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マーケティングリサーチ (市場調査) についてです。リサーチャーの使命や大切にしたい姿勢を考えます。
エントリー内容です。
- 市場調査の役割。調査によって提供されるもの
- 知的生産物の品質をどう高めるか
- 不都合な真実への向き合い方
市場調査の役割
確率思考の戦略論 - USJ でも実証された数学マーケティングの力 という本に、市場調査部の役割が書かれています。
以下は、本書の該当箇所からの引用です。
市場調査部の思想
市場調査部の組織もその構成員も、最も大切な思想は 「真実を追求する」 ことです。
社内には様々な個人の利害や部門の利害のベクトルが織りなしています。また、市場調査部に属している個人も、自分自身の利害や、自己のエゴ、社内政治の影響等からは完全に自由にはなれません。
そのようなバイアスによって情報を真実から曲げてしまうことがあれば、その市場調査部は、会社の意志決定中枢に対して幻覚を見せている壊れた感覚器のようなものです。先に述べた調査部の目的を果たせないのです。
(引用:確率思考の戦略論 - USJ でも実証された数学マーケティングの力)
市場調査部の大切な姿勢は、「真実を追求すること」 です。
では、真実とは何でしょうか。本書からの引用を続けます。
「真実は何か?」 というのは、実に困難な質問なのです。
分かっていることと分かっていないことを、明瞭に分けなければなりません。事実 (Fact) と推論も、明瞭に分けなければなりません。
(引用:確率思考の戦略論 - USJ でも実証された数学マーケティングの力)
調査によって提供されるもの
ここからは、上記で引用した内容から私が思ったことです。
マーケティングリサーチャーの役割は、マーケティングへの意思決定に貢献する知的生産物を提供することです。知的生産物とは、調査レポートなどのアウトプットです。
調査レポートの構成で重要なのは、事実と意見を分けることです。
さらに、意見は二つの段階があります。解釈と提案です。事実をマーケティングの問題解決の文脈に照らし合わせてどう解釈するかと、解釈からマーケティングの問題解決のための提案です。提案とは、例えばマーケティングへのアクションに対する示唆です。
知的生産物の品質をどう高めるか
では、どうすれば調査レポートなどの知的生産物の品質を高められるのでしょうか?
私が考えるポイントは、以下の3つについて明らかにすることです。
- 調査レポートの受け手は誰か
- 受け手が知りたいことは何か (何に答えを出すか)
- 知りたいことは何のために使われるか
以下、それぞれについての補足です。
1. 調査レポートの受け手は誰か
レポートの読み手は調査の依頼主です。しかし、読み手は直接の依頼主だけとは限りません。
調査結果を求めているのはその背後にいるキーパーソンの可能性もあります。最初に明確にすべきことは、調査レポートの本当の受け手は誰かの具体化です。
調査データから集計・分析をし、考察や提言を加えた調査レポートをつくるにあたって、誰に読んでもらうかによってレポートの構成が変わります。価値のある知的生産物をつくるために、受け手を明確にすることが大切です。
2. 受け手が知りたいことは何か (何に答えを出すか)
ターゲットとなる受け手が調査から何を知りたいかを見極めます。どのようなビジネスの問題に対して、調査からどんな答えや示唆を出すかです。
受け手が知りたいことを明確にするには、現時点で相手が何を知っているかを理解することが第一歩です。
すでに知っていることを調査から提示しても、受け手にとっては今さら価値はありません。相手がまだ知らないことで、かつ、その情報が相手に役に立つかどうかの見極めが重要です。
3. 知りたいことは何のために使われるか
調査を実施し、事実・解釈・提案が入った調査レポートがどう使われるかです。
相手が知りたいことは、何のために活用され、受け手にとって具体的にどう有益なのかです。アウトプットの実際の利用シーンがイメージできるかどうかです。自分が作り出す知的生産物の価値を具体的に把握することが大事です。
不都合な真実への向き合い方
調査では、自分たちや調査依頼主にとって都合が悪い結果が出ることもあります。いわば不都合な真実です。
そうした時に大切なのは、ポジティブではない結果だからこそ、なぜそうなったのか、今後どう活かすかなど、不都合な真実に向き合うことです。
結果が自分たちに都合が良い時だけ使い、そうでないものをオープンにしないのは本末転倒です。
たとえ調査結果が自分たちにとってネガティブであったとしても、調査の依頼主には正確に伝えるのが調査担当者としての誠実な態度です。調査をした以上は事実として、担当者は責任を持ってその結果を出すべきです。
調査は良い結果を出すことではなく、真実を知ることが本来です。