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SHOE DOG (シュードッグ) - 靴にすべてを。 という本をご紹介します。
エントリー内容です。
- 本書の内容
- おもしろく読めた3つの視点
本書の内容
以下は、本書の内容紹介からの引用です。
父親から借りた50ドルを元手に、アディダス、プーマを超える売上げ300億ドルの会社を創り上げた男が、ビジネスと人生のすべてを語る!
1962年晩秋、24歳のあるアメリカ人が日本に降り立った。彼の名はフィル・ナイト。のちに世界最強のブランドの一つとなる、ナイキの創業経営者だ。
オニツカという会社がつくるシューズ 「タイガー」 に惚れ込んでいた彼は、神戸にあるオニツカのオフィスを訪れ、役員たちに売り込みをする。自分に、タイガーをアメリカで売らせてほしいと。
スタンフォード大 MBA 卒のエリートでありながら、なぜあえて靴のビジネスを選んだのか?しかもかつての敵国、日本の企業と組んでまで。
「日本のシューズをアメリカで売る」 。
馬鹿げたアイディアにとりつかれた男の人生を賭けた挑戦が、このとき始まった!
本書のタイトルのシュードックは、靴の製造や販売、購入、デザインなどに身を捧げる人間のことを指しています。
おもしろく読めた3つの視点
本書は、以下の3つの視点でおもしろく読めました。
- 創業間もない頃のナイキの歴史。特に日本と深い関わり
- 超ハイリスク経営だった創業期
- 創業者フィル・ナイトの信念
以下、それぞれについてご説明します。
1. 創業間もない頃のナイキの歴史。特に日本と深い関わり
創業の間もない頃は、ナイキの社名は 「ブルーリボン」 でした。
ちなみにブルーリボンは、創業者のフィル・ナイトが、日本のオニツカ (後のアシックス) と初めての商談時の冒頭に社名を聞かれ、その場の思いつきで付けた名前です。ブルーリボンは、自分の部屋の壁に飾ってあった陸上競技で勝ち取った、フィル・ナイトにとって、人生で胸を張って自慢できるものです。
読むまで知らなかったのは、ブルーリボンは日本と深い関わりがあったことです。
ブルーリボンのビジネスは、運動靴の輸入販売でした。取り扱っていた靴は、日本のオニツカです。ブルーリボンの初期のビジネスモデルは、日本からオニツカのシューズを輸入し、アメリカでのオニツカの販売代理でした。
もう一社、ブルーリボンの成長と深い関わりがあったのは商社の日商岩井です (後の双日) 。詳しくは本書に譲りますが、日商岩井の支援がなければ、今のナイキは存在せず、ブルーリボンは倒産していたでしょう。
本書の前半は、ブルーリボンとオニツカや日商岩井などの日本とのビジネスの様子が書かれています。
2. 超ハイリスク経営だった創業期
ブルーリボンの創業時、オニツカシューズの輸入販売をしていた時期は、超が付くほどのハイリスクな経営でした。
定常的にキャッシュが不足し、銀行から常に諌められるような財務基盤でした。にもかかわらず、創業者で著者のフィル・ナイトは、ひたすらブルーリボンの成長軌道を加速させるために、銀行にお金の融資拡大を要求しました。
ブルーリボンのビジネスが不安定なのは、売りものであるシューズをオニツカのみに依存し、かつ、日本からの靴の納品が常に遅れていたからです。
オニツカのシューズは当時、品質に比べて安い値段で売っていたので、アメリカのランナーやアスリートの間で人気を博していました。ブルーリボンも、選手への直接の売り込みを展開するなど、注文を積極的に取りにいきました。
しかし、注文通りの量や納期でシューズがオニツカから送られなかったのでブルーリボンの供給体制が追いつかず、常に在庫が逼迫したり欠品が相次ぎます。売上金がブルーリボンに入るのが遅れ、キャッシュはいつも不足している状態でした。
ビジネスモデルが、シューズの輸入販売のみで、創業から一定期間は自社独自のシューズは生産していませんでした。
オニツカのシューズをアメリカで独自販売できればいいですが、他社もオニツカと提携し販売をしたり、オニツカの対応次第では売りものが手に入らなくなり、脆弱なビジネスモデルでした。
3. 創業者フィル・ナイトの信念
今でこそナイキは世界的なスポーツブランドですが、ブルーリボンやその後のナイキは、いつ倒産してもおかしくない状況が何度も起こります。
ブルーリボンが、不安定なビジネスモデルと脆弱な財務基盤にもかかわらず会社が潰れなかったのは、創業者フィル・ナイトの信念にあったからだと言うしかありません。本書を読むと、フィル・ナイトのシューズにかける確固たる思いが伝わってきます。
フィル・ナイトは自らもアスリートランナー出身で、走ることを強く信じています。走ることによって世の中はもっと良くなり、自分たちが提供するシューズを履けば、走りはもっと良くなるという信念です。
揺るぎないビジョンとミッションは多くの人を巻き込み、会社を動かし、数々の苦難を乗り越えた原動力でした。
最後に
本書を読みながら考えさせられたのは、自分の人生の意味を何に見い出すかでした。
フィル・ナイトは、「ランニング」 x 「シューズ」 x 「世の中への貢献」 の3つです。自分の原体験や、ブルーリボン創業からビジネスを成長させ、ナイキに社名を変更し世界的なスポーツメーカーになった後も、変わらないものでした。
読みながら問われたのは、自分自身にはそれだけのものがあるかでした。