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投稿日 2012/11/25

スペイン旅行での発見

この1週間ほど休みを取りスペインに行ってきました。毎年一回は海外に旅行をしたいなと思っていて、旅行とはいえ外国に少しでも滞在すると普段の日常から離れられ、その国その国の考え方や習慣に触れると新しい発見がいくつもある。旅の魅力だと思っています。




■新しい発見と常識

新しい発見をするために旅行をする、と言ってもいいかもしれません。その国でしかできないことを体験しに行く。これが自分にとっての旅行の目的。だから、現地での生活に近いことができるのがおもしろいと思っています。お土産専門店での買いものよりも、地元のスーパーでミネラルウォーターや食べ物を買う、露店に近いようなそのへんの店で新聞とかお菓子を買ってみたり。今回のスペインだと店の人には英語が通じないことも普通で、片言のスペイン語とかジェスチャーで言いたいことを伝える。現地の人とのコミュニケーションも含めて体験する。これがおもしろいんですよね。

旅先での新しい発見は、自分には当たり前な常識をあらためて考えさせられることでもあります。日本での常識は外国では非常識だったりする。自分の「当たり前」が一度壊される感じです。

例えば、水。海外に行った時の飲み水の確保は普段以上に神経を使います。日本では当たり前のようにレストランや飲食店では水はお冷として無料で提供されます。外国ではこのサービスはなく、ソフトドリンクやアルコールなどと同じように、水は買うもの。スペインでも同様で、水の値段は普通のレストランでは2.5-3ユーロくらいで、ジュースやビールとかワインなどと同じだったりします。

考えてみると、水道水をそのまま飲める日本のような国は世界的にはレアです。確か、蛇口から直接水が飲める国は日本も含めて世界で11か国と本で読んだ記憶があります。私たちの水に対する感覚と、スペインでの水に対する感覚はあきらかに違う。水に対する日本の常識と外国での常識。この違いはそれだけ日本の水道水は品質が良く、水自体が日本には豊富にあるという再発見でもあるのです。


アルハンブラ宮殿。貴重な水だからこそ宮殿内で贅沢に使用することで、権力や富を誇示していた様子がわかる


バルセロナ近郊のタラゴナにある「ラスファレラス水道橋」。古代ローマ人により建てられたもの

外国に旅行して新しい発見をする、そこから自分にとって当たり前なこと・常識に気づく、自分や日本のことを客観視でき、相対化できる。外を知ることで内を知ることにつながる。自分の知識や常識はあくまでone of themでしかなく、世の中にはいろんな考え方・見方があり、どれが正しいとかでもない。多様性に触れることができるのが旅行の醍醐味だと思っています。


サグラダ・ファミリア。ガウディが残した傑作の1つ。右はサグラダ・ファミリアの中。外観も内観も圧倒されました

■旅と歴史

もう1つ、旅行の魅力はその国の歴史をよりリアルに感じられるところ。今回の旅行ではいくつかのキリスト教のカテドラル(大聖堂)に訪れましたが、スペインの大聖堂の特徴はキリスト教とイスラム教が共存しているところ。

これは歴史に大きく関係していて、スペインがあるイベリア半島は8世紀にアフリカからイスラム教徒の侵略が起こりました。スペインのほぼ全土まで広がります。その後、キリスト教によるレコンキスタという国土回復運動が起こり、1492年にイスラム最後の都市グラナダを奪還。今でもキリスト教にイスラム教の文化が残るのはこうした背景がありました。

レコンキスタ後、スペインは国内の動乱時代を終え大航海時代を迎えます。1492年というのは歴史に残る年で、コロンブスがアメリカ大陸を発見した年でもあります。レコンキスタを完了したことでようやく世界に目を向けることができた。当時のスペイン女王イサベルがコロンブスの計画を承認できたのも、国内を統一できたから。アメリカ大陸を発見し、スペインはその後、南米大陸へも進出していきます。インカ帝国などを滅ぼし、金銀などの貿易から莫大な資産を手に入れスペインは全盛時代を築きます。

今回のスペイン旅行で、このあたりの歴史に触れておもしろかったのは、去年行ったペルーとつながったことです。ペルーではマチュピチュなどのインカ文明遺産をいくつか見ましたが、インカ帝国を滅ぼしたスペインに今年行って、点と点がつながりました。歴史を大きな流れで捉えられることと、それを現地で当時の遺跡を直接歩きながら実感できるのも旅の魅力です。

去年行ったマチュピチュにて


投稿日 2012/04/21

書籍 「失敗の本質」 に見るガラパゴス化とイノベーション


Free Image on Pixabay


下記の表は、名著 失敗の本質 - 日本軍の組織論的研究 で指摘された太平洋戦争 (大東亜戦争) 時の日本軍と米軍の戦略と組織特性の比較です。


引用:失敗の本質 - 日本軍の組織論的研究


日本軍と米軍のそれぞれの特性を並べてみると、相互に関係していることがわかります。日本軍の特性をまとめると次のようになります。

  • 日本軍は戦略には明確なグランドデザインがなく目的があいまいで、短期決戦を好む傾向にあったこと
  • 短期決戦志向のために戦略オプションでは代替案 (戦況が変化した場合のプラン・対応計画) が乏しかった
  • 組織特性においても、人間関係を重視し成果よりも動機や敢闘精神を重視した集団主義

本書がおもしろいのは、6つの戦い (ノモンハン事件、ミッドウェー海戦、ガダルカナル作戦、インパール作戦、レイテ海戦、沖縄戦) から上表のような日本軍と米軍の戦略・組織特性比較を明らかにするだけではありません。

さらに深掘りしなぜ日本軍は失敗したのか、そして現在にも活かせる失敗の教訓を残している点にあります。
投稿日 2011/12/27

複雑な社会変化をシンプルに見せるとっておきのS字波モデル

2011年もいろんなことがありました。つくづく変化の激しい世の中だと思います。一方で変化が早いからこそ、一歩引いて大局的にものごとを見ることも時には必要です。私たちの社会を俯瞰的な視点で捉えるのに、おもしろいモデルがあるので紹介します。「情報社会のいま ―あたらしい智民たちへ」(公文俊平 NTT出版)という本で提示されているS字波モデルです。

■社会の変化を見るためのレンズ:「S字波モデル」とは

引用:書籍「情報社会のいま ―あたらしい智民たちへ」(公文俊平 NTT出版)


横軸は時間、縦軸には社会や技術の発展などの指標と置いた場合、出現・突破・成熟・定着の4つの局面があるというものです。発展の仕方として、1.遅い成長(出現)、2.急速な成長(突破)、3.成熟を経て発展が横ばいに(成熟~定着)、という3つの段階と考えてもいいかもしれません。

本書ではもう1歩踏み込んだモデルが登場します。S字波は小さなS字波に分解できるという考え方。冒頭でS字波モデルは社会を俯瞰的に見るために有用と書きましたが、その心はS字波の分解にあります。本書に出てきた表現で言うと、S字波は社会の流れを観察するための「レンズ」であり、レンズで拡大・縮小することで局所的にも大局的にも捉えることができるのです。

引用:書籍「情報社会のいま ―あたらしい智民たちへ」(公文俊平 NTT出版)


■現在は異なる変化が同時に起こっている

それではS字波モデルを使って、まずは大きな視点で見てみます。本書では主に先進国での近代化過程という大きな流れを軍事化・産業化・情報化の3つに分けています。下図のように大きなS字波として近代化過程が、そして、小さなS字波として3つに分解された軍事化・産業化・情報化です。現在はどういった状態かと言うと、図の縦の点線が示す通り、軍事化の定着・産業化の成熟・情報化の出現という3つの局面が同時に起こっていると著者である公文氏は指摘します。

引用:書籍「情報社会のいま ―あたらしい智民たちへ」(公文俊平 NTT出版)


本書では、軍事化・産業化・情報化というそれぞれのS字波をさらに分解して詳しく説明されています。少しだけ紹介しておくと、先ほど書いた現在は「産業化の成熟」であり「情報化の出現」という状態がそれで、前者の産業化の成熟局面で見られる現在社会の特徴としては、スマートフォンに代表されるようなちょっと昔では考えられないような高度な出力処理が可能なコンピュータを持ち、クラウド、高速な光/無線通信網、等々が当たり前となりつつある社会です。後者の情報化の出現の特徴としては、ソーシャルメディアに代表されるような新しいコミュニケーション・情報の共有です。ウィキリークスやYouTubeなどへの投稿により、あるいはソーシャルメディアを積極的に活用した政治・市民活動など、社会を変えていくケースは数多く見られます。もっと身近な個人レベルで見ても、自分の行動や気持ち、考え・意見などをツイッターやフェイスブック、ブログ等で積極的にシェアする流れです。このような情報化という新しい変化が「出現」しつつあるという指摘は、これまでの社会とは異質なものだと私自身も感じます。

■「産業の情報化」と「情報の産業化」

本書での産業化の成熟と情報化の出現についての説明でなるほどと思ったのは、「産業の情報化」と「情報の産業化」は異なるという指摘でした。産業の情報化というのは、家電や個人のデバイスなどの様々なものがIT化・ネットにつながると理解しました。すなわち、工業製品などの成熟段階として情報技術を持ち情報通信機械となる変化です。一方の情報の産業化とは、情報それ自体が商品やサービスとして生産・販売される状態です。情報の産業化が出現するということは、これまでは無料であった情報がお金と交換できる価値を持つことなのです。ちなみに、日本語で情報化社会というのは産業の情報化を表すことが多いように思います。別にこれが間違っているわけではないのですが、今回のエントリーでは情報化社会という言葉は使わず、「産業の情報化」と「情報の産業化」は区別しています。

もちろん、産業の情報化と情報の産業化には相互関係があります。具体的にはネットにアクセスする手段が自宅PCだけではなく、タブレットやスマホでより自由になったことで(産業の情報化)、私たちは各個人で情報発信をするようになりました。その結果、ネット上ではそうした情報に基づいて広告が表示されたりしています(情報の産業化)。

著者の主張で印象的だったのは、変化の激しい世の中を俯瞰するためには、産業化の成熟と情報化の出現という異なる2つの変化が同時並行で起こっているという認識が必要というものでした。起こっている出来事がどちらに該当するのか、あるいはどのように相互作用しているのか、という視点です。公文氏は、大切なのは近代化の大きな流れが「情報化の出現」に向かっているという歴史的な意味を捉え、その方向に沿った政策採用や制度設計をすべきであるという意見です。例えば企業のビジネス戦略もソーシャルメディアの普及などの情報化の進展と共存したり、それを支援する方向を目指すべきという考え方です。(参照:本書 p.187)

■情報の産業化という方向性

「情報の産業化」というのは、個人的にもとても興味のある変化です。なので、本書で書かれていた収集される個人情報に対して何らかの謝礼支払いを義務付けてみてはどうか、という著者の主張にも関心があります。著者は、収集する個人情報の有償化により、「情報化の出現」時代に入っても市場規模の拡大が実現できる可能性を指摘します。

個人情報が有償化し、そこから発展するデータを買いたい・売りたいという動きが出るということは、そこには取引の市場ができることも考えられます。データ取引市場なるもので、であれば買い手と売り手をつなげて取りまとめる中間業者のような存在も生まれるかもしれません。やや突拍子もないことかもしれませんが、ゆくゆくはデータ自体があたかも貨幣のように流通する世界になるかもしれない。データをお金を通して売買するのではなく、データそのものの貨幣化、すなわち価値として広く「信用」を得ている存在です。以前にGoogleがデータ取引所の創設する記事があり、そこから考えたことをエントリーしましたが、情報化がますます進展する社会ではこうしたプレイヤーの存在も当たり前のようになるのかもしれません。
Googleが計画する「ウェブデータ取引所」は、あなたと広告のミスマッチを解消してくれるのか|思考の整理日記
Google Readies Ambitious Plan for Web-Data Exchange|Ad Age DIGITAL

情報の産業化に興味があると書きましたが、自分自身の仕事もこの方向です。そして、自分がやりたい、世の中を変えたいのもこの領域だったりします。冒頭で変化の激しい世の中と書きましたが、だからこそ、自分の仕事とやりたいことの軸がブレることなく、時には俯瞰的に見るという複合的な視点も大切にしたいです。本書「情報社会のいま ―あたらしい智民たちへ」は非常に示唆に富む良書でした。


情報社会のいま ―あたらしい智民たちへ
公文 俊平
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投稿日 2011/10/01

目から鱗だったエネルギーの本質

ここ最近読んだものに、「エネルギー論争の盲点―天然ガスと分散化が日本を救う」(石井彰 NHK出版新書)という本があります。この本の趣旨は、3.11の東日本大震災以降に見られる「原発vs再生可能エネルギー」という議論は不毛であり、今後のエネルギー供給の安定性と二酸化炭素削減を両立するのは天然ガスの活用と資源分散型のスマートエネルギーネットワークをいかに確立するか、というものです。

全体的に読み応えのある内容だったのですが、特におもしろかったのが「そもそもエネルギーとは何か」という根源的な部分の話でした。エネルギーが現代社会に果たしている役割や人類の歴史との関係など、エネルギーに関して本質的な論点が取り上げられており、ここがあらためて考えさせられる内容でした。目から鱗な話だったので、今回のエントリーでは本書で書かれていた内容を中心に書いています。

■現代社会とエネルギー

本書の内容は「なぜエネルギーが重要なのか」という問いから始まります。これに対して筆者は次のように説明します。エネルギー供給、特に安くて安定した大量のエネルギー供給がなければ私たちが暮らす現代文明は一日たりとも維持できない。

どういうことかと言うと、現代人の生活はあらゆるモノに囲まれていますが、これらを生産あるいは輸送のために膨大なエネルギーが使われています。ここでいうモノとは食品、衣服、家・建築物、紙、ガラス、化学・薬品、道路・鉄道、車・船舶などのありとあらゆるものですが、本書によると、日本の場合、モノの生産に全エネルギー消費の約半分が、輸送や配送も含めると全エネルギー消費の3分の2という量となるようです。

もう少し現代文明について考えてみます。現代文明の特徴として、都市部への人口集中と高度に組織化された産業システムの2つあると筆者は言います。都市部に人口が集中することで、例えば私たちが口にする食料を都市部だけでつくりまかなうことはほぼ不可能です。生活に必要な資源も同様です。だからどう対応しているかと言うと、都市の外部で食料が生産され、日々運ばれてきています。上下水道や道路網など私たちが当たり前に使っている社会システムを維持するためにもエネルギーが消費される。都市部への人口集中とそれを可能にするこうした高度な産業システムを支えているのがエネルギーなのです。私たちの生活は大量のエネルギーを消費することが前提で成り立っているわけです。

■人類の歴史とエネルギー

本書では、人類の歴史という観点からエネルギーの説明も書かれていました。筆者は文明化とはエネルギーの多消費化であり、かつエネルギー源の高効率化であると言います。

まずは多消費化から。人類史において、文明化の段階はいくつかありますが、大きくは農業開始、産業革命、現在の情報革命です(このあたりの話は「情報社会のいま ―あたらしい智民たちへ」という本がおもしろかったです)。エネルギー消費で見ると、農業社会に比べ産業革命により3~4倍に増加、さらに産業革命開始時と現在では、エネルギー消費は40倍に増えているのだそうです。(もちろん、この間に人口も増えているので当然社会全体でのエネルギー消費は増えるわけですが、一人当たりエネルギー消費で見ても4倍と増加している)

エネルギーの高効率化について。産業革命前はエネルギー源の主流は薪炭でした。それが、産業革命で石炭が使われるようになり、その後はより効率のよい石油というエネルギー源に移り変わります。本書では、エネルギーの効率さを比較するために「エネルギー算出/投入比率」という指標が用いられています。これは、1単位のエネルギーを取り出す(算出)のに、何単位のエネルギーが必要になるか(投入)という比率です。例えば産業革命以前の主流エネルギー源だった薪炭ではこの比率が2~3倍だったものが、石炭で40~50倍まで効率がよくなります。つまり、1単位の石炭があれば、40~50単位の石炭が取れるということです。これの比率が石油では中東などの巨大油田ではなんと100~200倍ともなるようです。2010年にメキシコ湾で石油会社BPが原油を海に流出させてしまう事故が起こりましたが、これは見方を変えればBPが流出を止めたくても、油田から自ら勝手に噴出してしまうくらいの算出効率の良さであるがために起こったものでした(という記述が本書にありあらためてその算出効率の良さを実感させてくれました)。ちなみに、太陽光のエネルギー算出/投下比率は10倍、風力は15倍程度と説明されています。

■ストックなエネルギーとフローなエネルギー

本書では、以上のようなそもそもエネルギーとは何かという話が、人類の歴史と絡めてあらためて説明されています。それを踏まえ、今後のエネルギー政策をどうするかという論点に移っていきます。このあたりを理解すると、「原発or再生可能エネルギー」という二元論では、私たちの社会を支えているエネルギーの全体像を捉えていないことに気づかされます。つまり考えるべきは原発でも再生可能エネルギーでもない化石エネルギー源の有効活用です。もちろん、長期的には化石エネルギーという過去の地球の資産とも言えるエネルギーの比率を下げ、再生可能なエネルギーでまかなっていくような姿が望ましいでしょう。ただ、現時点で再生可能エネルギーが主流になるのは非現実的であり、原発分の代替にもなり得ません。

現代文明は、前述のように高度に組織化され都市部に人口が集中するという社会システムで、維持するために大量の高効率なエネルギーを投入しています。主流なエネルギー源は石油や石炭、天然ガスなどの化石燃料で、これは太古の昔から現在にわたって蓄積され濃縮された、いわば貯金のようなストック的なエネルギーです。これに対して水力、バイオ、太陽光・熱、風力などのエネルギーは毎月の収入のようなフローなエネルギーです。貯金に頼らず毎月の収入エネルギーだけで暮らしていた産業革命前と、毎月収入と貯金までも使って築き上げた現代社会。私たちが享受している生活は身分相応以上の贅沢な生活と言えます。しかしだからと言ってもはや産業革命以前の生活に戻れるわけはなく、であるが故に考えるべきは今の主流である化石エネルギーをいかに効率よく使うか(エネルギー供給側での省エネ)、安定的に供給が継続できるような発送電の仕組みのはずです(一方で環境に負荷をかけないという視点も必要)。本書を読むことで、そんなことをあらためて気づかされたように思います。






情報社会のいま ―あたらしい智民たちへ
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投稿日 2011/08/27

日本の1万年の人口増減とFacebookのネクストステージ

先日、ツイッター上である先輩が「Facebookがそろそろ潮時かもしれない」というツイートをされていました。飽きたとか単純な理由ではなさそうだったので、ちょっと気になりReplyをすると、次のような状況からでした。
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色々な「友達」が増えすぎてなんとなく投稿がしにくくなった。フェイスブックには最近できた友達から中学時代の友人までいるので、投稿内容を妙に意識してしまう結果、無難なことしか書けない。今は不特定多数の人に見られるtwitterのほうが逆に気軽に投稿しやすい。
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■なぜFacebookでは無難な投稿内容になるのか

上記のリプライをもらった時に、確かにそうだなと思いました。フェイスブック(以下、FB)上にはいろんな「友達」がいます。地元の友達や大学の友人、仕事でお世話になっている方、等々です。FBに投稿するとき、どこかで見られることを意識してしまいます。例えば、投稿内容が特定のグループにしか意味・背景が通じないことだったりする時は書き込むのを結局やめたり、あるいはどこかで自分のことを良く見せようという気持ちがあるような気がします。つまり、書き込み内容にフィルターがかかってしまい、結局フィルターを通るのは無難な内容になってしまうのです。最大公約数的な感じで。

一方のツイッターの場合、気軽にできるのは不特定多数の人というところがポイントだと思っています。というのも、不特定多数だと投稿内容から自分がどう思われてもある程度構わないという意識があり、だからFBほど投稿内容にフィルターがかからなく、無難なことでなくてもアップできる。もちろんその中にはFBと同じように知り合いや友達、同僚もいるわけで、ツイートする/しないのフィルターをかけますが、それでも気楽にツイートできてしまいます。

■Facebook上の友達が増えるとどうなるか

FBに話を戻しますが、FB上で友達の数が増えることで次第に投稿内容がPersonalな内容が少なくなるという記事がありました。
Do Growing Friend Lists Mean Shrinking Facebook Use?|All Facebook

以下の図は同記事の元記事からの引用ですが、それによればFB上でつながっている友達の数により、より個人的なネットワークであるPersonal Networkから、Social Network、Professional Networkの3つに分かれると指摘しています。

NETWORK OVERLOAD: WHY FACEBOOK IS SINKING UNDER ITS OWN POPULARITY (WARNING TO GOOGLE+)|GREAT FINDSから引用

記事では同じ内容でも、Personal、Social、Professionalの3つで表現が次のように変わると言います。「週末をJaneと過ごしてとても楽しかったよ」(Personal)、「楽しかったハワイ旅行から今戻ってきた」(Social)、「ハワイで有意義な時間を過ごした」(Professional)。

もちろん、人により様々だとは思いますが、友達が増えるということは冒頭で書いたように色々な人間関係がFB上にできるので、個人的な内容やプライベートの話が中心だったものが、人数が多くなることでより公なメッセージになるというこの記事での指摘は理解できるものだと思います。

この引用記事のタイトルは「Do Growing Friend Lists Mean Shrinking Facebook Use?」(友達が増えることでフェイスブックの使用が減る?)です。確かに、フェイスブック疲れというか、フェイスブック離れみたいなものもちらほらと聞いたり、ネット上でも見かけるようになりました。(理由は様々で一概に友達の人数とは限らないことだと思いますが)

■1万年間の日本人口の趨勢からの示唆

「2100年、人口3分の1の日本」(鬼頭 宏 メディアファクトリー新書)という本をちょっと前に読んだのですが、そこにおもしろいことが書かれていました。2005年をピークに日本が人口が減少期に入ったと言われていますが、本書によると縄文時代以来の約1万年間において、日本では少なくとも4回の人口増加期と減退期があったようです(p.47-48)。

人口が増加するのは、海外から新しい技術や物産・社会制度が導入され新しい文明システムへと転換していく時代、一方で人口減退が起きるのはそれが定着して社会が成熟し発展の余地がなくなる時代だと言います。一例を引用します。狩猟採集社会であった縄文時代、人口密度は狩猟採集で成り立つ社会として世界一と考えられてるようですが、一方で生活は環境に左右され縄文時代後半は寒冷化も進んだことで人口は減少したようです。ですが、人口減退に歯止めをかけたのが稲作文化の流入でした。日本に水稲農耕が定着すると人口増加期に入ったようです。つまり、原始的な狩猟社会に稲作という新しいシステムが外部から入ったことで、新しい段階に移ったのです。 

人口から読む日本の歴史から引用

■外部からの「変化」がFacebookに何をもたらすのか

個人的に思うのが、これと同じようなことがフェイスブックにも起きているのではないかということ。もちろん全然仮説レベルなのですが、FBも転換期にあり、これまでのユーザー数が爆発的に増大しているフェーズから次の段階に移りつつあるんじゃないかなと。さっきの日本での人口増加・減退の歴史を参照すると、FBが次のフェーズに入り、さらに成長するためには外部からの新たな文化・システムが必要ということになります。それは何なのか。

そのきっかけになるのでは思っているのが、つい最近FBが発表した複数のアップデートです。その中には投稿の公開範囲を制限するのが簡単になるとあります。ユーザーが投稿を下書きしている時点で公開範囲のオプションが表示され、Friends(友だち), Public(一般公開)、Custom(カスタム)と選べるようです。
Making It Easier to Share With Who You Want|The Facebook Blog
Facebook、友だちがタグ付けした写真を事前に承認できるようになった―その他改良多数発表|TechCrunch JAPAN

これの発表内容を見た時に連想させられたのがGoogle+のCircleです。G+とFBの違いの特徴として、G+はサークル機能により投稿内容が指定しやすくなっていることがあります。G+では他のユーザーをフォローする時にそのタイミングでどのサークルに含めるかを決めますが、FBではこれまではリストはあまり有効に使われていない印象でした。それが、今回のFBの発表でG+のシステムを意識した変更のように思えました。

この変更がFBや私たちユーザーに何をもたらすのか。投稿の公開範囲が選びやすくなったことで、冒頭で書いたような無難な投稿内容にとどまらなずより活発なコミュニケーションができるようになるのでしょうか。今後の様子を見る必要がありそうですが、次のフェーズに入るための「外部からの新しい文化・システム」になるのか、興味深いところです。


※参考情報

Do Growing Friend Lists Mean Shrinking Facebook Use?|All Facebook
NETWORK OVERLOAD: WHY FACEBOOK IS SINKING UNDER ITS OWN POPULARITY (WARNING TO GOOGLE+)|GREAT FINDS
Facebook Sees Big Traffic Drops in US and Canada as It Nears 700 Million Users Worldwide|Inside Facebook
人口から読む日本の歴史
Making It Easier to Share With Who You Want|The Facebook Blog
Facebook、友だちがタグ付けした写真を事前に承認できるようになった―その他改良多数発表|TechCrunch JAPAN
Facebook、プライバシー機能をアップデート--投稿の公開先指定やタグ付けの承認などで変更|CNET Japan


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投稿日 2011/03/31

「商売の日本史」から考えるヤマヒコの復興とウミヒコの復興

歴史を学ぶ意義はどこにあるのでしょうか。このことをあらためて考えさせてくれた本が『ビジネスに役立つ「商売の日本史」講義 (PHPビジネス新書)』でした。本書にはこのように書いてあります。「歴史を学ぶ意味は、過去の人々の営みから今に役立つさまざまな教訓を引き出すこと」(p.102)。あらためて思ったのは、歴史をただ単に過去の出来事で終わらせてしまうのは、歴史の価値を半分も享受できていないのではないかということです。

■経済から見る新しい歴史観

この本は、書かれている視点がとてもユニークです。だからおもしろかった。どうユニークかと言うと、日本史をお金の動き、すなわち経済という切り口で書かれています。

思い返してみると、小学校から歴史の授業が始まり、中学、高校と日本史を学びましたが、教科書や授業で習ったのは、ほぼ政治史という観点での歴史だったことに気づきます。例えば、鎌倉幕府から室町幕府への流れは、歴史で教わったのは、足利尊氏らが反乱を起こし、鎌倉幕府と時の政権を握っていた北条氏を滅ぼして室町幕府を開いたということでした。武力と選挙という手段は違えど、これは現代で言う「政権交代」です。実際はここに経済も関連していたはずですが、そんな話は習った記憶があまりなく、少なくとも印象に残っていません。

だからこの本を読むと、色々と新しい歴史の見方を与えてくれます。詳しくは本書に譲りますが、印象深かったものを1つだけ紹介しておきます。武士として初めて律令の最高位である太政大臣となった平清盛の話です。

平清盛は現代にも通じることを先駆的に行ないました。瀬戸内海を支配し、物流とそこでのマネーサプライを握ったのです。貿易のための港を整備し、当時の中国・宋との日宋貿易から多額の富を生み出します。今っぽく言えば、瀬戸内海というプラットフォームを構築したのが平清盛でした。平家は、貿易から様々なものを輸入しました。宋銭、陶磁器、薬品、香料、書籍など。これらが日本の文化に与えた影響は大きかったはずです。

中世に琵琶法師が語り継いだ「平家物語」で、その中の源平の戦いでは平清盛は悪役として語られています。多くの人の印象も実際にそうでしょう。しかし、このように「経済」という視点で見ると、平清盛の印象はがらりと変わりました。

■ヤマヒコとウミヒコ

さて、本書のキーワードに、「ヤマヒコ」と「ウミヒコ」があります。古事記や日本書紀に登場する兄弟の神さまの名前で、2人は対照的な性格をしています。本書では、ヤマヒコを内向きのエネルギーの総称、ウミヒコを外向きのエネルギーの総称とし、日本史を大きな流れで見ると、時代時代でヤマヒコの性格が強い日本、ウミヒコの性格が強い日本と、それぞれの特徴が交互にスイングするかのように現代に至るまで歴史を重ねてきたことが書かれています。

ヤマヒコとウミヒコの時代・特徴を本書から引用すると、以下のようになります。

出所:ビジネスに役立つ「商売の日本史」講義 (PHPビジネス新書)から引用

日本人は、その時代ごとにヤマヒコとウミヒコそれぞれの特徴を持ちながら、時に内向きを志向し日本独自の文化や内需を盛り上げ、またある時は外向きな志向から自らの命の危険を顧みず海を越え異国の地を目指し、様々な文化・知見を持ち帰ったのです。

■著者はヤマヒコからウミヒコに変わると予想しているが

それでは、現在はヤマヒコとウミヒコのどちらの要素が強いのでしょうか。本書で述べられていたのは、昭和から平成になった現在の特徴はヤマヒコが強いということでしたが、著者の主張として、今後はウミヒコの側面がもっと出てくる・出てきてほしいというものでした。ウミヒコが強くなる時代は中国の影響が強いと述べられていましたが、確かに、昨年はGDPで中国が日本を抜いたことがほぼ確実視されるなど、以前にも増して政治・経済の両方で中国の影響を感じます。

ところが、です。2011年3月11日、マグニチュード9.0という日本観測史上最大の地震が発生しました。地震だけではなく、津波、福島原発、電力エネルギー不足と、日本だけでなく世界中に大きな影響を与えています。

そして今後の課題ですが、短期的な課題は被災地での救援活動や原発からの放射線・放射線物質漏れを封じ込めること、中期的には計画停電や節電による電力供給不足をどうしのぐか(特に今年の夏や冬)、あるいは復興への財源をいかに確保するか(補正予算、国債?復興税?寄付への税額控除?)、長期的には抜本的なエネルギー供給の検討(原発・新エネルギー・周波数の問題など)と被災地の復興です。

■ヤマヒコの復興とウミヒコの復興

報道などで震災後の現地の状況を見ると、家などの建築物、道路や堤防、水道、電気・ガスなどの社会基盤から破壊されてしまっています。ということは、復興はインフラレベルでの整備が必要になり、これはつまりは内需のエネルギーが強いヤマヒコの要素です。

一方の関東より西の西日本はどうでしょうか。これまで政治・経済の中心は東京が担ってきましたが、最近では一部でこの一極集中の是非を問うような議論も見られます。それはともかく、企業によってはすでに本社機能の一部を西日本に移転させているところもあるようです。また、震災前の状況を思い返してみると、名古屋では減税を掲げる河村市長が再選、大村知事が当選し、大阪でも橋下知事が大阪都構想を提唱しています。関西などの西日本が元気になり、そして、中国が今後少なくとも数年は2桁に近い経済成長を続けることを考えると、中国の影響をこれまで以上に強く受けるようになります。これはまさに、ウミヒコの要素です。

日本の現状を見れば、大変な状況です。復興にはそれなりの時間がかかるはずで、今後は上記のように、関東や東北地方ではインフラ整備というヤマヒコ的な復興が、中部や西日本ではそれぞれが発展し、外需も積極的に取り込むようなウミヒコ的な活動が必要です。特に、関東や東北が大変な時だからこそ、中部・関西・九州などではこれまで以上の経済活動から日本を盛り上げることが重要です。

まとめると、これからの日本ではヤマヒコの復興とウミヒコの復興の両方が必要になり、それこそ私たち日本人の1人1人が日本を引っ張っていく気持ちが大切になってくるのではないでしょうか。

海の向こうの歴史的な大統領が、当時こんなフレーズで国民と自らをも鼓舞していました。ちょっと今さらな感じもしますが、今こそ私たち自身に対しても使ってもいいのかもしれません。

Yes We Can.



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投稿日 2011/03/25

今こそ政治リーダーに求められるものとは

ここ最近の日経新聞の経済教室は、「大震災と日本経済」というテーマで連載が続いています。識者が様々な提言・主張を述べており、毎日記事を楽しみにしているくらい興味深い内容です。

その中でも特におもしろく示唆に富んでいたのが、3月23日の山内昌之東京大学教授の記事でした。記事では、日本で起こった3つの大きな震災を取り上げ、そこから政治リーダーに何が求められるかを提言しています。過去の歴史を振り返ることで得られる知見と、そこから導かれる示唆がとても印象的な記事でした。そこで今回のエントリーでは、備忘録の意味も込めて、3/23の経済教室:「官僚機構、再編し活用せよ」の内容整理を中心に書いています。

■関東大震災と阪神大震災に見るリーダーシップ

記事で取り上げられている3つの大震災は、関東大震災(1923年)、阪神・淡路大震災(1995年)、そして、日本史上最大の災害とも言われる江戸時代に発生した明暦の大火(1657年)。これらの災害を著者が取り上げた意図は、災害後の復興においてその時のリーダーがどういった姿勢・スタンスで臨んだかを見るためです。

関東大震災後の復興には、内務大臣であった後藤新平が強烈なリーダーシップを図ったようです。地震の5日後には「帝都復興の議」を提案しており、賛否両論があったものの東京が焦土と化したこの悲惨な状況を逆に絶好の機会と考えるべきだとの考えのもと、東京の復興を進めたようです(参考:東京が抱える都市問題-長期的プランを目指して-)。

阪神・淡路大震災では、当時の村山首相が官僚などの専門家を信頼し、仕事を任せることで復興に取り組みました。とはいえ、災害発生後の初動は遅かったことで、内閣支持率の急落に繋がりましたが(参考:村山富市|Wikipedia)、ただ、やがて対応の遅れの全貌が明らかになるにつれ、そもそも法制度をはじめとする当時の日本政府の危機管理体制の杜撰さが露呈したようです。

■明暦の大火に見るリーダーシップ

明暦の大火は、近代以降の東京大空襲などの被害を除けば、日本史上最大の災害と言われています。1657年1月18日に発生した大火で、その被害は江戸市街の6割を焼失し、「むさしあぶみ」などによれば死者は10万人を越えたとされています。江戸城も西の丸以外は全焼し、武家方と町方を問わず市中は焦土と化したとのこと。そのうえ、災害後のには急激な気温の低下吹雪によって被災者から凍死者が相次いだというから、悲惨な状況であったはずです。

このような大惨事においてリーダーシップを発揮したのは、4代将軍徳川家綱を補佐した保科正之(会津藩主)でした。経済教室で説明されていた保科正之の対応策は次の大きく2つです。

第一に、将軍を焼失した江戸城から移そうとする意見を退け、焼かれた本丸跡に陣屋を建てて江戸城を動くべきではないと決めたことです。これには、幕府が中央にどっしりと構え政策決定や指揮を一元化する狙いがあり、民衆が混乱している時に最高権力者がみだりに動いては、人心を乱しひいては治安悪化への影響を懸念してのことです。

第二に、被災者への食糧配布です。米や、寒さに震える人々におかゆを提供したようです。また、家を失った人々には救助金を与えました。幕府には財政不安を危惧する意見もあったようですが、保科正之はこんな言葉を残しています。「こうした時こそ官の貯蓄は武士や庶民を安心させるものだ。支出もせずに残しているだけでは貯蓄しないことと同じであり、前代未聞のこの状況では、むしろ出費できる力がある国を大いに喜ぶべきである。」

■政治リーダーに求められるのは「決断と責任」

このような保科正之の振る舞いから学ぶこととして経済教室の著者である山内教授は、最高指揮者は指揮所からみだりに動くべきではなく、たとえ善意の督励であっても現場に出かけるには時機を見計らい慎重でなければならないとしています。また、いかに重要であっても個別の事象にのめりこんで他の重要な課題を忘れてはいけない、すなわち、菅首相に問われるのは、政策的総合力と全体判断力であり、そのためにも必要なのはリーダーとしての決断と責任を取ることである、と。

■最後に

3月11日の地震発生後、喫緊の課題は被災者・避難者の救済でした。その後の福島第一原発・一号機で水素爆発が起こってからは、原発からの放射線漏れ対策も緊急かつ重要な課題になりました。

一方で、これらと並行して考えなければいけないのが復興対策です。それも、単に地震以前の状態に戻す復旧ではなく、関東大震災後に後藤新平が進めた東京の復興に見るような、復興のビジョンを示すことだと思います。被災した東北地方を中心にどういった方向で復興を進めていくのかという絵は、最終的にはリーダーである菅首相が描き、そのビジョンの下で、担当大臣や官僚を組織し、さらには復興機関を整えることではないでしょうか。これこそが、リーダーに求められる「決断と責任」なのではないかなと。

短期的には被災者・避難者救済と原発対策、中長期的には復興対策、これらを同時に見ることが、今回取り上げた経済教室が主張する「政策的総合力と全体判断力」だと思います。リーダーシップと一言で言っても、その性格は色々であり、実際に経済教室で取り上げている後藤新平と保科正之、村山富市とでは大きく異なります。ただ、リスクから逃げないこと、決断をすること、責任は自分が負うことなどは共通する点なのではないでしょうか。ぜひ菅さんには国難を乗り切るためにリーダーシップを発揮してほしいところです。木を見て森を見ずというようなことなく。


※参考資料

後藤新平|Wikipedia
関東大震災を振り返る|どこへ行く、日本-日本経済と企業経営の行方
東京が抱える都市問題-長期的プランを目指して-
村山富市|Wikipedia
保科正之|Wikipedia
明暦の大火|Wikipedia
明暦の大火(丸山火事、振袖火事)
明暦の大火による江戸の大改造|シリーズ 江戸建設 開府400年


投稿日 2010/08/15

梅棹忠夫とドラッカーから考える情報革命のこれから

今回のエントリー記事では、梅棹忠夫、ドラッカーのそれぞれの著書から情報革命にいたる歴史を大きな流れで整理し、あらためて情報革命について考えてみます。


■人類の産業の展開史 (梅棹忠夫)

梅棹忠夫の著書「情報の文明学」(中公文庫)によると、人類の産業の展開史は次の三段階を経たとしています。(1)農業の時代、(2)工業の時代、(3)精神産業の時代(以下、情報産業とします)。「情報の文明学」がおもしろいのはここからさらに進めて、この3つの時代の生物学的意味を考察している点です。ここで言う生物学的意味というのは、受精卵が発生から自らが展開していく過程のことで、具体的には人間の体が形成されるまでの、内胚葉、中胚葉、外胚葉の3つの胚葉です。以下、本書から抜粋してみます。

(1)農業の時代
生産されるのは食糧であり、この時代は人間は食べることに追われている。農業の時代を人間の機能に置き換えれば、内胚葉からできる消化器官系統の時代であり、三分類で言えば内胚葉産業の時代である。(p.133)

(2)工業の時代
工業の時代の特徴は生活物資とエネルギーの生産。人間の手足の労働を代行し、これは筋肉を中心とする中胚葉諸器官の機能充足の時代を意味する。よって、工業の時代とは中胚葉産業の時代である。(p.133)

(3)情報産業の時代
外肺葉系の諸器官は皮膚や脳神経系、感覚諸器官を生み出す。情報は感覚、脳神経に作用し、情報産業の時代は外肺葉産業の時代である。(p133-134)

以上について著者の梅棹忠夫は、食べることから筋肉の時代へ、そして精神の時代へと産業の主流が動いてきたとし、三段階を経て展開する人類の産業史は、「生命体としての人間の自己実現の過程」とも捉えることができると総括しています。(p.134)


■産業革命とIT革命 (ドラッカー)

次はドラッカーです。ドラッカーは著書「ネクスト・ソサエティ」で産業革命とIT革命について比較し、次のような内容を書いています。

(2)産業革命
産業革命が、実際に最初の50年間にしたことは産業革命以前からあった製品の生産の機械化だけだった。鉄道こそ、産業革命を真の革命にするものだった。経済を変えただけでなく、心理的な地理概念を変えた。(p.75-76)

(3)IT革命
今日までのところ、IT革命が行なったことは、昔からあった諸々のプロセスをルーティン化しただけだった。情報自体にはいささかの変化ももたらしていない。IT革命におけるeコマースの位置は、産業革命における鉄道と同じである。eコマースが生んだ心理的な地理によって人は距離をなくす。もはや世界には1つの経済、1つの市場しかない。(p77-79)


■インターネットの2つの特徴

梅棹忠夫の言う情報産業、あるいはドラッカーの言うIT革命を語る上で、欠かせない存在はインターネットだと思います。もはや自分の生活や仕事においてなくてはならない存在ですが、私はインターネットの特徴は「双方向性」「個の情報発信」だと考えています。この2つの特徴の例としては、例えばmixiやFacebookのようなSNSやツイッター、あるいはソーシャルゲームなどで、ネットによりこれまでにはなかった「つながり」が実現しています。


■これまでになかった「つながり」とは

これまでになかった「つながり」をもう少し掘り下げてみます。例えば前述のSNS。SNS上では、過去から現在に至る自分の人間関係がフラットに並んでいます。例えば、小中学校時代の友達、高校や大学の友達、社会人になってからの知人もいれば、趣味を通して知り合った友人もいます。また、お互いに会ったことがない人でも、SNS上でつながることもでき、これら友人・知人がSNS上に並んでいます。SNSや携帯がなかった時には、中学校を卒業すれば次に会い近況を話す・知る時は5年後の成人式だったかもしれませんが、SNSでつながっていれば、(全てではないですが)お互いの状況を確認することもできます。

SNSが長い時間軸にわたる人間関係が並び情報がストックされるイメージな一方で、ツイッターはリアルタイムでその時その瞬間でつながるフローのイメージです。お互いがツイッターを使っているという前提はありますが、ツイッターで「○○なう」とつぶやけば状況が、楽しいやおいしいとつぶやけば感情が瞬時に伝わります。もしネットがなければ、「昨日、××を食べておいしかった」などとなり、おいしいという感情がその場にいない友人にリアルタイムでつながることはできないでしょう。


■情報革命のこれから

上記のドラッカーが言及するIT革命も考慮すると、eコマースでは買い手と売り手の距離をなくしましたが、ネットによる「つながり」ではこれまでにはなかった人と人との距離感を生み出しているように思います。やや大げさかもしれませんが、既存の人間関係の距離感を破壊していると感じます。

ここまでは「つながり」について人と人との場合を見てきましたが、「双方向性」と「個の情報発信」は何も人だけとは限らないと思います。モノと人やモノとモノのつながりも考えられます。例えば、デジタル家電と人がネットを媒体につながることや、異なる複数の家電が情報のやりとりをする可能性も十分にあります。単なる想像ですが、外部から携帯で連絡すれば、冷蔵庫と台所と電子レンジが連携し勝手に料理を作ってくれるとか、自動車と自動車がつながれば車同士の交通事故が無くせるかもしれないなど、いろんな可能性があります。

梅棹忠夫は先述の「情報の文明学」において、工業の時代になり農業は飛躍的に生産性が向上し、情報産業の時代でも工業だけでなく農業も大発展を遂げた書いています。ネットによるこれまでにない人と人、人とモノ、モノとモノがつながることで、情報革命はこれからも進化が続きそうです。


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投稿日 2010/08/07

書籍「文明の生態史観」に見るシンプル化

世界を区分する時に、東洋と西洋という分け方があります。この分け方は私たちには当たり前すぎるくらいなんの疑問も持たない区分かもしれません。しかし、「文明の生態史観」(梅棹忠夫 中公文庫)では、これとは全く異なる考え方を提示しています。


■第一地域と第二地域

この本の内容を一言で表現するとすれば、東洋と西洋ではなくA図のような「第一地域」と「第二地域」に分けられるということです。第一地域は西ヨーロッパと日本。第二地域はその間に挟まれた全大陸であるとしています。これが本書の主題です。


このA図について少し補足すると、斜線で表されている大陸を東北から西南に走る大乾燥地帯が存在します。筆者によると、この乾燥地帯は歴史にとって重大な役割を果たしたと説明されています。なぜなら、乾燥地帯は悪魔の巣、すなわち暴力と破壊の源泉だったから。ここから遊牧民その他による暴力が表れ、その周辺の文明の世界を破壊したという歴史です。文明社会は、しばしば回復できないほどの打撃を受けることになりますが、ここが第二地域の特徴です。

第二地域の特徴をもう少し見ると、A図では四つの地域にわかれています。(Ⅰ)中国世界、(Ⅱ)インド世界、(Ⅲ)ロシア世界、(Ⅳ)地中海・イスラム世界。これら第二地域に関して、「古代文明はこの地域から発生。しかし封建制を発展させることなく、巨大な専制帝国をつくった。多くは第一地域の植民地や半植民地となり、数段階の革命をへて、新しい近代化の道をたどろうとしている」と説明されています。

翻って第一地域。その特徴は暴力の源泉から遠く、破壊から守られ中緯度温帯地域の好条件であったとしています。

なお、「文明の生態史観」ではA図から発展する考え方を表したものとして、以下のB図も提唱しています。東ヨーロッパや東南アジアが区分され、西ヨーロッパは日本より高緯度の部分を多く持っているのがA図に比べたB図の特徴です。



■シンプルに考えること

この第一地域と第二地域に分ける考え方は非常にシンプルなものです。もちろん、上記のような図では世界を詳細には説明できるとは思いません。この点は著者も十分承知しており、「この簡単な図式で、人間の文明の歴史がどこまでも説明できるとは思っていない。細かい点を見れば、いくらでもボロがでる」と書いています。個人的に思うのは、この分け方は主にヨーロッパとアジアを中心とするユーラシア大陸の分け方なので、中南米やアフリカ、そしてアメリカを加えると修正点も出てくるかもしれません。特にアメリカについては、ヨーロッパ等に比べるとその歴史は浅いものの、現在を語る上では欠かせない存在です。

ただ、この本を読んで思ったことは、複雑なものごとを捉える時にはシンプルに考えることが大事だなという点です。複雑系をシンプルに表現するということは、物事の枝葉をそぎ落とし本質に迫るということだと思います。逆に言えば、本質を把握できないと正しくシンプルに表現できないのではないでしょうか。


■現場の情報

もう一つ、この本を読む中で考えさせられたことは、自分の目で現場を見ることの大切さでした。本書の冒頭で、著者は次のように説明しています。「私が旅行したアジアの国々についての印象。もう一つは、私のアジア旅行を通してみた日本の印象を書こうと思う」。実際に本書では著者が訪れたアジアを中心とする多くの国々のことが書かれており、それは自分の目で見た世界でした。これらの情報を踏まえての第一地域と第二地域が説明されており、説得力を感じます。

自分の目で見る、直接触れるなどの体験は、大切にしたいものです。


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投稿日 2010/07/11

イースター島に見る文明崩壊


イースター島 Anakena にて撮影 (2009年11月)


文明崩壊を招く5つの要因


書籍 文明崩壊 - 滅亡と存続の命運を分けるもの によると、文明の崩壊を招く要因は5つあるとされています。

  • 環境被害
  • 気候変動
  • 近隣の敵対集団
  • 友好的な取引相手 (近隣諸国からの支援減少など)
  • 環境問題への社会の対応

本書の主題は、文明繁栄による環境負荷がやがては崩壊につながることです。



多数の事例の1つに、イースター島を扱っています。イースター島は上記の5つの要因のうち、 「環境被害」 と 「環境問題への社会の対応」 が当てはまる事例で取り上げられています。

今回のエントリーは、イースター島での文明崩壊について書いています。なお、記事内の画像は昨年2009年にイースター島に訪れた時の現地の写真です。

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書いている人 (多田 翼)

Aqxis 代表 (会社 HP はこちら) 。Google でシニアマーケティングリサーチマネージャーを経て独立し現職。ベンチャーから一部上場企業の事業戦略やマーケティングのコンサルティングに従事。

ブログ以外にマーケティングレターを毎週1万字で配信しています。音声配信は Podcast, Spotify, Amazon music, stand.fm からどうぞ。

名古屋出身、学生時代は京都。気分転換は朝のランニング。