
少し前に映画「Time」を見てきました。
■ 映画「Time /タイム」の世界

ストーリー設定は、全ての人は25歳になると(肉体的な)成長が止まる近未来で、25歳の誕生日を迎えると自分の左手には「ボディクロック」が起動します。
ボディクロックとはデジタル時計で、そこに表示される時間は自分の残された時間、すなわち余命がカウントダウンされているのです。
その世界での最も大きな特徴は「時間=通貨」です。文字通り「時は金なり」の世界で、人々は物やサービスを買うために自分の時間を使います。
例えば、コーヒー:4分、バスの運賃:2時間、1ヵ月の家賃:36時間などです。物・サービスに時間を支払うということは、自分の残りの人生の時間を差し出すことを意味します。家賃に36時間を払うというのは、余命が36時間減るということです。
余命を増やすためには仕事をすることになります。例えば、8時間働いて24時間稼ぎます。仕事をして時間報酬をもらわなければ自分の残された時間はゼロになり、その瞬間に死んでしまいます。
自分の時間を相手に分け与えたり、もらったりも可能です。自分の余命を全てボディクロックに入れておかなくても、銀行へ預けることもできます。
時間経済の世界なので、例えば物価や金利(時利?)が上がると、それだけ自分の時間を払わなければいけません。
映画ではバスの運賃が1時間から2時間に上がるなどのインフレが起こっていましたが、物価が上がるということはその分だけ人々の余命が少なるなくなることを意味します。余命という時間が通貨であるが故に、物価上昇が起こると死んでしまう人が増えることになります。
大きく見ると物価上昇の増減と人口増減が一致するような世界です。
自分の残された時間=余命が全ての人間の左腕にデジタルで表示されてて、それが現在の貨幣の役割も担います。
時間が人々の欲望の対象になっている世界は正直怖かったです。でもよく考えると、私たちの現実の世界でも誰もが余命は有限で、今この瞬間も人生の残りの時間は刻一刻となくなっています。
映画の世界との違いは、自分にはあとどれくらい時間が残っているかは知らないだけです。残された時間はあと24時間かもしれないし、50年かもしれません。
わかっているのは人は皆いつか必ず死ぬことです。そんなことをあらためて考えさせられた映画でした。
■ 時間配分の見直し
現実の世界では時間は完全にフローなものです。1秒たりともストックすることはできません。時々刻々と流れる時間で自分は何をするか、どう使うかというのはここ最近は特によく考えることだったりします。
以前のエントリー「
自分を変えた「時間配分の見直し」と「片づけ」の方法」でも少し書きましたが、2012年の今年になって自分の時間配分の見直しをしました。やったことはいたってシンプルで、
- 日々の無駄な時間を見える化
- いつ/何に無駄があるかを確認
- 優先順位づけをして「やらないこと」を決めた
の3ステップでした。やる/やらないを決めることで、本当にやるべきことの優先順位が明確になりました。
3つ目の「やらないこと」を決めた効果は思った以上に大きく、何をやらないかを決めたことで平日でも結構時間ができるものです。
特に出勤までの朝の時間配分の変化が大きく、あわせて去年より1時間ほど早く起きるようにしたこともあり、朝にまとまった時間が生まれました。その時間は読書だったり勉強だったりと、生活スタイルを変えたことで、かなり効果が出ていると実感しています。
時間が有意義に使えていると感じるし、勉強も今の仕事で必要になるものなので結構活かされています。
■ 人生の本質
映画「Time」の世界では、自分の時間を仕事で稼ぐことができました。あるいは富裕層の人々はカジノを興じることで永遠とも言える時間を手に入れていました。
しかし、私たちは自分の余命は限られています。この限られた自分の時間をどう過ごすかというのは、人生を考えた時に最も大切なことなのではないかと思います。
結局のところ、この1秒や1分、そして今日という1日をどう過ごすか、この積み重ねが自分の人生を形作るのではないでしょうか。そう考えると、いかに毎日をきちんと生活することができるかが人生の本質です。
「きちんと生活する」という中身は人によって違います。
仕事をばりばりこなす、家族と過ごす時間、遊ぶこと大切にする、などなど、どれか1つだけではないにしろ、人それぞれの価値観があり(明確に意識しているかどうかは別として)、優先順位があるはずです。
今の自分を形成しているのは、日常の習慣・生きる姿勢/考え方が積み重なったものです。過去の積み重ねが現在の自分です。こう考えると、過去は変えられないものですが、現在の自分を変えようとすることで未来は変えられるのです。
※参考情報
映画「TIME /タイム」オフィシャルサイト