投稿日 2013/07/20

ネットの本質から考える「ネット選挙活動解禁」に期待したいこと

インターネットの本質は以下の3つだと思っています。
  • 個の情報発信
  • 双方向性
  • 履歴が残る
簡単に言うと、個人やモノなどの個のレベルでネット上に情報発信ができ、情報は個々の間で双方向に流れる。また、アクセスや表示、ウェブページ自体もアーカイブされることで履歴がデータとして残る。

今回の参院選からネット選挙が解禁されました。現時点でのネット選挙解禁について考えてみます。

ちなみに、ネット選挙解禁と言っても、できるようになったのはネットによる選挙活動であり、ネットからの投票はできません。ネット選挙運動解禁で期待される効果の1つに投票率アップがありますが、ネット選挙投票もできるようになると投票率は上がるでしょう。ただ、アメリカでもまだネット投票は実現されておらず、現状では難しい印象です。個人的にはせめて投票券を往復はがきにして、はがき投函で投票できるといいなと思っています。

■個の情報発信

さて、本題。ネットの本質で書いた1つ目の「個の情報発信」。これをネット選挙解禁に当てはめてみます。

ネット選挙解禁により、各政治家が自分のホームページ、ブログ、Facebookやツイッターなどから、選挙公示後も情報発信ができるようになりました(更新できるのは投票日前日まで)。

従来であれば、公示後の立候補者の主な選挙活動は、ポスターの掲載、ビラ配布、街頭演説、選挙カーによる連呼。いつも思っていたのが、これらの活動は多くの有権者にとっては深い情報があまりわからないということ。特に接触する機会が多いボスターや選挙カーからわかるのは、立候補者の名前、所属政党、抽象的な主張くらい(街頭演説はずっと聞いていれば、その政治家は何をしたいのかはわからなくはないですが)。

つまり、政治家を選ぶための情報が選挙活動量やかけたコストの割に足りない。結局、投票する政治家を選んだ理由が雰囲気、みたいな状況になります。ポスターの感じや選挙カーの名前・よろしくお願いします連呼だけの印象から選ばれるという。

「個の情報発信」ということで期待したいのは、政党よりも政治家個人について、この政治家の主張/活動は共感できるので「この人を応援したい」という政党依存からの脱却です。支持政党とは別に応援したい政治家ができやすい環境ができるようになってほしい。そうなると、政治が身近な存在になります。政治家が主張することは社会の問題と解決なので、自分事して考えられるようになることで政治参加意識の高まり、ひいては投票率アップまで。

マスメディアに出る政治家は各党の代表、もしくはそれに近い限られた政治家だけです。ネットも選挙活動に使えることで、これまでは2割の政治家がマスメディアで8割の情報発信をしていたのが(この数字はイメージです)、多くの政治家がネット上で主張できることで、多様な意見/議論が生まれることを期待です。

■双方向性

ネット選挙解禁によりもう1つ期待したいのが、政治家と有権者の双方向のやりとりです。従来であれば、政治家→有権者への一方向でのやりとりが中心でした。有権者の声や意見がなかなか政治家サイドに届かない。政治家とのタウンミーティング(対話集会)も存在しますが、参加できる人、そもそも存在を知ることも難しかったりします。

ネットという政治家とコミュニケーションできる仕組みが増えたので、ここでも政治家を身近に感じるようになったり、政治との距離感が縮まる。結果的にネットでの双方向性から有権者の声が政治により反映されることを期待したいです。

■履歴が残る

オンラインでの活動はオフラインに比べて履歴が残りやすい特徴があります。

ネット選挙の視点で考えると、政治家のネット選挙活動にログが残ることになります。街頭演説であれば、情報としてはフローですが、演説動画をネット上のYouTube等にアップすればストック情報として蓄積されます。

政治家にとっては自分の発言や情報発信の履歴が残るので、それだけへたなことは言えない。対抗候補者の批判も根拠が求められたりなど、こうした積み重ねにより選挙活動の質の向上を期待したい。

もう1つ期待したいのは、選挙活動におけるデータ活用やマーケティング視点の取り入れです。履歴が残るということは、データとして蓄積されます。データを使って、政治家にとっては自分の選挙活動の効果を可視化できたり、分析結果から次の施策を立てる。データを使った選挙活動の仮説検証ができるようになれば、もう少し科学的な選挙活動になってほしいなと。

選挙活動におけるデータ活用は今後の課題になるし、できる政治家と取り組みをしない政治家では、支持だったり影響力の差が出てくるはずです。

■その他の期待

ネット選挙解禁について、①個の情報発信、②双方向性、③履歴が残る、の視点で考えてみました。あらためて思うのは今回からのネット選挙解禁により期待したいのは、
  • 政治家/党が身近な存在になり、より知ることで選びやすくなる
  • 有権者の政治参加の促進
  • 投票率アップ(特に若年層)

3点目の投票率については、今回はもしかすると下がるように思っていますが、これはネット選挙解禁のプラスの効果よりも、自民圧勝の各種報道や、選挙の焦点が曖昧(自民以外の等の存在感が低いように思う)などの構造的な理由で、有権者の特に浮動票層の投票率が減ると予想しています。

ネット選挙による投票率アップの効果は、明確な支持政党/政治家がいない浮動票だったり、支持政党はあるけど投票に行くのが面倒と思っている人たちに対して、投票所に行ってもらう点にあると思っています。

アメリカ大統領選では、オバマの奥さんであるミシェル夫人がツイッターのダイレクトメッセージで「投票に行きましょう」というメッセージが有権者に送られたとのことで、ファーストレディから直接そう言われれば効果も大きいと思いました。オバマに入れてください、ではなく投票に行こうという呼びかけ方もうまい。

ネットでの選挙活動が一般的になると、ネットとマスメディアの役割もこれまでとは違うものになるはず。マスメディアの報道がネットでの政治家の活動の後追いになるのではなく、マスメディアならではの、各種争点の整理だったり分析が報道されれば、ネットvsマスメディアではなく、ネット&マスメディアとお互いが補う構図です。

今回の参院選で日本でもようやくネット選挙解禁がされました(公示後〜投票日前日)。初のネット選挙ということで、ネットでできること、課題も見えてきます。投票が終わり選挙結果が出れば、ネット選挙活動が終わりではありません。政治家にとっては、むしろスタートであり、今後もどれだけ自分の主張や活動をネットも使って、有権者に知ってもらうか。有権者と政治家の双方向のコミュニケーションを続けられるか。ネット選挙解禁をきっかけに日本の政治の質が上がり、長い目で見て日本の社会をより良いものに変えていってほしいです。

投稿日 2013/07/15

書評「テレビが政治をダメにした」:参院選の前に読んでおきたい1冊

書籍「テレビが政治をダメにした」(Kindle版はこちら)の著者は、「すずかん」こと鈴木寛氏。民主党政権で文部科学副大臣を務めた政治家です。大学で教授などの歴任もあり、政治家の視点だけではなく、様々な学者の引用もあり、説得力のある内容でした。来週は参院選の投票日でもあり、本書の内容は知っておくべきことだと思いました。

驚かされたのは政治家の一部に「テレビ政治家」という存在がいること。本書ではテレビ政治家の実態が具体的に書かれています。内容は国民にはあまり知られていないものだと思います。

■本来の役割よりも番組出演を重視する「テレビ政治家」

テレビ政治家はテレビ出演を選挙活動の一つと考えており、出演番組のテーマや内容に関係なく、討論番組だけではなく「ビートたけしのTVタックル」などのバラエティ番組にも積極的に出演します。

問題だと思うのは、単に出演するだけではなく、所属する党の方針とは違った発言を持論として展開すること。本書では具体的なケースがいくつか紹介されています。
  • 民主党内の会合で消費増税の議論で、議論が積み重なり取りまとめ段階になってようやく現れるのがテレビ政治家。なぜならこの時になってはじめてテレビカメラの取材が入るため。カメラがまわっていることを確認すると突然手を挙げ立ち上がり、司会の制止を振り切り、テレビカメラに向かって演説を展開し始める。撮影が終了すると、会合はまだ続くにもかかわらず、テレビ政治家は会場からいなくなる。今度は会場の外でテレビカメラの前で取材を受けている。テレビ政治家はテレビカメラが入らない党内の政策議論にはほとんど参加しない
  • テレビ政治家は国会ではなくテレビ優先の行動を取る。国会のスケジュールは最終的には前日or当日に決まる。しかしテレビ局からすると出演が「前日か当日にならないとわからない」では困る。テレビ政治家はテレビ局側に配慮し、国会の日程が入った場合でも国会ではなくテレビに出ようとする。テレビ政治家はTV出演をしてアピールすることができるし、テレビ局に恩を売ることができる
  • 「TVタックル」などのバラエティ番組に出るには、政党を代表する必要もなければ、首尾一貫した政治姿勢が必要なわけでもない。テレビ局側の編集に任せて、テレビ政治家はテレビが喜びそうなことを喋っていればいいと考えている。視聴率を取るために、テレビ局に期待されたステレオタイプな役柄を演じる

問題は、本来の政治家の役割よりもテレビ出演を重視するだけではありません。テレビ政治家は、日頃、政党ではその問題についての政策論議に十分に関わっていないために、国会の論点とずれているとのこと。さらには事実誤認もあり、適当に番組の流れに沿って、適当に喋る。結果、視聴者にとっては政党を代表して政策を述べているかのように受け取られてしまう。

なぜテレビ政治家はテレビ出演を重要視するのか。理由は視聴率の高い番組に自分が出ることで選挙結果に有利働くから。「TVタックル」のような視聴率の高いバラエティ番組に積極的に出演をしようとします。

政治家の間では「TVタックルに出れば選挙に強くなる」と言われ、筆者によると05年の郵政選挙で、比例復活の当落の明暗を分けたのはテレビ。中でもTVタックルのようなバラエティ番組に出ているかどうかが大きいという分析結果が得られたそうです。

■視聴率至上主義の弊害:メディアの消費対象となる政治

本書のタイトルは「テレビが政治家をダメにした」です。ここまでは本来の職務ではなくテレビ出演を重視するテレビ政治家の実態でしたが、問題はテレビ局側にもあります。本書からわかったのは問題の深さで言うとこちらのほうが深刻ということです。

メディア側の問題点は視聴率至上主義の弊害です。視聴率を上げるためにはここまでやるのかという内容が書かれています。視聴率が取れるのであれば、それを面白おかしく放送する。政治家の発言も視聴率を取れるように編集するようです。
  • 著者が出演した際のケース。重要なテーマに関して政策レベルでどのように対応しているかといったことを話しているのに、カットされた。著者はそのテーマを多くの視聴者に伝えたるために、スタジオに行って多くの話をしたにもかかわらず。テレビではまったく意見をいっていないように放送されてしまう。その一方で放送されるのは、出演者に割り込まれたシーンなどテレビ的に面白いとされるところばかり
  • さらには、番組側は出演者が話している順番すら変えてしまう。収録の前半のテーマで話していたコメントが後半のテーマの中で使われ、後半のテーマで使われていたコメントが前半のテーマで話しているように使われる。Aというテーマについて「いや、それはおかしいですよね」と収録では発言したところ、実際の放送を見ると、Aの話題ではなく、別のBのテーマについて「いや、それはおかしいですよね」と言ったように使われてしまう

政治家の発言も視聴率を取れるように編集するのです。著者は、このようにして視聴率至上主義のもとで政治番組のバラエティ化が加速したと言います。

マスメディアの論調も視聴率や雑誌/新聞であれば発行部数をとれるかでコロコロ変わります。本書で印象深かったのが、視聴率が取れる限りにおいて、政治家や党が「消費の対象となる」という指摘。

支持率が高い間は政治家や党をもてはやして視聴率を上げようとするが、支持率が低くなる手のひらを返したように批判の対象に。バッシングの対象として叩く。バッシングすることで視聴率が稼げる。視聴率を上げるために消費し尽くしたとなれば、次にまた別の政治家を持ち上げ、人気に陰りが出ると、バッシングをする。

政権交代すらも消費の対象になります。支持率が落ちた政権では、マスメディアからことごとく叩かれるようになる。政権が一年ごとに次々に変わる要因でしょう。

テレビ局の視聴率至上主義を象徴する発言が本書にはありました。3.11の震災後のエピソードで、以下は本書から引用です。
あるテレビ局のプロデューサーからは耳を疑うような視聴率至上主義の返事が返ってきたのでした。

「水素爆発の映像を流せば視聴率(数字)が取れる。繰り返し流していても数字が取れる。数字が取れているんだし、会社のトップもそれを容認している」

(中略) 緊急時には災害対策基本法下で防災機関としての役割を担うはずのテレビメディアは、そんな状況になっても視聴率至上主義のままで、自分たちの役割を果たさなかったのです。

それどころか、救える命も救えないという事態を巻き起こしたのです。燃料や薬が届かないことで病院機能や搬送体制を維持することができず、多くの命が失われているというのも大事な事実です。しかし、そのことはテレビで大々的に報道されることはありませんでした。メディアの非を自らが認めることになりますから。

引用:書籍「テレビが政治をダメにした」

■問われる視聴者のメディアリテラシー

テレビ政治家は知名度や得票率を上げるためにテレビ出演を重視する。時には番組に都合の良いことしか言わない。テレビ局側も視聴率を上げるためにはここまでやる。テレビ政治家もテレビ局も得票率と視聴率を上げるというインセンティブがあり、利害が一致します。

ただ、「テレビ政治家やテレビ局が悪い」だけでは状況は変わらないように思います。本書を読んであらためて思ったのは、私たち視聴者側にも問題があるのではということです。視聴率が上がるということはそれだけ多くの国民がその番組を視聴しているということです。(なお、今回のエントリーではビデオリサーチの視聴率調査は正しい前提としています)

TVタックルのようなバラエティ化した政治番組を視聴者が見る→視聴率が上がる→テレビ政治家がバラエティ番組出演を重視する→テレビ局側もさらに視聴率を上げるためにバラエティ化を加速させる。

「テレビが政治家をダメにした」のは元を正すと視聴者側にも責任がある。もし、政治を正しく伝える番組の視聴率が上がり、バラエティ番組に人気がなければ、上記の悪循環は起こらないはず。つまり、私達ひとりひとりのメディアリテラシーの問題もあると思います。

本書で紹介されていたデータです。日本は、先進民主主義国の中ではテレビへの信頼度が高いようです。国際プロジェクト「世界価値観調査2005」によると、非常に信頼する、または、やや信頼すると回答した人々の割合から、あまり信頼しない、まったく信頼しない人々の割合を引いた数字が、80カ国中、日本は、中国、香港、イラクについで4位。具体的には、日本は+37.9%、米国は-35.3%、イギリスは-34.6%、オーストラリアは-64.5%。日本においては、テレビがいかに世の中に影響を与えているのかがよくわかります。

■あるべき政治家/メディアの役割

本書の著者である鈴木寛さんの主張で同意だったのが、政治家の役割についてでした。以下はその部分の引用です。
政治家の役割とは、「複雑な世の中の課題に優先順位を付けること」です。多くの人の利害がからみ、多様で多岐にわたる選択肢がある複雑な課題の中から、この国にとって現在に必要な解決策の優先順位を提示し、進めていくことなのです。

それは白とも黒ともはっきりとしない優先順位になることだって往々にしてあります。多くの人間が関わり、この国を動かしているのですから、そう簡単にはYES、NOではくくれないことばかりなのです。

矛盾や葛藤を抱えながら苦渋の決断さえもする必要がある。それでも、「その優先順位の選択からもたらされる結果については政治責任を負う」ということで政治家の信頼が確保されるのです。

引用:書籍「テレビが政治をダメにした」

しかし、現状のテレビが放送するのは編集で切り取られた部分です。背景や論点、政策議論の経緯だったりはカットされ、Yes or Noを一見わかりやすく伝えるだけ。視聴者も分かった気になってしまう。もう1つ賛同なのが、
本来、ジャーナリズムは、そのステレオタイプを是正するためにあるものです。こういう見方がある、ああいう見方がある。一方でこうした政策もある。とステレオタイプで切り捨てられる部分を拾い上げていく。

すると、多様な情報が議論の俎上に乗ることになり、政治家がどのような背景から優先順位を付けているのかというのが見えてくる。こうした様々な情報に基づいて熟議されることによって、民主主義というのは成立するはずなのです。

引用:書籍「テレビが政治をダメにした」

★  ★  ★

今回のエントリーは長くなったので、最後に問題点を整理しておきます。
  • 政治家本来の役割ではなくTV出演を重視するテレビ政治家が存在する。国会日程よりもテレビ出演を選び、さらには、党内の会合/議論には普段は参加しないため、論点がずれていたり事実誤認の発言をテレビでする
  • メディアは視聴率至上主義から、自分たちの都合の良い発言を政治家に求めたり番組編集を行なう。政治家や党は視聴率を上げるための消費の対象となり、人気に乗じて持ち上げたり、支持に陰りが見えると批判の対象に
  • テレビ政治家とテレビ局/番組の利害の一致、持ちつ持たれつの関係は、視聴者にも責任があるのでは。バラエティ化した政治番組の視聴率が取れるということは、視聴者がそれだけ見ている、楽しんでいるということ。メディアリテラシーがあらためて問われる問題
  • 政治家の本来の役割は、「複雑な世の中の課題に優先順位を付けること」。メディアはここにスポットライトを当てるべきだし、国民もテレビ番組の裏では多様な情報が議論の俎上に乗っており、政治家がどのような背景から優先順位を付けているのかまでを理解する姿勢が大切では

「テレビが政治をダメにした」キンドル版は7月21日の参院選までは100円セール中のようです(もとは840円なので88%OFF)。




投稿日 2013/07/14

書評「未来予測 ―ITの次に見える未来、価値観の激変と直感への回帰」

「未来予測 ―ITの次に見える未来、価値観の激変と直感への回帰」が色々と考えさせられる本だったのでご紹介。

提示されている未来のポイントは2つ。サブタイトルにあるように、①価値観が変わる、②直感の重要性が増す。

■価値観の激変と直感への回帰

1つ目の価値観の変化について。簡単に言うと、「お金に縛られず、自分らしく、仲間と一緒に、生きがいを持って人生を楽しく生きる」という価値観。自分らしく生きたいと考えるクリエイティブな人たちがこれからの社会にとってますます重要になる。

2つ目の直感の重要性について。多くの人が直感で物事を判断し、それぞれが得意とする分野でクリエイティブに生きるようになる。左脳的な発想する人の中から左脳と右脳をバランスよく使う人が増えていく、とのこと。

さらには、クリエイティブな人たちの多くは、精神世界的な真理観を持つようになるだろうと言います。ちなみに、「精神世界的な真理観」とは「目に見えない世界が存在するという信念と、自分と宇宙が1つにつながっているという考え方」という意味。目に見えない世界の存在を信じ、直感を大事にする人が増えるだろうと。

本書の特徴と言っていいのが、著者の湯川さん自身が、自分らしく生きる価値観と人間は宇宙とつながっている真理観を100%信じているわけではない、と言っている点。文章から迷いが読み取れます。

もう1つ特徴的なのは、こうなるだろうという変化に対して「〜になる。なぜならそう思うから」という論理展開が目立つことです。もしくは自分のまわりにそういう人が増えているから、というロジック。このへんはご自身も承知で、自ら内容について支離滅裂と書いています。おそらく本書の評価は割れるはずで、考え方や価値観が湯川さんの意見に近い人は賛同するだろうし、そうでない人にとっては、相容れない主張。

■磨きたい2つの直感

個人的には、お金に縛られず自分らしく生きる価値観と直感の重要性は同意です。

特に2つ目の直感については磨いていきたいと考えています。磨いていきたい直感は2つあって、自分の心や気持ちがわくわくする方を選びたいのと、本質を直感的につかめるようにしたいことです。

何かを判断する時に、色々と考えて様々な可能性を論理的に検討しますが、ジャッジが難しい時は結局は最後は直感で決める。今年になって転職をしましたが、その時の決断はまさにこれでした。最後の判断基準は「転職したほうがおもしろそう」というわくわくした気持ちが前職に残るよりもあったから。

現時点ではこの決断は正しかったし、結果的に直感に従ってよかったと思っています。湯川さんは本書で「直感は時として論理に勝る」と書いています。ただしその前提は、ベースに論理的な思考が十分にあること。左脳で考え尽くしたことがあってこそ、直感が生きるのではと思います。

もう1つ、磨いていきたいと言った本質を直感的につかめるようになること。例えば何かの話を聞いた時、資料を読んだ時やデータを見た際にここが本質というのをパッとつかめるようになりたいと思っています。話のポイントを反射的に理解できるというか。

例えば、何かのデータを見る場合。データがある数表を見た時に、注目すべき値の変化だったり、もしくは数字について違和感がある点をすぐに指摘できることです。イメージとしては、ここがポイントor数字がおかしいと直感的に気付き、そのひっかかりが後で論理的に考えてもそう言えることです。

直感で思ったこと/感じたことが、後からよくよく考えても同じ結論になる。これが本書で湯川さんが言っている「多くの人が直感で物事を判断し、それぞれが得意とする分野でクリエイティブに生きるようになる。左脳的な発想する人の中から左脳と右脳をバランスよく使う人が増えていく」ことなのかなと理解しました。右脳でポイントをつかみ、左脳でそれを証明/補足するイメージです。

湯川さんは、コンピューターが発達すればするほど、人間の価値は直感力やクリエイティビティにならざるを得ない、と言っていますが、直感でポイントを見抜いたり仮説を出せる能力が持てるとすれば、それは人間のコンピュータに対する優位性だと思います。

★  ★  ★

最後に、印象的だった内容を引用しておきます。
怖い気持ち、不安な気持ちを取り去る最大の処方箋は、ワクワクする気持ちである。ワクワクしていれば、勇気などいらない。その方向に進みたくて居ても立ってもいられなくなるからだ。あとはその方向の仕事をやり切るという覚悟を持つこと。途中で諦めたり、めげたりしなければ、確かに未来は変えられると思う。




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書いている人 (多田 翼)

Aqxis 代表 (会社 HP はこちら) 。Google でシニアマーケティングリサーチマネージャーを経て独立し現職。ベンチャーから一部上場企業の事業戦略やマーケティングのコンサルティングに従事。

ブログ以外にマーケティングレターを毎週1万字で配信しています。音声配信は Podcast, Spotify, Amazon music, stand.fm からどうぞ。

名古屋出身、学生時代は京都。気分転換は朝のランニング。