#マーケティング #目的の手段化 #顧客体験
横浜のみなとみらいで、タクシーアプリ上の 「結束バンド」 のアイコンから車を呼ぶ。車内に乗り込むと、アニメ 「ぼっち・ざ・ろっく!」 の世界が広がっている。
これは、ロボタクシーの実証実験でした。
今回取り上げるのは、タクシー配車サービスを展開する S.RIDE (エスライド) が行ったロボタクシーの実証実験です。こちらは、「目的の手段化」 という観点で読み解くとおもしろい事例でした。
ロボタクシーをエンタメ空間に変えた、S.RIDE の実証実験
はじめに、S.RIDE の実証実験の概要を見ておきます。
タクシー配車アプリの S.RIDE が、2026 年 4 月、横浜・みなとみらい地区で自動運転車両を活用したロボタクシーの実証実験を行いました。
音楽フェス CENTRAL の開催に合わせたもので、3 日間にわたって特別ラッピングをほどこした 2 台の自動運転車両が乗客を乗せて走行しました。
第 1 弾コンテンツに選ばれたのが、アニメ 「ぼっち・ざ・ろっく!」 です。ソニー・ミュージックエンタテインメント傘下のアニプレックスが、製作委員会の中心を担う作品です。
出典: PR TIMES
ロボタクシーの車内には、ソニーグループの技術が投入されました。
出典: 日経クロストレンド
27 型の空間再現ディスプレイによる裸眼立体視、立体音響システム HT-AX7 、Grid Scent (グリッドセント) という香りの提示を制御する装置、視覚、聴覚、嗅覚に訴えかける没入体験が用意されました。
自動運転技術を提供したのは、金沢大学発のスタートアップ、ムービーズです。実証実験ではトヨタのアルファードをベースに、ドライバーが同乗するレベル 2 の自動運転で運行されました。
ロボタクシーの利用者は、S.RIDE アプリ画面右上の 「結束バンド」 のアイコンをタップして、「ぼっち・ざ・ろっく!」 の限定車両を呼び出す仕組みです。
「目的の手段化」 という発想
では、今回の S.RIDE のロボタクシー実証実験から学べることを掘り下げましょう。
冒頭でも少し触れましたが、「目的の手段化」 という観点で読み解いていくとおもしろい事例です。
S.RIDE は実証実験を 「手段」 に変えた
S.RIDE にとって、ロボタクシーの実証実験は本来 「目的」 にあたるものです。
将来的なレベル 4 の完全自動運転を見据えて自動運転車両を走らせ、配車から走行までの仕組みを試すことが目的です。これだけで実証実験として成立します。
しかし S.RIDE は、その実証実験そのものを、あえて 「手段」 として位置づけたと捉えることができます。
焦点を当てたのは、アニメ 「ぼっち・ざ・ろっく!」 のファンです。好きなアニメに没入できる、ロボタクシーの中でしか味わえない体験の魅力を前面に打ち出しました。映像と音響と香りが組み合わさった車内は、ファンにとって特別な空間になります。
その結果として、ロボタクシーへの乗車そのものは、ファンが目的地に向かう途中に得られる付加価値のある体験となりました。S.RIDE 側にとっても、実証実験に被験者として参加してもらえる動機づけが生まれたわけです。
本来は 「目的」 だった実証実験が、ファンへの体験提供を実現するための 「手段」 に位置づけ直されたという構図が興味深いです。
よく起こるのは 「手段の目的化」
一般的によく見聞きするのは、逆方向の 「手段の目的化」 のほうでしょう。
例えば、マーケティングの実務でも同じことが起きます。具体的には、SNS の運用そのものを続けることが目的化してしまうケースや、公式サイトのリニューアルでは、リニューアルを終えること自体がゴールになってしまうこともあります。
施策の実行が目的になり、本来の価値創出から離れてしまうわけです。こうした状態では、活動が本来の意図から離れ、価値を生まないケースも少なくありません。
目的を手段として再定義する
よくある 「手段の目的化」 とは逆の 「目的の手段化」 とは、いま 「目的」 だと思っているものを、より大きな価値を生むための 「手段」 と再定義することです。
考え方の本質にあるのは、視野を広げることです。見ている領域を広げる。時間軸を短期から長期に伸ばす。そして、より上位の目的から全体を眺めてみる。時間や空間を広げ、時空への視野を広げることで 「目的の手段化」 を可能にします。
S.RIDE の事例に見る 「目的の手段化」
S.RIDE の事例に 「目的の手段化」 を当てはめてみましょう。
同社が見据えているのは、レベル 4 の完全自動運転が普及した先の世界です。ロボタクシーが当たり前になれば、配車アプリから車を呼べるという機能だけでは、海外で先行するライバルとの差異化がむずかしくなっていきます。
そこで時間軸を長くとり、自動運転が普及したあとに残る競争軸は何かと問い直したのでしょう。たどり着いた答えのひとつが、タクシーの車内空間そのものを 「心動かす移動体験」 の場に変えていく方向性です。
先ほど見たファン体験の提供は、この 「心動かす移動体験」 という上位の目的を実現するための、ひとつの具体的なかたちです。ファンに刺さる体験を届けるという短期の目的と、心動かす移動体験を確立するという長期の目的があり、今回の実証実験はそのどちらにとっても手段として組み込まれています。
上位の目的から眺めると、今回の実証実験は 「自動運転の技術を試す場」 という枠を超え、「車内空間の新しい価値を試す場」 として位置づけ直されます。
視野の広がりも見えてきます。技術検証だけでなく、コンテンツ IP との掛け合わせ方、ソニーグループの技術アセットの組み込み方、そして注力顧客が惹かれる動機づけまで含めて、複数の領域を同時に試す場になっています。
こうして視座が変わると、これまで中心だと思っていた技術的な実験領域が、ユーザーが体験するための 「手段」 や 「道具」 として位置づけ直され、本当の目的はお客さんが他にはない価値を見出してくれるか、自分たちが 「選ばれる理由」 をつくり出せるかということが 「目的」 に変わっていきます。
「目的の手段化」 の実践ポイント
では、今回の事例からの汎用的な学びを整理していきます。
注力顧客から価値を組み立てる
より上位の目的を実現する手段として実証実験を組み立てる。この組み立てを実際に成り立たせていたのが、注力顧客を起点にした価値設計の発想です。
注目したいのは、実証実験の被験者 (マーケティングでいえば 「顧客」 ) を、漠然とした 「一般の人」 には設定しなかったことです。
S.RIDE が定めたのは、特定のアニメ 「ぼっち・ざ・ろっく!」 のファンという注力顧客でした。
注力顧客がはっきりすると、その顧客への理解を深められます。どんなことを求めているのか。何に心が動くのか。どのような体験ならば、心から 「乗ってみたい」 と思ってもらえるのか。
そうした顧客理解にもとづいて、提供すべき価値が定義できます。今回でいえば、「ぼっち・ざ・ろっく!」 の世界に没入できる、ここでしか味わえない体験価値です。
定義された価値は、「ぼっち・ざ・ろっく!」 の世界観が再現された車内空間という具体的なかたちに落とし込まれ、映像と音響と香りを組み合わせた没入体験という価値として届けられました。
注力顧客にとって実証実験への参加のハードルは下がります。義務的に集められる被験者としてではなく、自ら手を挙げて参加したくなる魅力が、そこに用意されているからです。
注力顧客を設定し、顧客を理解し、価値を定義して提案するというマーケティングの一連の流れが、ロボタクシーの実証実験の中に見えてきます。
マーケティングへの応用
マーケティングの場面でも、目的の手段化という視点を持つことで、新しい着想が得られます。
例えばマーケティングでは 「広める」 「集客する」 「売る」 といった言葉は、通常はマーケティング施策の目的として扱われます。
これらを 「お客さんにより良い体験を届けるための手段」 として捉え直すと、マーケティングの位置づけが変わります。
そのとき出発点に置かれるのは、「誰に届けたいか」 という注力顧客の問いです。そこから顧客を理解し、価値を定義し、提案、そして価値を実現するという流れが見えてきます。
目の前の 「目的」 を 「手段」 として見直すことで、新しい景色が見えてくるはずです。
まとめ
S.RIDE の 「ぼっち・ざ・ろっく!」 ロボタクシー実証実験の事例を取り上げ、学べることを見てきました。
学びのポイントをまとめておきます。
- 「目的の手段化」 とは、いま目的としていることを、より広い価値や上位の目的を実現するための手段として見直すこと
- 視野や時間軸を広げ、上位の視座から全体を眺めることで、目的の手段化が促される
- 認知獲得、集客、販売などは、お客さんにより良い体験を届けるための手段として再定義できる
- 注力顧客の設定にはじまる顧客理解、価値定義、価値提案、価値実現というマーケティングの一連の流れが、目的の手段化を成り立たせる道筋になる

