私自身にとっての走ることの意味を書いています。

エントリー内容です。

  • 本書の内容。小説家に必要な3つの資質
  • 村上春樹にとっての 「書くこと」 と 「走ること」
  • 村上春樹の考え方との共通点。自分にとっての走ることの意味


本書の内容


この本は、村上春樹が自分自身のことについて語るエッセーです。小説家として、そして、ランナーとしての自身の生き方を深く見つめ、綴られています。

私も毎日走っている一人のランナーとして、興味深く読みました。

以下は、本書の内容紹介からの引用です。

1982年秋、専業作家としての生活を開始したとき、彼は心を決めて路上を走り始めた。

それ以来25年にわたって世界各地で、フル・マラソンや、100キロ・マラソンや、トライアスロン・レースを休むことなく走り続けてきた。旅行バッグの中にはいつもランニング・シューズがあった。

走ることは彼自身の生き方をどのように変え、彼の書く小説をどのように変えてきたのだろう?日々路上に流された汗は、何をもたらしてくれたのか?

村上春樹が書き下ろす、走る小説家としての、そして小説を書くランナーとしての、必読のメモワール。


小説家に必要な3つの資質


村上春樹は、小説家に必要な資質は3つあると書いています。才能、集中力、持続力です。重要度はこの順番です。

2つめの集中力は、才能の次に重要で、自分の持つ限られた量の才能を必要な一点に集約して注ぎ込める能力です。集中力がなければ大事なことは何も達成できず、有効に用いれば、才能不足をある程度で補えると村上春樹は言います。

3つめの持続力は、日々の集中を半年や一年、あるいは二年と継続できる力が、小説家には求められというものです。一日に三時間を集中して執筆できたとしても、長い期間で続けたら疲れ果ててしまったでは、長い作品は書けません。

集中力と持続力は、後天的にトレーニングによって獲得し、向上できると村上春樹は書いています。毎日、机の前に座り、意識を一点に注ぎ込む訓練を続けていれば、集中力と持続力は身につけられるからです。


村上春樹にとっての 「書くこと」 と 「走ること」


興味深いと思ったのは、毎日、集中して続けて書くことは、村上春樹にとって日々走ることと同じだということです。

以下は本書からの引用です。

日々休まずに書き続け、意識を集中して仕事をすることが、自分にとって必要なことなのだという情報を身体システムに継続して送り込み、しっかりと覚え込ませるわけだ。そして少しずつその限界値を押し上げていく。気づかれない程度にわずかずつ、その目盛りをこっそりと移動させていく。

これは日々ジョギングを続けることによって、筋肉を強化し、ランナーとしての体型を作り上げていくのと同じ種類の作業である。刺激し、持続する。刺激し、持続する。この作業にはもちろん我慢が必要である。しかしそれだけの見返りはある。

 (引用:走ることについて語るときに僕の語ること)

村上春樹にとって書くことと走ることは、本質的には同じなのです。


村上春樹の考え方との共通点


本書から、村上春樹の走ることの意味や考え方で、自分の考え方に近いと思ったことです。3つあります。


1. 走り終えて自分に誇りを持てるか


走り終えたときに何を思うかについて、村上春樹の文章からあらためて自分自身のことに気づきがありました。

走り終わった後に、自分に誇りが持てるかというものです。

本書からの引用です。

一般的なランナーの多くは 「今回はこれくらいのタイムで走ろう」 とあらかじめ個人的目標を決めてレースに挑む。

そのタイム内で走ることができれば、彼/彼女は 「何かを達成した」 ということになるし、もし走れなければ、「何かが達成できなかった」 ことになる。もしタイム内で走れなかったとしても、やれる限りのことはやったという満足感なり、次につながっていくポジティブな手応えがあれば、また何かしらの大きな発見のようなものがあれば、たぶんそれはひとつの達成になるだろう。

言い換えれば、走り終えて自分に誇り (あるいは誇りに似たもの) が持てるかどうか、それが長距離ランナーにとっての大事な基準になる。

 (引用:走ることについて語るときに僕の語ること)


2. 好きだから走り続けられる


毎日走り続けられるのは、意思が強いというよりも、ただ好きだから続けられると村上春樹は書いています。以下は引用です。

正直なところ、日々走り続けることと、意思の強弱のあいだには、相関関係はそれほどないんじゃないかという気さえする。

僕がこうして二十年以上走り続けていられるのは、結局は走ることが性に合わっていたからだろう。少なくとも 「それほど苦痛ではなかった」 からだ。人間というのは、好きなことは自然に続けられるし、好きではないことは続けられないようにできている。そこには意思みたいなものも、少しくらいは関係しているだろう。

しかしどんなに意思が強い人でも、どんなに負けず嫌いな人でも、意に染まないことを長く続けることはできない。またたとえできたとしても、かえって身体によくないはずだ。

 (引用:走ることについて語るときに僕の語ること)


3. ランニングの本質


以下の内容は、この本で強く印象に残っていることです。

世間にはときどき、日々走っている人に向かって 「そこまでして長生きをしたいかね」 と嘲笑的に言う人がいる。

でも思うのだけれども、長生きをしたいと思って走っている人は、実際にはそれほどいないのではないか。むしろ 「たとえ長く生きなくてもいいから、少なくとも生きているうちは十分な人生を送りたい」 と思って走っている人の方が、数としてはずっと多いのではないかという気がする。

同じ十年でも、ぼんやりと生きる十年よりは、しっかりと目的を持って、生き生きと生きる十年の方が当然のことながら遥かに好ましいし、走ることは確実にそれを助けてくれると僕は考えている。与えられた個々人の限界の中で、少しでも有効に自分を燃焼させていくこと、それがランニングというものの本質だし、それはまた生きることの (そして僕にとってはまた書くことの) メタファーでもあるのだ。

このような意見には、おそらく多くのランナーが賛同してくれるはずだ。

 (引用:走ることについて語るときに僕の語ること)


自分にとっての走ることの意味


私自身も、走ることが毎日の習慣です。早朝の決まった時間に、1時間におよそ 10km を走っています (2018年2月現在) 。

雨や雪の日でも高速の高架下の別コースを走ります。2018年2月現在で、最後に走らなかった日は、去年の6月です。1ヶ月で約 300km 、去年の2017年は年間でおよそ 3500km を走りました。

本書を読みながら常に考えさせられたのは、自分にとっての走ることの意味は何かでした。

村上春樹の考え方に共感できること、自分とは違う走ることの取り組みや考え方を知ることによって、自分との対比から自分自身のことが見えてきます。

自分にとっての走ることの意味は、走ることは手段でもあり、かつ目的でもあることです。あらためて思ったのは3つです。


1. 「手段」 としての走る意味


私は、毎朝、決まった時間に同じ距離を走っています。走り終わったとき、ランニングでしか味わえない達成感が得られます。また、

先ほどの本書から引用したように、走った後に自分自身への誇りのような気持ちを抱きます。村上春樹の考え方を知るまでは、この意識は言葉にはうまくできないものでした。

しかし、この本を読み、今日も同じように走った自分への肯定感や誇りを持っていることに気づきました。

達成感や自己肯定感は、走るという手段を通して得られるものです。


2. 「目的」 としての走る意味


走ること自体にも、私は意味を見い出だせています。

10km 程度を1時間で走るので、キロ6分です。このペースは、ゆっくりと速度を抑えながら一定のスピードをあえて維持するような走り方です。

一定の身体の連動と同じ呼吸のリズムで、走り続けます。この走ること自体が好きなことであり、好きだからこそ走っています。

もちろん、同じペースとリズムで走るようにしているとはいえ、途中に足が重いと感じたり苦しいと思うこともあります。

しかし、途中で歩くことなく走り続けること、何より苦しさも含めて走ることに楽しさがあります。苦しさの中に、今を走っているという実感ができます。


3. 走ることで得られるもの


私にとって、走ることには手段としての意味と、目的としての意味の両方があります。

総合して考えると、走ることの意味は、よりよく生きている実感が得られること、その実感を通して自分の心が満ち足りていくことです。走ることは、自分にとっては瞑想やマインドフルネスのようなものです。


最後に (似ていること、違うもの)


考えてみると、村上春樹の考え方や生き方をまとまった分量で知るのは、この本が初めてでした。

全体を通して感じたのは、走ることや生き方について書かれていることが、私自身の考えに近いことです。

村上春樹は、可能な限り毎日走り、走行距離は一日に平均 10km と読み取れます。私も同じように同じ距離を毎朝走っています。走ることの意味合いも、同じような考え方でした。

違うのは、マラソンやトライアスロンなどのレースに対する取り組みや考え方です。

村上春樹は、年に1回はマラソンに出場し完走を果たしています。本書に書かれているのは、マラソンだけではなく、トライアスロンにも積極的に挑戦しています。

一方で私は、今のところはマラソンやハーフなどのレースに出場する気持ちはありません。

理由は、レースに出てしまうと日々の 「走ることのリズム」 が崩れてしまうからです。マラソンの 42.195km や、ハーフマラソンであっても 20km のレースを走ってしまうと、翌日は、時には数日は休む日となります。

私はそれよりも、一日一日、休むことなく常に一定の走るリズムを刻みながら、毎日をすごしたいと考えています。



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書いている人 (多田 翼)

Aqxis 代表 (会社 HP はこちら) 。Google でシニアマーケティングリサーチマネージャーを経て独立し現職。ベンチャーから一部上場企業の事業戦略やマーケティングのコンサルティングに従事。

ブログ以外にマーケティングレターを毎週1万字で配信しています。音声配信は Podcast, Spotify, Amazon music, stand.fm からどうぞ。

名古屋出身、学生時代は京都。気分転換は朝のランニング。