#志 #経営 #本
敗戦、結核、経営危機、海外メーカーとの競争――。
アシックス創業者・鬼塚喜八郎は、仕事でも人生でも何度も大きな壁にぶつかりました。それでも、そのたびに立て直し、また走り始めました。
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戦後の日本から世界へ進出した企業というと、ソニーやホンダがよく語られます。書籍『敗れてもまた走れ アシックス創業者 鬼塚喜八郎の情熱 (財部誠一) 』を読んで、アシックスの前身であるオニツカも、そこに並べて語りたくなる会社だと思いました。
アシックスという会社が日本から生まれ、鬼塚喜八郎という創業者がいたことを、同じ日本人として誇らしく感じました。
本書でおもしろかったのは、鬼塚の志は言葉だけで終わらず、アスリートへの向き合い方、商品開発、競争する市場の選び方、そして失敗した後の立て上がり方にまでつながっていたことです。
鬼塚は何を考え、どう仕事に落とし込み、なぜ何度負けてもまた走れたのでしょうか? ここを追っていくと、今の仕事にも持ち帰れるヒントがいくつも見えてきます。
本書の概要
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オニツカからアシックスへ。鬼塚喜八郎と会社の歩み
『敗れてもまた走れ』は、現在のアシックスの前身となる会社をつくった鬼塚喜八郎の歩みを描いたノンフィクションです。
著者の財部誠一 (たからべ せいいち) さんは、構想から 8 年をかけて取材を重ねました。鬼塚がどんな人生を送り、何を考えて会社をつくったのか、その考えが後のアシックスにどう受け継がれていったのかまで描かれています。
少し前提を補足すると、鬼塚が 1949 年に創業したのがオニツカです。オニツカタイガーは、オニツカが展開したスポーツシューズのブランド名でした。
本書の多くは、現在のアシックスになる前のオニツカ時代を扱っています。鬼塚が靴づくりを始め、オニツカタイガーを育て、世界のトップアスリートや海外メーカーと渡り合っていく過程が詳しく描かれています。
1977 年には、オニツカ、スポーツ用品メーカーの GTO、スポーツウェアを手がけるジェレンクの 3 社が対等合併し、アシックスが誕生しました。現在のオニツカタイガーも、アシックスが展開するブランドのひとつです。
本書はオニツカ時代を中心にしながら、合併後のアシックスにも話を広げています。鬼塚の人生、スポーツシューズの商品開発、海外メーカーとの競争、経営危機、そして後のアシックスの苦戦と再建までを長い時間軸で追っています。
物語の始まりは 1964 年の東京オリンピックです。世界のトップアスリートが集まる舞台でオニツカが海外ブランドと競う場面から、時間を遡るように鬼塚の過去や創業へと話が進んでいきます。
鬼塚が会社を始めた背景には、敗戦後の日本がありました。戦争が終わり、自分は何のために生きているのか?何のために仕事をするのか?鬼塚自身も答えを探していました。
そんな中、神戸で生きる目標を失った若者たちを目にし、スポーツを通じて若者の心と身体を健全にしたいと考えるようになります。
当時の鬼塚には、スポーツシューズをつくった経験がありませんでした。それでも、「スポーツは足元から」 という戦友の言葉をきっかけに、スポーツシューズづくりを始めます。
オニツカは競技用シューズを次々と開発し、国内から海外へと事業を広げました。
鬼塚は、なぜ 「敗れてもまた走れ」 たのか?
鬼塚は何度も大きな失敗や挫折を経験しています。敗戦後の喪失感から始まり、結核を患い、事業の多角化では本業を揺るがします。世界に進出してからも、海外メーカーとの競争で何度も苦しい状況に追い込まれました。
それでも、そのたびに自分が何のために事業を始めたのかを振り返っています。
スポーツを通じて、若者の健全な心と身体を育てたい――。
鬼塚にとって、この思いは会社を経営する理由であり、自分が生きる理由とも深くつながっていました。
「転んだら起きればいい」 と考えられた背景には、戻る場所がありました。
それが 「健全な身体に健全な精神があれかし」 という創業時の志だったのだと思います。
読んで考えさせられたこと
「健全な身体に健全な精神があれかし」 から事業が始まった
アシックスという社名は、「Anima Sana In Corpore Sano」 の頭文字からつくられています。これはラテン語で、「健全な身体に健全な精神があれかし」 という意味です。ASICS は 5 つの単語の頭文字を取った社名です。
興味深いのは、この言葉と鬼塚の創業理由が一本につながっていることです。
敗戦後、鬼塚は 「お金を稼ぐことは生きる目的にはならない」 と考えていました。社会の役に立つ会社をつくりたい、社員が誇りを持てる仕事をしたいという思いもありました。
そんな鬼塚に、戦友がスポーツの力について語ります。戦後の若者たちが生きる目標を失っている。スポーツには、人に生きる力を与える力がある。
そこから 「スポーツを通じて若者の健全な心と身体を育てたい」 という考えが生まれ、スポーツシューズづくりにつながりました。
何のために事業をするのか?その答えが先にあり、スポーツシューズは実現するための仕事として選ばれています。
後に 3 社が合併して新しい会社名を決めるときも、「健全な身体に健全な精神があれかし」 という考えが ASICS という名前に込められました。
なぜその事業をやるのかという思いが、日々の仕事や判断と結びついているか。鬼塚の場合は、商品開発やアスリートとの関わり方にも一貫して表れていました。
「負け戦はしない」 という競争戦略
鬼塚は、スポーツシューズをつくると決めた時点で、大きな資本もブランド力も持っていませんでした。そこで最初に選んだのが、本格的なバスケットボールシューズです。
当時の日本では一般的な運動靴を多くの企業がつくっていました。一方、競技用のバスケットボールシューズには、機能面で十分な商品がほとんどありませんでした。鬼塚は、まだ誰も本気で取り組んでいない狭い市場に目をつけます。
本書では、鬼塚の考えを 「負け戦はしない」 という言葉で表しています。
「誰もやっていないことをやる。どんなによいものをつくっても、物真似はやるだけムダだ」
スポーツを通じて若者の役に立ちたいという志があっても、事業として続かなければ実現できません。だからこそ、どこで戦えば自分たちにも勝つ可能性があるのかを考えていました。世界を目指しながら、最初に狙う市場は小さく絞る、というものだったのです。
アスリート (注力顧客) に徹底的に寄り添う商品開発
鬼塚の商品開発で強く印象に残るのが、選手との距離の近さです。
バスケットボールシューズをつくり始めた頃、鬼塚は選手によって感じ方が大きく違うことに気づきます。
足の形も動き方も違います。同じシューズを履いても、ある選手は良いと感じ、別の選手は違和感を覚えます。本書には 「万人が認めるシューズは存在しない」 という考えが出てきます。
鬼塚は選手一人ひとりの反応を記録し、試作品を何度も改良しました。トップ選手にも無償でシューズを渡し、「気になる点を指摘してください。改良して、また持ってきます」 と伝えます。
マラソン選手の足にできるマメを減らそうとしたときも、鬼塚は長距離を走るとなぜマメができるのかを医学的・科学的に調べています。「マメができて困る」 という選手の声を聞き、その原因まで掘り下げて商品に反映しました。
後年、アシックスが大きな会社になると、選手の声はスポーツマーケティング部門などを経由して開発者へ伝わるようになりました。
間に人が入るほど、細かなニュアンスは伝わりにくくなります。そこで後のアシックスでは、ウェブ会議も使いながら、開発者がアスリート本人と直接話す機会を増やしました。
メールでは怒っているように見えた選手が、直接話してみると、強く伝えたいポイントがあっただけだったという事例も本書に出てきます。
「頂上作戦」 にも創業の志が表れている
鬼塚は、トップアスリートに自社のシューズを使ってもらう方法を 「頂上作戦」 と呼びました。
有名選手に履いてもらえば、もちろん宣伝になります。ただ、鬼塚が選手と関わる意味はそれだけではありませんでした。
トップ選手は、シューズへの要求水準が非常に高い顧客です。ほんの少しの違和感も競技結果に影響します。
鬼塚は選手にシューズを提供し、感想を聞き、細かな調整を繰り返します。そこで見つかった問題を解決するたびに、オニツカの技術も磨かれていきました。
トップアスリートを広告塔として見るだけではなく、商品を一緒につくる相手として深く関わっています。
本書では、鬼塚とナイキ創業者フィル・ナイトの違いも描かれています。
鬼塚は職人、開発者、選手のサポーターとして描かれます。一方のフィル・ナイトは、マーケティングに非常に長けた経営者として登場します。
スポーツ用品業界では 1970 年代以降、トップ選手やチームとの大型契約が増えました。1984 年のナイキとマイケル・ジョーダンの契約は、この流れを大きく変えた出来事として知られています。
オニツカは長く、商品の機能と選手への支援を重視してきました。やがて市場が変わり、商品性能に加えて、契約、広告、ブランドづくりまで競争の範囲が広がっていきます。
後に 2020 年以降でアシックスが競争力を取り戻す過程では、鬼塚の時代から続く 「選手の声を直接聞き、優れた商品を一緒につくる」 という考え方が再び使われました。
最後に
書籍『敗れてもまた走れ アシックス創業者 鬼塚喜八郎の情熱 (財部誠一) 』を読んで印象に残ったのは、鬼塚喜八郎が創業時に抱いた思いを、生涯にわたって仕事の基準にしていたことです。
「健全な身体に健全な精神があれかし」
敗戦後、何のために生きるのかを考えた鬼塚がたどり着いた言葉は、スポーツシューズづくりにつながり、選手への向き合い方や商品開発にも表れました。そして 1977 年に誕生した ASICS という社名にも宿ります。
鬼塚喜八郎が 「敗れてもまた走れ」 た理由を考えると、最後に残るのは、創業時から変わらなかったこの志でした。
本書を読み終えて、ソニーやホンダと同じように、戦後の日本から世界へ挑んだオニツカと鬼塚喜八郎の存在をもっと知ってもらいたいと思いました。日本にアシックスという会社があり、その礎を築いた鬼塚喜八郎がいたことを、 あらためて誇りに思います。
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