#マーケティング #ビジネスモデル #独自資源

一人 40 万円近くする高知城の夜間貸切ツアー旅行。

百貨店の松屋が外商顧客向けに企画したこのツアーは、単なる高額旅行ではありません。そこには 「既にあるものを、新しい文脈で組み合わせる」 というビジネスモデルへの示唆が詰まっています。

百貨店・松屋の特別旅行ツアー

出典: 日経

百貨店の松屋が、外商顧客という富裕層などの百貨店のごく一部のお得意様向けに企画したのが、「高知城 夜間貸し切り!土佐の歴史と自然を感じる高知周遊 4 日間の旅」 です。

特別旅行シリーズの第 2 弾として、2025 年 10 月に実施されました。ツアーの定員は 10 人程度の少人数で、料金は 1 人 398,000 円 (3 泊 4 日) です。

通常はできない初めての体験

このツアーの最大の魅力は、通常は夜間開館していない高知城を特別に貸し切るという、高知城にとって初の試みでした。国の重要文化財である高知城の懐徳館 (本丸御殿) を貸し切り、普段は立ち入ることができない 「二の間」 と 「三の間」 で、二胡 (にこ) の演奏会を観賞します。

高知城での体験に加え、四国カルストでの星空観賞、仁淀 (によど) 川や四万十川の探訪、カツオの藁焼き体験など、個人旅行では足を運びにくい名所が用意されました。

シリーズとしての展開

松屋が実施した高知城へのツアーは、特別旅行シリーズの第 2 弾でした。

その前の第 1 弾は青森、第 3 弾は熊本でした。

  • 第 1 弾 (2025 年 4 月) : 青森県 (弘前城, 非公開の酒蔵見学, 盛美園での昼食など) 
  • 第 2 弾 (2025 年 10 月) : 高知県 (高知城など) 
  • 第 3 弾 (2025 年 11 月) : 熊本県 (八千代座訪問, 熊本城大天守最上階での食事など) 

いずれも松屋のこのツアーでしかできない体験が用意され、例えば第 3 弾の熊本城での食事も、2025 年 4 月に解禁されたばかりの民間利用で、他に 1 例しかない承認事例です。

このツアーは、現地旅行会社や自治体と連携して実現したものです。松屋が推進する 「地方共創」 の取り組みの一環です。

松屋でツアー企画や運営中心的な役割を担う IP クリエイション課は、伝統工芸品の売り上げや生産者数が減る中、社会貢献と事業化を両立することを目指しています。

松屋の 「外商顧客向け貸切ツアー」 のビジネスモデル

ここからは、松屋の外商顧客向け貸切ツアーをビジネスモデルの視点から掘り下げます。

5 つの要素で詳しく見ていきましょう。

注力顧客

松屋が設定した注力顧客は 「外商顧客という富裕層」 です。

外商顧客とは、富裕層などの百貨店の "超" がつくほどのお得意様です。外商の "外" には、百貨店に来店してもらうよりも、顧客の自宅などに百貨店担当者が伺って商品を提案するという意味が含まれます。

外商顧客は年間数百万円以上の購買実績があるお客さんで、中には年間で数千万円を使う人もいます。

外商顧客というツアーの注力顧客は、物質的な消費よりも体験型消費へとニーズを持ち、それも 「誰もができない体験」 に価値を見出す人たちです。例えば、地方文化や伝統への関心が高く、知的好奇心の強い特徴を持っていることでしょう。

競合

松屋の外商顧客向けの旅行ツアーの直接的な競合は、高級旅行会社のプレミアムツアー、他の百貨店の外商イベント、プラチナ / ゴールドカード会員のみに個別に提供される旅行プラン (例: プライベートジェットでの海外旅行) などです。

ただし、松屋の旅行ツアーの競合は旅行会社だけではありません。

注力顧客が 「特別な何日かの過ごし方」 を考えたときに思いつく、あらゆる選択肢が競合となります。間接的には、高級レストランでの特別ディナー、プライベート美術館鑑賞、会員制クラブでのイベントなども競合に含まれます。

百貨店を外商として利用する富裕層の人が、「他にはない体験」 や 「お金では買えない体験」 をしたいという思う場面で、松屋のツアーは様々な体験型消費と競合しているのです。

顧客価値

松屋が旅行ツアーで提供する顧客価値は、「お金では買えない体験」 と 「地域との深いつながり」 をかけ合わせた独自の体験価値です。

この価値は 3 つのレイヤーで構成されます。

希少性の価値

例えばシリーズ第 2 弾の高知城の夜間貸切という初めての体験です。

通常は入れない懐徳館の二の間・三の間での演奏会、定員 10 人程度という限定性が生み出す 「自分だけが体験できる」 という特別感です。

物語性の価値

このツアーでは単なる観光にとどまらず、地域の歴史や文化の文脈を体験し理解できます。普段は非公開の酒蔵など、地元の人しか知らない場所を訪れることができるなど、百貨店の松屋が 3 ヶ月かけて企画した 「ストーリーのある旅」 を体験できます。

社会的意義の価値

地方創生への貢献という社会的意義に参加できます。

具体的には、旅行先の地元で商品を購入することでの地域経済へ還元、伝統工芸品の継承支援など、富裕層にとっては単なる消費ではなく 「社会に貢献している」 という実感を得られることも価値になるでしょう。

これらの 3 つのレイヤーでの価値が重なることで、「自分だけの特別な体験」 という、富裕層が重視する価値を松屋は実現しています。

事業能力

ここで言う事業能力とは、顧客価値を安定的に提供できる源泉になる要素です。

松屋が長年培ってきた 「既存の独自資源 (リソース) 」 と、それを活用する 「仕組み (オペレーション) 」 のふたつに分け整理してみましょう。

独自資源 (リソース) 

3 つの独自資源が中核となっています。

1 つ目は、「外商顧客」 という富裕顧客ネットワークです。松屋は 「高額な対価を払ってでも特別な体験をしたい」 と願う優良顧客リストを保有しています。外商という顧客層の存在が、旅行先の地方自治体や施設側にとって 「ぜひ連携したい」 と思わせる魅力を持ちます。

2 つ目の独自資源は、百貨店としての 「ブランド力・信用力」 (販路) です。松屋という伝統ある百貨店のブランド力が、高知城や熊本城のような公的機関との貸切ツアーを実施する交渉を可能にします。「百貨店の松屋の企画であれば」 と、前例のない民間利用を承認させる信頼の基盤となります。

そして 3 つ目は、地域の魅力を掘り起こす 「人材」 です。IP クリエイション課の担当者に代表される、「目利き力」 と 「交渉力」 を持つ専門人材が地域の潜在的な価値を発見し、それを富裕層が満足する 「体験商品」 へとパッケージ化し、実現に導く能力です。これは貸切ツアーの事業の中核となるリソースです。

実行の仕組み (オペレーション) 

このツアーでは、松屋単独ではなく、自治体や現地の事情に精通した地場の旅行会社と緊密に連携する地方共創スキームを構築しています。企画の独自性と実行の円滑性を両立させる仕組みです。

また、企画部門が創出した希少なツアーを、日々顧客と接している 「外商担当者」 が最適な顧客に直接提案するという、クローズドかつ効率的な販売チャネルが仕組みとして機能しています。

収益モデル

松屋の外商顧客向けの旅行ツアーの収益モデルは、短期的な利益と中長期的な戦略的価値の両方を追求する設計になっています。

直接的な収益は 1 人あたり約 40 万円という高単価なツアー参加費による売上です。原価を抑えつつも高い利益率を確保していると推測されます。

ただ、参加費だけではなく、LTV (生涯顧客価値) の最大化という側面に、収益モデルでのより本質的な狙いを見てとれます。このツアーは、百貨店ビジネスの根幹である 「外商顧客との関係性強化」 という役割を果たすからです。

松屋でしかできない唯一無二の体験を外商に提供することによって、お客さんとの関係性を高めます。ツアーを通じて深まった信頼関係は、旅行後の百貨店本館での継続的な高額商品 (宝飾品, 美術品, 呉服など) の購入へとつながることでしょう。ツアーの売上以上に、中長期での本業の売上を維持・向上させることが目的です。

旅行先の地域にも目を向けると、地方共創による波及収益も期待できます。

松屋の旅行ツアーをきっかけに発掘した地域の産品を、後日、松屋の店舗で 「高知城ツアーで紹介された逸品」 といったストーリーと共に販売する機会も生まれます。松屋にとって新たな収益源となると同時に、「地域貢献」 という企業の社会的使命も果たすことになります。

ビジネスモデルを捉える意味

松屋の貸切ツアーのビジネスモデルは、百貨店業界が直面する構造的課題へのひとつの答えを示すものです。

ビジネスモデルを解像度高く見ると、

  • 顧客ニーズの変化を捉えている: 富裕層の消費が 「モノ」 から 「体験」 へ移行している潮流に対応
  • 既存資源を最大活用: 新たな設備投資なしに、人材・顧客・ブランドという既存資源を組み合わせて実現
  • Win-Win-Win の構造: 外商顧客 (特別な体験)、地域 (活性化)、松屋 (収益) の三方良しを実現
  • 再現可能性がある: 青森・高知・熊本と展開しており、ツアー企画として横展開が可能
  • 収益の多層性: 直接的な収益だけでなく、顧客 LTV 向上、商材開拓など、多面的なリターンを生み出す

このビジネスモデルから学べるのは、「自社が既に持っているもの」 を、「新しい文脈」 で組み合わせることで、独自の価値を創造できるということです。

松屋にとっての 「百貨店としてのブランド」 「外商顧客」 「目利き人材」 という資源は、もともとは百貨店で仕入れた商品を販売するために存在していました。しかし、それらを 「地方創生」 と 「体験型旅行」 という新しい領域で組み合わせることで、他にはない価値提案が生まれたわけです。

百貨店の松屋のこの取り組みは、既存の強みを活かしたビジネスの良い例です。

まとめ

今回は、百貨店・松屋の 「外商顧客向け貸切ツアー」 の事例を取り上げ、学べることを見てきました。

最後にビジネスモデルのポイントをまとめておきます。

  • 注力顧客: 顧客は誰か?注力顧客の設定がすべての戦略的思考の出発点となる
  • 競合: 注力顧客が想定する選択肢 (自社以外の候補) 。必ずしも同じカテゴリーとは限らない。その状況で、お客さんが何かを解決したいと思ったその瞬間に、頭に思い浮かぶ全ての選択肢、同じような顧客価値を提供する存在が競合となり得る
  • 顧客価値: 注力顧客にどのような独自の価値を提供するか。競合よりも相対的に優位な強み
  • 事業能力: 顧客価値をどのようにして提供するか?必要な独自資源 (リソース) と仕組み・プロセス (オペレーション) を含む
  • 収益モデル: 生み出した顧客価値をどのように利益として獲得するか?収益モデルは持続可能性を確保する財務的な論理