2015/08/29

「マーケット感覚→広告メディアリーチ」の順番で




オンライン動画広告についてよくある論点の1つに、「TV 広告」と「オンライン動画広告」の予算配分の最適化があります。オンライン動画広告にとっては、従来の TVCM 予算からどれだけオンラインにシフトできるかです。

この時に注意が必要だと思うのは、映像を広告素材として消費者に届けるメディアとしての TV 広告とオンライン動画広告では、リーチできる範囲のポテンシャルがそもそも異なることです。

出稿予算や期間にもよりますが、ざっくりと言ってしまうと TVCM のリーチは最大で数千万規模、オンライン動画広告の場合は最大級である YouTube でも数十万〜数百万規模です。桁数が1つとか2つ違うわけです。

動画広告の出稿メディアを「テレビ or オンライン」といきなり考えるのではなく、まず最初に検討されるべきは、自分たちが狙う市場規模です。自分たちがターゲットにしている人たちはどのような生活者で、どのくらいの人数規模がいるのか。

このマーケット感覚がまずないと、テレビ広告 or オンライン動画広告の議論は中身の薄いものになってしまいかねません。

ターゲットとする消費者の人数規模が見えてきて、はじめてどのメディアを選択するかを具体的に考えることが本来です。

日本人の多くをターゲットにするようなメガブランドであれば、数千万への広告接触を期待できるテレビが、リーチという観点からは有効です。

一方で、特に若年層が自分たちが狙うターゲットであるならば、テレビだけでは狙うマーケットにリーチしきれない可能性があります。つまり、テレビは家にあってもあまり見ない人や、そもそもテレビが家にない人にリーチするためには、テレビ以外のメディアを使う必要があります。

テレビだけではリーチできない人にどうやって広告を届けるか。この時に有効になるのはオンラインによる動画広告です。テレビ or オンライン動画広告の二者択一的な考え方ではなく、両者は補完関係になります。動画広告はテレビ広告では届かないリーチを補う位置づけです。

この場合には、テレビ広告出稿量を減らしてでも、必要なターゲットにリーチするためにはオンライン動画広告に予算をシフトすることに、検討の価値があります。

リーチ最大化のとは別の論点として、テレビと動画広告のリーチを重ねることで、広告内容をより消費者の頭の中に残してもらうという視点もあります。

テレビだけ、オンライン動画広告だけではなく、テレビとオンライン動画広告の両方で広告に接触することで、広告内容をより印象づける意図です。これは何人に届くかというリーチの観点に加えて、広告の効果も含めて考えるという量と質の話です。

★  ★  ★

今回のエントリーで言いたかったのは、
  • 「自社の製品やサービスは、どのくらい人数規模の生活者をターゲットにしたものなのか?(リーチすべき生活者は何人なのか?)」という、マーケット想定に基づくリーチの視点がまずあり、
  • それを基に、テレビやオンラインなどの各メディアの使い分けの議論を
ということです。


2015/08/26

Google が全社員に求めるリーダーシップとは




「How Google Works (ハウ・グーグル・ワークス) ―私たちの働き方とマネジメント」。この本は、これまでのグーグルの組織論、人という観点からグーグルがどのようにマネジメントをしているかが紹介されています。

採用基準として、グーグルは4つの評価基準を持っています。セールス、財務、エンジニアリングの主要3部門のいずれにおいても共通します。本書によれば4つのカテゴリーとは、
  • リーダーシップ:自らの職務あるいは組織でリーダーシップを発揮した経験のほか、正式なリーダーに任命されていなくてもチームの成功に貢献した実績が含まれる
  • 職務に関連する知識:与えられた役割で成功するのに必要な経験や経歴。エンジニアリング部門の候補者については、コードを書くスキルや得意とする技術分野も確認する
  • 全般的な認知能力:学業成績よりも候補者がどのようなモノの考え方をするか。どのように問題を解決するか
  • グーグラーらしさ:候補者にとってグーグルが輝ける場所かどうか。曖昧さへの許容度、行動重視の姿勢、協力的な性向があるか

4つの評価基準において個人的に興味深かったのが、リーダーシップでした。特に「正式なリーダーに任命されていなくてもチームの成功に貢献した実績」も問われる点です。

グーグルが求めているのは、業務においてリーダーを経験したかどうかだけではありません。(正式な)リーダーという立場ではなくても、リーダーシップを持って行動できるかどうかです。

私自身の経験からも、例えばプロジェクトチームにおいて、リーダー以外の各メンバーが主体的に動いてくれるかどうかは、チームを活性化し、プロジェクトの成功に大きく影響します。

リーダーはプロジェクト内の全体像を俯瞰する立場です。各メンバーが担当する細かいところまで全てを、リーダーが把握することは現実的ではありません。

各メンバーの担当範囲は、その人が一番詳しいはずで、その領域においてはリーダー的な存在です。正式なリーダーというポジションではないものの、実際としてリーダーのような行動が求められます。

それは、他者を積極的に巻き込むことであったり、問題が起これば、まずは何が問題かをはっきりさせること。明確にした問題点に対してどうやって解決をするのか。自分一人ではなく、誰かと他のチームと協業する必要があれば自ら動く。解決策の実行と結果に責任を持つこと。

これらのことが、指示をされてからやるのではなく、自然と自らが主体となって行動できる態度です。

こうした行動が、過去の業務において具体的にどのようなものであったか。それらが実際にチームの成功にどう貢献できたか。グーグルの採用基準として問われるリーダーシップです。

チームにおいては、正式なリーダーは一人ですが、メンバー全員がリーダーシップを持っていること。絶え間ないイノベーションを起こす意志を強く持ち続けているグーグルは、こうした組織が必要不可欠であることを知っているのでしょう。




2015/08/22

書評「憲法主義 (条文には書かれていない本質)」(南野森 / 内山奈月)




「憲法主義 (条文には書かれていない本質)」という本が、興味深く読めました。

著者は憲法学者の南野森氏と、AKB48メンバーの内山奈月氏です。南野氏が講師、内山氏が生徒として、2人での講義という形で書かれています。以下は本書の紹介からの引用です。
もしも国民的アイドルが、日本国憲法を本気で学んだら……。

日本武道館のステージで憲法を暗唱して聴衆を沸かせた高校生(当時)アイドルが、気鋭の憲法学者による講義をマンツーマンで受けた結果、日本一わかりやすい憲法の入門書ができました!

とはいえ、「人権論」から「統治機構論」へと展開する本書の内容は、かなり本格的なもの。「表現の自由」が憲法全体に果たす役割の重さには驚きを禁じえません。また、恋愛の自由、パパラッチの問題など、アイドルなら気にせずにはいられない事象についても、真正面から論じています。

■憲法が対象としているのは国家権力

本書からは現代の憲法についての基本的な考え方を学ぶことができました。基本的なことなのに、これまで理解していなかったことにあらためて気付かされました。

そのうちの1つが、憲法の「名宛人」は国民ではなく国家権力であること。

名宛人、すなわち、憲法によって規定される対象は政治家などの国家権力なのです。憲法の内容を守らなければいけないのはあくまで国家権力であり、(国家権力ではない)国民は憲法を守らなくてよい。国民が守らなければいけないのは法律です。

憲法の名宛人が国家権力であることは、日本国憲法の第10章 最高法規における第99条で、以下のように謳われています。
第99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

そもそもの憲法の目的は、国民の人権を保障することにあると本書では指摘されます。

歴史的な経緯として、国民を支配する最高権力(国王など)を憲法によって縛りをかけました。憲法の範囲で制限をかけることで、国民の人権を守るのです。

本書のタイトルは「憲法主義」です。別の表現として本書では「立憲主義」を言っていて、憲法を政治の根本に据えることです。憲法の範囲で国家権力を制限し(国民を守り)、憲法によって国家を運営していく主義です。

■日本国憲法は改憲されるべきか?

本書で取り扱われているテーマで、最後に議論されていたのが日本国憲法を変えるべきかどうかでした。

議論としては、確かに2015年現在の日本国憲法は、GHQ が草案をつくり、日本側で修正をされてできあがった経緯があり、日本国民がつくったとは言えないこと。改憲派の意見として、GHQ から押しつけられたものではなく、日本人が自分たちの憲法をつくるべきという考え方が紹介されます。

その一方で、著者の1人である憲法学者の南野氏は、憲法の価値として、2015年現在でほぼ70年を今の憲法でやってきていること、憲法が根付いており国民の多くが憲法を受け入れていること、何より、憲法に従って実際に日本という国が運営されていることを指摘しています。

この指摘はそうだとして、個人的に思うのは、論点として1つ大事なことが抜けていることです。

「誰がつくったか」「現在において憲法が受け入れられている」ことの他に、今の憲法が「当時どのような国の状況でつくられたか」です。

すなわち、日本国憲法が施行された1947年5月3日当時は、敗戦国である日本は連合国軍の下で占領化にあった状況です。占領という国として主権がなかった状態でつくられ、施行された事実です。

日本国憲法は占領が前提となっていると見ることができる文言があります。象徴的なものは、日本国憲法の前文です。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。

「平和を愛する諸国民」とは、アメリカやイギリスなど第二次世界大戦の戦勝国である連合国を指していると読めます。これら諸国民に自国の平和を依存することを、憲法の前文で宣言しているのです。

他国に国の安全を委ねるとともに、第九条の第二項では「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と、日本の国家権力を縛っています。

草案を GHQ がつくり、現在の日本国憲法は GHQ 草案をベースにしています。これが意味するのは、GHQ が日本の国家権力を縛り、それが2015年の今現在も続いているということです。

本来は国民が主権を発動し、自分たちの人権を守るために憲法によって国に制約をかけるべきものです。しかし、日本国民ではなく、GHQ がそれをやった状態が今なお継続されています。

日本が国として主権がなく占領された状態を前提にしてつくられた憲法は、その前提を見なおすところから始めるべきだと思います。

もちろん、今の憲法の内容の全てを変える必要はありません。本書で指摘されているように、今の憲法をもとに各種法律がつくられ、憲法と法律をもって現実に国が運用されています。いったん憲法を無効にし、あらためて新しい憲法としたとき、その中身の多くがこれまでと変わらないことでよいと思います。

ただし、少なくとも占領が前提となっている部分は、独立国家を前提にしたものに変えるべきと思います。




2015/08/19

書評「聞き方の技術―リサーチのための調査票作成ガイド―」(山田一成)




アンケートの質問は奥が深い、とあらためて考えさせられた本が「聞き方の技術―リサーチのための調査票作成ガイド―」でした。
あいまいな回答が返ってこない質問はどのようにしてつくる?マーケティング・リサーチャーのみならずビジネスピープル一般に欠かせない的確な調査票作成のツボを、実務に即して手取り足取り解説する待望の解説書。

■ウソが混じっているかもしれないデータをどう扱うか

この本の帯には「回答者はウソをつく!?」と書かれています。

確かにアンケート回答者が嘘をつく可能性はあります。しかし、本書を読み進めると、それよりも大切な視点を気付きとして与えてくれます。以下は本書からの引用です。
ウソがあるかもしれない調査データを、どのように扱ったらよいのでしょうか。 (中略)

問題にすべきなのは、ウソがあること自体ではなく、ウソが混じっているかもしれないデータから、どうすれば意味のある情報や役に立つ情報を取り出すことができるか、ということなのです。

ポイントは、アンケート結果データで問われるのは、(ウソをつく可能性がある)回答者側ではなく、アンケート実施者/分析者側にあることです。

もちろん、理想としてはウソのない回答データであることです。ただ、現実的にウソやバイアスのないデータは存在しないと言ってよいでしょう。であるならば、この現実の中で分析者はデータの集計結果から何を読み取るか。ここが問われます。

一人のリサーチャーとして自分が大切にしたいと思っているのは、アンケートなどの調査データに「答えそのもの」を直接に求めないことです。

アンケート結果データから、アンケート実施者は自分の知りたいことを見つける。想定と違うことに驚き、そこからまた新しいアイデアや仮説を発見する。

対象者に聞いて答えを出してもらうのではなく、答えを見つけ出し、何かしらの発見をするのはあくまで自分だと思っています。

■アンケートを「回答者とのコミュニケーション」と捉える

本書に書かれていた、アンケート調査について印象的だった考え方がありました。
調査は言葉を介して行われる回答者とのコミュニケーションです。従って、フェイス・トゥ・フェイスのコミュニケーションと同様、さまざまな誤解やすれ違いがあって当然だと思わなければなりません。そして、それに気づくところから、リサーチャーの本当の仕事が始まります。
アンケートを「コミュニケーション」と捉えることで、質問のつくり方の意識も変わります。普段の自分と誰かとの会話で、言葉や態度に失礼がないようにするのと同じです。

アンケートにおいても、不適切な表現やわかりにくい書き方、相手への尊重なき言い方は、アンケートを回答者とのコミュニケーションとすることで避けることができるのではないでしょうか。

■バイアスをあえて発生させる誘導質問

人と人とのコミュニケーションにおいて、一方が相手の受け答えをあえて誘導することが起こりえます。

アンケートにおいても同様です。これに該当するのが誘導質問 (leading question) です。本書では誘導質問を次のように説明します。
「誘導質問とは、回答者に回答者自身が思っていることとは異なる回答をさせやすくする質問である」。また、回答者の視点から見ると、こうした誘導質問は「質問者や質問者の意図をうかがい知れるように思われる質問」であると同時に、「どう答えるかが、あらかじめ決まっているように思える質問」でもあります。

本書で紹介されている誘導質問は、例えば以下のような設問です。
このサプリメントには脂肪を燃やす成分が含まれており、ダイエットにもよいといわれていますが、あなたは今後、飲んでみようと思いますか。

アンケート調査として問題なのは、質問文に、サプリについてのポジティブのみの情報が入っていることです。これにより「あなたはこのサプリメントを今後、飲んでみようとおもいますか」に比べ、飲んでみたいという回答を誘導させる設問になります。

誘導質問は私たちの身近なところでも見かけます。例えば、マスコミによる世論調査です。特に、政治からみの調査。

朝日新聞社が2015年1月17-18日に行った世論調査で、次のような質問がありました。
民主党に、自民党に対抗する政党として、立ち直ってほしいと思いますか。そうは思いませんか。
世論調査―質問と回答〈1月17日、18日実施〉:朝日新聞デジタル

「自民党に対抗する政党として」という文言が入ることで、「立ち直ってほしい」という回答を誘導しています。

読売新聞では、2015年6月5-7日実施の世論調査の中の安保関連法案への質問として、以下のような聞き方をしています。
安全保障関連法案は、日本の平和と安全を確保し、国際社会への貢献を強化するために、自衛隊の活動を拡大するものです。こうした法律の整備に、賛成ですか、反対ですか。
「内閣・政党支持と関連問題」 : 特集 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

朝日と読売は政治思想は逆ですが、自分たちの主張に沿った回答を得ようとしている点は共通しています。

世論調査の全てにおいて、このような誘導質問があるとは言いません。とはいえ、世論調査を見る上では数字の結果だけではなく、どういう方法で聞いているのかに注意が必要です。




2015/08/15

書評「エスキモーに氷を売る」(ジョン・スポールストラ)




マーケティングの本でおすすめの1冊が「エスキモーに氷を売る―魅力のない商品を、いかにセールスするか」です。

本書の商品説明からの引用です。
なかなかおもしろいタイトルだが、その内容は営業のノウハウというよりは、マーケティングよりである。

著者のジョン・スポールストラは、NBA(全米バスケットボール協会)で観客動員数最下位だったニュージャージー・ネッツを、27球団中チケット収入伸び率1位にまで導いた人物である。

本書の魅力は、このスポーツビジネスを通して彼が商品を売るためにとった数々のマーケティング手法を、そのドキュメンタリーのなかで学ぶことができるところにある。

サブタイトルは「魅力のない商品を、いかにセールスするか」。本書ではそれが NBA チームのニュージャージーネッツでした。著者はネッツの社長兼 CEO として、マーケティング施策を展開します。

その内容は奇をてらったものではなく、基本に忠実に1つ1つを実行していった印象を受けました。

■魅力のない商品に付加価値を

顧客にとって、自分たちが提供するものにどのような価値があるかを明らかにすること。これが本書の一番最初に書かれている内容です。

ネッツの場合は、自分たちの対戦相手でした。対戦相手が人気チームで、マイケル・ジョーダンやシャキール・オニールなどの NBA を代表するスターがいるチームを、ネッツのホームゲーム観戦で見られることに価値を見出したのです。

著者の言葉を借りれば「ネッツを売り込むのではなく、対戦相手を売ろうとした」わけです。

他にも興味深かった付加価値事例は、知名度の高い講演者のゲストスピーチをバスケットの試合前に行ない、講演 + バスケットゲームをセットにしたチケットでした。講演の追加料金は不要にし、対戦相手に魅力がないゲームでもゲストスピーチという付加価値を売ったのです。

結果は完売。著者曰く、講演者がネッツや対戦相手の魅力がないことを目立たなくした、とのこと。

もう1つ、おもしろいと思ったのは、値下げではなく別の価値をつけて価格を維持するやり方でした。同じコストでも値下げに使うのではなく、別のものを追加することにお金を使うアイデアです。

具体的には、チケットを値下げするのではなく、帽子やバスケットボールなどのネッツのグッズをチケットと一緒に売る。値段はチケットだけのときと同じです。もちろん、チケット +α でも赤字にはならない範囲でです。

■誰に売るか

ターゲットにした顧客は「ネッツに関心のある人たち」でした。著者はこのセグメントを重視し、「ただ一つのセグメント」と表現します。

著者がネッツの社長に就任した当時、前年のシーズンチケット購入者リストが社内でデータベース化がされていませんでした。

そのため、過去にチケットを買ってくれた顧客であるにもかかわらず、アプローチがうまくできなかった。この状況に対して著者は、既存顧客一人ひとりにあと少しだけ買ってもらうという「カンフル策」が大切だと説明します。

顧客を新規顧客と既存顧客に分けたときに、まずは既存顧客に適切にアプローチをすること。「誰も欲しがらない商品」に対して、
  • 顧客にとっての価値を見出し、買わずにはいられない商品にする
  • 顧客が買いたがる商品だけを売るように努めよ
  • 顧客が買いたがるより少しだけ多く売るように努めよ

一方で新規顧客に対しては、社長自らが率先して動いたエピソードが紹介されます。ただし、既存顧客に対して新しい顧客を獲得するのは難しいと言います。時にはクレイジーな予算も投入する必要性を説きます。

■投資対効果を常に見る

著者が本書で何度も強調していたのは、その費用コストや投資に対して、何ドルの収益を得られたかを明らかにすることの重要性でした。

1ドルの投下に対して、直接の収入が何ドル得られたのか。

マーケティングアイデアに対して、まずは小さく実行し投資対効果を見る。例えば、広告掲載費用1ドルに対して少なくとも4ドルを超えれば、実施規模も大きくする、といった投資判断です。

★  ★  ★

本書のタイトルは「エスキモーに氷を売る」です。この表現はあくまでたとえで、エスキモーや氷そのものをどう売るかのことは本書では書かれていません。(本来はイヌイットと表現すべきですが、このエントリーでは本書に合わせてエスキモーとしています)

ポイントは、相手にとっては一見すると何の価値もない商品を、そのまま無理やりに売るのではなく、顧客視点で価値をつくり、それを魅力と思う顧客に適切にアプローチする。

そんなエピソードが書かれている本です。やり方はマーケティングの基本に忠実です。だからこそ、読み手にとって応用の効く内容になっています。

最後に1つ。マーケティングのたとえとして「エスキモーに氷を売る」と似た表現で「エスキモーに冷蔵庫を売る」があります。

冷蔵庫のほうは何を意味しているかというと、冷蔵庫に入れておけば凍らないことに価値があるというもの。例えば、生の肉を凍らせずに新鮮なまま冷蔵庫で保存できる価値です。

北極圏は普通にモノが凍るほど寒い世界なので、その環境下での冷蔵庫の価値は、私たちの冷蔵庫への利用価値と違うのです。

「氷を売る」「冷蔵庫を売る」はそれぞれ違ったマーケティングの意味をたとえで表しています。ただ、顧客視点で価値を提供するという本質は共通しています。




2015/08/12

書評「おじいちゃん戦争のことを教えて―孫娘からの質問状」(中條高徳)

日本の学校の歴史教育は、第二次世界大戦とその前後について、詳細に教えられる機会は少ないのが現状です。少なくとも自分自身が習ったのはそうでした。多くの人が同じ状況ではないでしょうか。




日本の近現代史を知るために、興味深かった1冊が「おじいちゃん戦争のことを教えて―孫娘からの質問状」でした。

本書は、おじいちゃんこと 故 中條高徳氏が孫娘に宛てて、自身の戦争への体験や意見/思いを手紙を通して伝えていきます。

孫娘は当時ニューヨークに住む高校生。歴史のクラスで太平洋戦争を勉強するため、おじいちゃんに手紙を送りました。

その手紙は「戦争の捉え方や体験は国によっても違いがあるはず」との学校の歴史教師からの考えを受け、戦争を体験した祖父への孫娘からの質問状でした。
  • おじいちゃんの生まれたころの日本は?
  • アメリカとの戦争は正しかったと思う?
  • 極東軍事裁判について、どう思う?
  • 戦後の社会を見て思うことは?
  • 天皇について、おじいちゃんの考えは?
  • 日本のこれから、そしてアメリカとの関係は?

祖父は自らの人生を振り返り、孫娘の問いに1つ1つ丁寧に応えていきます。

本書を読んで印象深かった指摘を2つ。①自国の国益という視点から歴史を捉えることの大切さ。②歴史の、特に戦争の教訓を活かすために、どう考えればよいか。

国益の観点から歴史を見ることについて、本書から引用です。
大正から昭和のはじめにかけての各国の動向を見ると、だれにでもわかるのは、どの国も自国の国益を最優先にしているということである。国民国家は自国の国民の安全と財産を守るためのシステムなのだから、国益最優先が行動原理となるのは当然なのだ。これはいい悪いの問題ではなく、国際社会に働く力学の現実なのである。その点では日本もアメリカも例外ではない。

だから、二つの国の利益が相反したとき、一方にとっては正義でも、その正義は相手国にとっては正義ではない、ということが起こる。これもまた、当然のことだ。

実はこのようなことは常識以前の常識であって、いわずもがなのことなのだ。それをあえていわなければならないのは、戦後の日本にはあまりにも国益を無視した議論が多いからである。日本の国益にとってどうだったのかという視点を欠いたまま、近現代史を論じることが非常に多い。これでは歴史的事実を認識するのに、リアリティを欠くというものだ。

次に、歴史の教訓を活かすために、どう歴史を捉えればよいかについての引用です。
戦争の正邪は軽々しく判断すべきではないし、またできるものではない。

ただ一つ、確かにいえることは、戦争はあってはならないものだということだ。勝つにしろ負けるにしろ、戦争がもたらすものは悲惨でしかないからだ。

大切なのは、正しかったか悪かったかを考えることではない。結果にとらわれず、その中身を一つひとつ正確に吟味して、いいはいい、悪いは悪いときちんと整理をつけて把握することだ。そうしてこそ、歴史に学び、その教訓を未来に生かすことができる。

あってはならない戦争を、日本とアメリカはやったのだ。その責任は日本とアメリカの双方にある。日本は中国大陸に戦線を拡大して誤った。アメリカは日本を戦争以外の選択肢がないところに追い込んで誤った。双方がそういう過ちを犯したのだということをきちんと認識しなければならない。

ところが、結果からものごとを見てしまいがちな人間の性向で、戦争に関して日本はすべてが悪かった、アメリカはすべてが正しかったと考える傾向が確かにある。特に日本はその傾向が強い。

これではいけない。戦争の教訓を真に生かすことはできない。

景子が誤解しないように再度いっておくが、おじいちゃんは決して戦争を讃えているのでも肯定しているのでもない。きみも感じていると思うが、いまの日本人は過去の戦争については自虐に陥っている。総理大臣すらが自虐的になり、こと戦争に関係することになると「お詫び外交」一辺倒になってしまう。

詫びなければならないものは、素直に詫びなければならない。しかし、日本はすべて悪かったととらえて、ただただペコペコと頭を下げるばかりなのは、歴史を正しく認識しているとはいえない。むしろ、歴史に対する冒瀆である。自分が生まれ育った国に唾するものである。

いうべきことはきちんと主張しなければならない。そうでなければ、国益を損なってしまう。

著者である 故 中條高徳氏は、孫娘からの質問に真摯に応えています。本書の内容は、ある一人の歴史観であり、異にする考え方をする人もいることでしょう。

それでも、本書は戦中/戦後を生きた方の貴重な情報、考え方や歴史の見方を示してくれます。

(当時の)国益の観点から歴史を見ること、日本だけではなく相手国の視点に立ってみる、全てにおいて日本が悪かったのか(アメリカは正しかったのか)ではなく、双方に過ちがあったのではないかという見方。このような視点の重要性に気付きを与えてくれます。

1人でも多くの人に読んでもらいたい1冊です。




2015/08/08

書評「ぼくらの真実」(青山繁晴)




青山繁晴氏の書籍「ぼくらの真実」が興味深かったのは、拉致問題、北方領土問題、竹島問題、小笠原諸島と伊豆諸島の赤珊瑚密漁問題等、これらが解決しない理由は、根本のところでつながっているという指摘でした。

行き着くところは日本国憲法です。

以下は本書からの引用です。
憲法といえども、人間の所業です。わたしたち日本国民は、自らの手で本物を造り直さねばなりません。

本物の憲法を作らないから、一の扉で見たように、主権を自ら否定した憲法のままになり、国民を護るという、国家のいちばんの基本が遂行できないでいる。そうだから日本はまだ、独立した主権国家ではない。

この負のサイクルをぐるぐる回っていたのが敗戦後のわたしたちだったのではないでしょうか。

その結果として、拉致被害者という名の罪なき犠牲者を同胞、はらから出してしまい、竹島と北方領土は奪われたままであり、尖閣諸島と沖縄本島を危機に晒し、小笠原諸島と伊豆諸島でみんなが協力して育んできた豊かな珊瑚の自然を強奪されてしまいました。

ぼくは小学生の頃、「日本はどういう憲法であっても、実際に国民が奪われたり、国土を侵略されたりすればちゃんと動くんだろう」と勝手に考えていました。

ところが実際には、近隣の国々によってとっくにたくさんの国民が奪われ、侵略もされている。だから小笠原諸島と伊豆諸島でのたった今の危機も起きる。すなわち、これからも起きる。このままでは子々孫々にも起きるということです。

■日本国憲法と、その原案である GHQ 案から見えてくる日本の位置づけ

本書を読んであらためて知ったのは、マッカーサーら GHQ から日本に提示された CONSTITUTION OF JAPAN (日本の憲法)の存在でした。2015年現在の日本国憲法の原案です。

GHQ 原案と今の日本国憲法の2つを比較することで、日本がアメリカを中心とする連合国に敗戦し、占領期における日本の位置づけが見えてきます。

日本国憲法の前文には次の一文があります。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。

後半部分について、GHQ 原案には以下のように書かれています。
we have determined to rely for our security and survival upon the justice and good faith to the peace-loving peoples of the world.

本書の著者である青山氏は、次のように指摘します。
日本国憲法の前文は、このアメリカ製の原案を直訳したものだと、あまりにも明白に分かってしまいます。

そのうえで、客観的に言えば誤魔化し、あるいは苦しい工夫も日本文には含まれています。アメリカ製原文を現代の分かりやすい日本語に訳してみましょう。

「わたしたちの安全(セキュリティ)と生存(サバイバル)は、世界の平和を愛する諸国民の正義と善意にお願いすることを、もはや決めてしまいました」

現憲法では「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とあります。

自らの安全と生存を「保持しよう」と決意したのところが原案では、国の安全保障を外国の国民に「頼る」としています(rely upon)。

そのまま解釈すれば、国家としての最も基本的な機能である安全を保障し生きていくことを、外国の人たちに「依存していく」と宣言しているのです。

ここに、GHQ 原案には憲法によって日本を武装解除する意図が読めます。

同じことが憲法九条にも見て取れます。憲法の二章「戦争の放棄」は以下の九条のみで構成されています。
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

第二項での GHQ 原案は、次のような書き方がされています。
No army, navy, air force, or other war potential will ever be authorized and no rights of belligerency will ever be conferred upon the State.

陸海空軍その他のいかなる戦力について、日本国憲法では「保持しない」と表現しています。一方の GHQ 案では「承認されない(authorized)」と書かれています。

陸海空軍だけではなくその他の戦力とあるように、日本はいかなる戦力も持つことが許されない。敗戦後の占領期当時の日本の位置づけが見えてくる言い方です。日本を徹底的に武力解除するためです。

青山氏は次のように指摘します。
その他の戦力も、となると「その他」の定義が何も無いだけに、とにかく日本国には国民がどんな目に遭っても戦う手段が一切無い、軍隊だけではなく何もかも無いということになります。

では一体、日本はどうやって国民を護るのでしょうか。

この素朴にして根本的にして恐ろしい問いへの唯一の答えが、百三条もある憲法のどこにも無くて、本文ではない前文に、どこの誰ともしれない「諸国民」の、それも実態が何ひとつ無い「公正と信義」に頼れとあるだけです。

これがなぜ「平和憲法」でしょうか。

(中略)

言葉を失うようなことが明記されているのは、平和を目指す憲法ではありません。

なぜか。それで平和は築けないからです。現に、日本国民が数多く北朝鮮という外国によってさらわれているではないですか。

平和を実現できないことがとっくに、胸を張り裂けるような犠牲によって実証されている憲法を、なぜ平和憲法と呼び続けるのか。

日本国憲法は、平和憲法ではなく、仮に日本を武装解除した憲法です。

日本が国ではなかった占領下で作られ、公布され、施行されたことと、この事実はしっかりと符号しています。

■日本は主権国家ではなく「独立していない」

本書は「日本は独立していない」という話から始まります。

日本国憲法の第九条に「国の交戦権は、これを認めない」とあります。「日本国にはいかなる場合にも戦う権利がない」ということであり、例えば北朝鮮による日本人拉致被害者を取り返しにいけないのはそのためです。

地球には200近い主権国家があり、その全てに交戦権があります。交戦権がないと国は国民を護れないからです。

それをあらかじめ放棄しているのなら、主権国家ではない。主権国家とは、独立して自らの国家意思で国民を護る国のことでだから、日本は独立していない。

冒頭でのこういった展開はあらためて考えさせられます。

交戦権は戦争をしたいからではなく、国民を護るためにこそあります。しかし、日本は憲法により交戦権を否定しているため、中国のサンゴ密漁の漁船団が侵入しても、竹島や北方領土で日本人が殺されても何もできません。

こうした「真実」にこそ目を向け、ぼくたち一人ひとりはどう考えるか。

本書「ぼくらの真実」では、一方的に著者 青山氏の意見が押し付けられることは決してなく、読者一人ひとりに問いかけられています。




2015/08/05

ランニングを始めたことで変わった身体のトラッキングデータ




先月(2015年7月)から、ランニングを始めました。

毎朝30分弱くらい近所の公園や道路を走っています。朝の決まった時間帯に走ることで、ランニングを日課として続けることができそうです。

これまでは1日あたりの歩数は 1万歩前後でした。走った分が上乗せされ、16,000 - 17,000 歩くらいで推移するようになっています。

歩数の測定は Withings Pulse を使っています。

歩数だけではなく距離も計算され、1日あたり 15 km 程度のようです。

2015/08/01

リサーチが役立つのは顧客の経験や意見を聴くときである




「エスキモーに氷を売る―魅力のない商品を、いかにセールスするか」という本の中に、マーケティングリサーチについての言及がありました。

「リサーチにだまされない」と題する章において、次のように書かれています。
これが、私が、リサーチに役に立つと考えているタイプの分野である。つまり、商品あるいは経験について現在の顧客にリサーチするというものである。

(中略)

リサーチが役立つのは、顧客の経験や意見をはかるときである。

この考え方は、私自身も経験から同意するものです。(マーケティングリサーチが有用な領域は、既存顧客の声を聴くこと「だけ」ではないと思いますが)

自分たちが提供する自社商品/サービスのこと、特にどういうものかは自分たちが一番わかっているものです。商品の仕様やどのようにつくられるかなど、売っている側なので商品知識は豊富です。

一方、その商品の使い方や利用シーンは、時に商品提供側では想定していない使われ方がされることがあります。このような商品提供側では見えていないことについて、顧客からの直接の声を集める手段として、リサーチは有効なのです。

いつ・どこで・どんな状況で使われるのかの利用シーンを把握することは、顧客が得るベネフィット(価値)を探ることでもあります。

先ほどの引用にあった「リサーチから顧客の経験や意見を知る」こととは、すなわち、顧客が自分たちの提供する商品/サービスの何に「価値」を感じているのかを知ることです。

自分たちが提供しているモノの、具体的にどんな点に顧客は価値を見出しているのか。

私が思うリサーチの魅力は、「価値」を顧客自身の声/言葉で知ることができることです。特に、インタビュー調査やアンケートの自由回答(フリーアンサー / open-ended question)をうまく活用すれば、顧客の生の声を集めることができます。

ただし、リサーチデータを分析したり結果を活用する立場で注意すべきことは、「顧客の声 = 答え」とは必ずしもならない点です。

顧客に聞けば、何でも答えがわかるわけではありません。むしろ、顧客の声を自分がどう解釈し、何を示唆として得るのか。得られたインサイトをいかに活用するか。ここにリサーチの難しさと、何よりおもしろさがあると思っています。




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多田 翼 (書いた人)