投稿日 2026/02/27

推し活キャンセル保険。お客さんの困りごとを見極め、相手に刺さる言葉に翻訳するマーケティング

#マーケティング #顧客理解 #価値の翻訳

自社の商品やサービスは、本当に届けたい人にその価値が伝わっているでしょうか?

もし売上が伸び悩んでいるなら、原因は商品そのものではなく、「伝え方」 にあるのかもしれません。

既存の商品でも、視点を変え、お客さんの言葉で価値を翻訳すれば、全く新しい市場を切り拓くことができます。

今回は、普通の旅行保険を 「推し活キャンセル保険」 として再定義し、推し活層にヒットさせた事例を取り上げます。お客さんの心をつかむマーケティングに迫ります。

推し活キャンセル保険


出典: Mysurance

 「推し活キャンセル保険」 とは、推し活のための "遠征 (イベント等に遠方へ出向くこと) " でキャンセル料が発生した場合に、その費用を補償する保険サービスです。

提供するのは損害保険ジャパンの子会社である Mysurance 社。実はこの保険、全くの新商品というわけではありません。もともと同社が提供していた 「Travel キャンセル保険」 という人気商品を、「推し活」 という特定の用途に合わせて見せ方を変えたものです。

推し活キャンセル保険はオンラインで加入します。パソコンよりスマートフォンからの加入のほうが多いそうです。見積もりは簡単で、Web ページから "遠征代金" を入力すると、保険料が表示されます。

例えば国内遠征代金が3万円の場合、保険料は760円です。海外遠征の10万円なら5,130円です。

補償対象はイベント中止、交通機関の2時間以上の遅延・欠航・運休、本人や家族の通院によるキャンセルなどです。交通費と宿泊費のキャンセル料が対象ですが、チケット代は含まれません。

推し活キャンセル保険が誕生した背景には、SNS 上にあふれるファンの切実な声がありました。

遠征の計画を立てていても、イベント中止や不測の事態で参加できなくなり、高額なキャンセル料に泣く人が後を絶ちませんでした。こうした明確な課題感から、この保険は生まれました。

* * *

では、推し活キャンセル保険の事例から学べることを掘り下げていきましょう。

推し活キャンセル保険のマーケティング


この事例は想定する注力顧客を定め、お客さんの困りごとを解決するというビジネスのお手本となる事例です。

お客さんを決める

最初のステップは、ターゲットとなるお客さんを明確に定めることです。

誰をお客さんとするかを決めることで、その後のマーケティング戦略がより具体的かつ効果的なものになります。

Mysurance は、ターゲット顧客を 「推し活で遠征をする人々」 に明確に定めました。

これは既存の旅行キャンセル保険 (100万件契約突破の人気商品) の顧客層とは全く異なる、新しい顧客セグメントでした。特に若い世代が中心で、保険に全く縁がなかった層、つまり 「人生で初めて保険に加入する可能性が高い人々」 を新規開拓のターゲットとして設定したのです。

お客さんのことを理解する

誰がお客さんかを決めたら、次はそのお客さんがどのような人々 (または企業) で、何を望み、どのような生活やビジネスをしているのかを深く理解することが求められます。

お客さんへの理解を深める過程で、どのような問題や困りごとを抱えているかを特定していきます。

お客さんの困りごとを解決するのはあらゆる商売の基本です。困りごとを自分たちならではの方法、つまり商品やサービスで解決し価値をもたらし、提供価値への対価をもらうのがビジネスの本質です。

Mysurance は 「きっとこうだろう」 という思い込みではなく、2つの方法で顧客理解を深めました。

1つ目が SNS での情報収集です。推し活をやっている人の実際の声に耳を傾け、イベントの中止や体調不良によるキャンセル料の金銭的な負担に対する悲痛な声が多数存在することを把握しました。

2つ目の方法が専門メディアとの共同調査です。推し活応援メディアと共同で定量的なアンケート調査を実施。遠征者の5人に1人がキャンセル経験あり、その3分の1が3万円以上のキャンセル料を支払っているという、推し活をしている人の困りごとの深刻さを具体的なデータで裏付けました。

調査から見えてきたのは、推し活層特有の価値観と行動パターンでした。

推し活をしている人たちは、ライブや聖地巡礼などの遠方へ行く行為を 「旅行」 ではなく 「遠征」 という言葉を使っていました。それはビジネスの出張に近い感覚でした。

推し事のために他のことには節約意識が高く、早割切符やパックツアーを積極的に利用します。推しへの熱量は非常に高く、会場に直行直帰することもある目的特化型の移動をしていました。

調査からは旅行キャンセル保険の認知度がわずか 10% という事実も判明しました。困りごとを解決する手段が存在するにもかかわらず、それが想定顧客に届いていなかったわけです。

特定された困りごとは明確でした。イベント中止や体調不良による高額なキャンセル料の金銭的負担、そして早割利用によるキャンセル時のリスクの高さです。

推し活層が抱える困りごとは 「推しに会えない精神的なショック」 と 「高額なキャンセル料という金銭的なダメージ」 の二重苦であると理解しました。これが後の商品設計やコミュニケーションの起点となります。

困りごとを解決する商品を用意する

お客さんの生活やビジネスシーンの中で問題を明らかにした後は、それを解決するための具体的な商品やサービスを用意します。

Mysurance は、自社がすでに持っていた 「Travel キャンセル保険」 という既存商品が、調査で特定した推し活遠征層の困りごとを解決できることに気づきました。

新商品を一から開発するのではなく、既存資産の新しい使い道を発見するというアプローチを取ったのです。保険内容は変更せず、保険名称を 「推し活キャンセル保険」 に変更しました。

解決できる困りごとに対して、国内遠征3万円の場合、760円の保険料でキャンセルリスクをカバーできます。最短翌営業日に保険金が振り込まれるため、推し活や次の遠征への軍資金にまわせます。

スマホで3分で加入でき、書類を撮影するだけで簡単に請求できる手軽さも、若い世代のニーズに合致していました。

お客さんに商品の魅力を伝え、買ってもらう

商品が用意できたら、見込み顧客に知ってもらい、興味を持ってもらえ、購入への後押しをします。

大切なのは、お客さんの立場になって、相手の文脈に合った表現や言葉によって魅力を言い換えることです。商品の特徴やお客さんにとってのメリットをわかりやすく伝え、相手が商品を自分ごと化でき、その価値にお金を払ってでもほしいと思ってもらえることを目指します。

今回の事例で注目したいのは 「お客さんの立場になり、相手の文脈に合った言葉で魅力を伝える」 ことです。商品の中身は同じでも、伝え方をターゲットに合わせて徹底的に翻訳しました。

まずネーミングの翻訳です。「旅行キャンセル保険」 では自分ごと化しにくいと考え、顧客が使う言葉である 「推し活キャンセル保険」 という商品名を付けました。これだけで、自分たちのための保険だという認識が生まれます。

次にコンセプトの翻訳です。ネガティブな損失補填を、次の公演に行くための軍資金にするというポジティブな行為に変換しました。不安を煽る保険ではなく、安心感のあるお守りや願掛けという概念に置き換えました。

言葉とデザインの翻訳も徹底しています。Web サイトでは訪問者が楽しめる推し色を7色から選べるようにし、保険用語を推し活用語に変換したり、4コマ漫画を使って親しみやすく説明しました。従来の保険の堅いイメージを完全に払拭するアプローチです。


推し活キャンセル保険はプレスリリースもユニークです。

SNS 上でのやりとりのような見せ方で Q&A 形式で保険の内容を解説 (出典: 日経クロストレンド

SNS の声に答える Q&A 形式のプレスリリースが用意されました。見る側にしてみればわかりやすいリリースだと感じますが、このような顧客コミュニケーションは保険業界では異例なことです。

そして、秀逸なのが 「※ 推しに会えなかったときの精神的な負担は残念ながら保険では解消できません」 という一文です。

推し活をしている人の気持ちに共感していることを示し、信頼と親近感を醸成する見事なコミュニケーションです。

お客さんに商品を使ってもらうことで価値を生む

自社商品を購入してもらうことはゴールではなく、むしろスタートです。お客さんが実際に商品を使ってみて困りごとを解決でき、それによって商品価値を実感することです。

売り手にとっては商品を売って終わりにせず、その後の利用まで見届け、商品の存在や顧客体験に満足してもらうことが重要です。

Mysurance は、保険加入後の顧客体験設計にももちろん力を入れています。

保険のありがたさを最も実感する保険金請求の場面では、スマホで完結する手軽さと、3営業日以内に振り込まれるという速さが顧客満足につながります。

商品を売って終わりではなく、その後の体験を通じて 「未来の推し活を支える」 という価値を提供し、顧客との長期的な関係を築いています。

まとめ


今回は、推し活キャンセル保険の事例を取り上げ、学べることを見てきました。

最後にポイントとして、マーケティング活動の全体像です。

✓ マーケティング活動の全体像
  1. 注力するお客さんを決める
  2. そのお客さんのことを理解する
  3. 困りごとを解決する商品を用意する (なければつくる) 
  4. お客さんに商品の魅力を伝え、買ってもらう
  5. お客さんに商品を使ってもらうことで価値を生む


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多田 翼 (運営者)

書いている人 (多田 翼)

Aqxis 代表 (会社 HP はこちら) 。マーケティングおよびマーケティングリサーチのプロフェッショナル。ベンチャーから一部上場企業の事業戦略やマーケティングのコンサルティングに従事。

前職の Google ではシニアマネージャーとしてユーザーインサイトや広告効果測定、リサーチ開発に注力し、複数のグローバルのプロジェクトに参画。Google 以前はマーケティングリサーチ会社にて、クライアントのマーケティング支援に取り組むとともに、新規事業の立ち上げや消費者パネルの刷新をリードした。独立後も培った経験と洞察力で、クライアントにソリューションを提供している。

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名古屋出身、学生時代は京都。気分転換は朝のランニング。