#マーケティング #エントリーポイント #顧客起点

大阪・鶴見にある正和堂書店は、本を読みたいと思ってもらうことと、この店で買いたいと思ってもらうことが、まったく別物だったことに気づいた街の書店です。

カギになったのは本に取り付けるブックカバーでした。今回は、正和堂書店の事例から、顧客体験とお客さんの時間を豊かにするマーケティングを学びます。

正和堂書店のブックカバーが生み出した成果

最初に正和堂書店のブックカバーで何が起きたのか、概要を見ておきましょう。

正和堂書店は、1970 年に創業した大阪・鶴見の家族経営の本屋さんです。

最盛期には 3 店舗まで規模を拡大しました。しかし出版不況が顕在化した 2000 年代後半から売り上げに陰りが見え始め、店を 1 店舗に集約したという経緯があります。

正和堂書店の 3 代目店主の小西康裕さんが手がけたオリジナルブックカバーをきっかけに、来店客が伸びました。

具体的な数字を見ると、文庫本の月間売上は 2020 年に 1200 冊ほどでしたが、2026 年 4 月時点では約 5 倍の 6000 冊近くまで増えています (参考情報) 。SNS の総フォロワー数は 30 万人を超え、新作が出ると開店前から行列ができることもあるそうです。

来店のきっかけになったブックカバーは、しおりと組み合わせて 1 つのデザインになるようにつくられています。

出典: 正和堂書店

アイスキャンディー、クリームソーダ、焼き芋、ミトンなど、しおりがアイスの棒や具材になることで、四角いカバーから飛び出す動きが生まれます。

なぜブックカバーがお客さんの来店動機になり、売り上げを支える存在にまで育ったのでしょうか。お客さんの中にあるふたつの 「入口 (エントリーポイント) 」 から考えると、正和堂書店のマーケティングがわかりやすくなります。

マーケティングにおけるふたつのエントリーポイント

正和堂書店の事例を掘り下げる前に、お客さんが商品やサービスを選ぶときに通るふたつの入口を整理しておきましょう。

カテゴリーエントリーポイント (CEP) とは

1 つ目の入口がカテゴリーエントリーポイント (Category Entry Point) です。CEP は、お客さんがある状況やきっかけから、そのカテゴリーを 「必要かも」 「ほしい」 と思い浮かべる瞬間を指します。

飲料カテゴリーであれば、喉が渇いたとき、運動の後、食事中などが代表的な CEP です。生活の中でカテゴリーを思い出す場面が増えれば、購入を検討する機会も増えていきます。カテゴリーが思い浮かんだ後に、次に問われるのがブランドです。

ブランドエントリーポイント (BEP) とは

もうひとつがブランドエントリーポイント (Brand Entry Point) です。BEP は、CEP をくぐったお客さんが 「どのブランドを選ぶか」 を考える段階で、自社ブランドが候補に入る入口です。

カテゴリーを思い出してもらえても、ブランド名が想起されなければ比較の候補には入りません。BEP は、お客さんの頭の中の候補リストに自社が入るかどうかに関わります。CEP と BEP を一続きに見ると、購入までの流れを捉えやすくなります。

ふたつのエントリーポイントの関係

CEP は、お客さんがカテゴリーを思い出す状況や瞬間を捉えます。BEP は、その場面で自社ブランドを候補に入れてもらう入口です。

カテゴリーが思い浮かび、続いて自社ブランドが候補に入ると、購入に向かう流れがつながります。正和堂書店に当てはめると、最初に確認したいのは 「本を読みたい」 という CEP です。

本を読みたいというカテゴリーへの入口

正和堂書店では、読書の CEP をどう捉えていたのでしょうか。まずは古くからある入口から見ていきます。

古くからある読書の CEP は知識を得たい瞬間

読書の代表的な CEP のひとつは、知識を得たい瞬間です。

仕事で必要になった、勉強したい分野ができた、調べたいことがある。そんなときに、本を読もうという入口が開きます。

ただ、品揃えで勝る大型書店や、すぐに注文できるネット書店も同じ CEP を狙っています。街の本屋さんにとって競争の厳しい入口であり、正和堂書店は別の読書場面にも目を向けました。

読書体験における新しい CEP は素敵な時間を過ごしたい瞬間

正和堂書店が注目したのは、本を読む時間の過ごし方です。小西さんは、SNS が発達した今、若い世代を中心に、本を 「素敵な時間を過ごすための手段」 として捉える人が増えていると見ています。

カフェで自分の時間を楽しみたい、丁寧な読書時間を持ちたい、本のある暮らしを楽しみたい。こうした気持ちが生まれる瞬間も、読書への入口になります。正和堂書店は、知識を得たいときとは違う読書の CEP を見出しました。

大型書店やネット書店が品揃えや利便性で強みを持つ中、読書時間の楽しさには街の本屋さんが工夫できる余地があります。その入口に人を呼び込む役割を担ったのが、インスタグラムでした。

正和堂書店はインスタで CEP を開けていた

正和堂書店のインスタグラムでは、新刊本の紹介投稿がたびたび話題になり、フォロワーは数万人を超えました。投稿を見た人の頭の中には、「本を読みたい」 「紹介された本が気になる」 という入口が開きます。

一方で、来店や売り上げは思うように伸びませんでした。投稿を見て読みたい本が見つかっても、そのまま大手のネット書店で注文する人が多かったからです。次の課題は、「本を読みたい」 を 「正和堂書店で買いたい」 につなげることでした。

正和堂書店で買いたいというブランドへの入口

カテゴリーへの入口が開いた後、どこで本を買うかという選択に移ります。ここで BEP が関わってきます。

CEP を開けても BEP がなければ競合に流れる

インスタを見て本を読みたいと思った人の多くは、そのまま大手のネット書店で購入していました。正和堂書店の投稿が本への興味を生んでも、購入先として正和堂書店が頭に浮かばなければ、売り上げにはつながりません。

スマホで気になる本を見つけ、そのままアプリで注文したり、別の書店で買ったりする流れの中では、正和堂書店が候補に入りにくい状態でした。読書というカテゴリーの入口は開いていた一方で、正和堂書店を選ぶ BEP が弱い状態でした。そこで、店を選ぶ理由としてブックカバーが威力を発揮します。

ブックカバーが正和堂書店ならではの BEP をつくる

正和堂書店が用意したのが、オリジナルのブックカバーとしおりです。アイスキャンディーやクリームソーダなど、他の書店では手に入りにくいデザインが 「正和堂書店で買いたい」 という理由になりました。

紙のブックカバーは実物を手に取って楽しめます。店頭では本を買うと好きなデザインを選べるため、SNS でブックカバーを知った人にとって、正和堂書店へ足を運ぶ動機になります。公式オンラインショップでも販売されていますが、大手のネット書店で本だけを買う流れとは違い、正和堂書店との接点が生まれます。

新作は季節に合わせて登場し、毎月新しいデザインも加わります。ブックカバーは累計で 100 種類を超え、店舗では文庫本を中心に 50 種類ほどが用意されています。新しいデザインが出るたびに正和堂書店を思い出す機会が生まれ、BEP が繰り返し開きます。

ブックカバーは来店を促す役割に加え、買った後の読書時間も楽しくしています。

顧客の体験価値を主語にしたマーケティング

正和堂書店の取り組みを顧客体験から見ると、ブックカバーが選ばれる理由がさらに具体的になります。まず、読書時間の中でどんな役割を持っているのかを見てみましょう。

ブックカバーは読書時間を彩る道具

正和堂書店は、ブックカバーをお客さんの読書時間を彩る道具として考えています。

カフェで本を読んでいる自分はどう見られるか。お気に入りのカバーをかけた本がそばにある時間を、自分自身がどう感じるか。ブックカバーは、読書中の気分や本を持ち歩く楽しさにも関わります。スターバックスの紙カップを持って歩くときのように、使っている自分も含めて楽しめるアイテムです。

読書時間を彩る役割は、本とブックカバー、しおりを一緒に使ったときに、より具体的に表れます。

本とブックカバーとしおりで完結する読書時間

正和堂書店のブックカバーは、本と一緒に使ったときにデザインが完成するようにつくられています。

例えば、ブックカバーがアイスキャンディーで、しおりがアイスの棒になったり、カバーがソーダで、しおりがアイスクリームになったりします。本を開く、しおりを挟む、持ち歩くといった読書の動作に遊び心が加わり、読む時間まで楽しめるようになります。

販促物として配られたブックカバーが、お客さんにとっては読書体験の一部になっています。

売り手の販促発想からお客さんの体験発想への転換

売り手の側から見ると、ブックカバーには来店を促す販促物という役割があります。お客さんの側から見ると、本のある時間を楽しくするアイテムとして価値を持ちます。

正和堂書店は、お客さんがどんな読書時間を過ごしたいかに目を向けました。そこから生まれたブックカバーが、店を訪れる理由になり、買った後の読書時間にも残ります。

他社との差だけを考えると、競合との比較に発想が引っ張られます。お客さんがどんな時間を過ごしたいかを起点にすると、選ばれる理由を具体的に考えやすくなります。正和堂書店の事例は、CEP と BEP を顧客体験の流れの中で考えるヒントになります。

まとめ

正和堂書店のブックカバーの事例を取り上げ、カテゴリーとブランドのふたつのエントリーポイントからマーケティングを見てきました。

学びのポイントをまとめておきます。

  • お客さんの中にはカテゴリーの入口 (CEP (Category Entry Point) ) とブランドの入口 (BEP (Brand Entry Point) ) のふたつがある
  • 顧客体験の価値を主語にして CEP と BEP をつなぐ
  • CEP が開けていても BEP が弱ければ競合に流れてしまう。両方がつながると、自分たちの商品やお店が選ばれる流れが生まれる