#身体意識 #暗黙知 #一人称
ある時、とある本を読んでいて、身体の内側から感じる日本的な身体観と、外側から測るスポーツ科学の違いが気になりました。そこから、身体の捉え方と仕事の進め方には、意外な共通点があるのではないかと思うようになりました。
そこで今回は、身体意識を入口に、日本人の仕事の強みと弱み、そして AI 時代に人がどのような知を大切にすべきかを紐解きます。
一人称と三人称
きっかけになったのは、ダンスにおける身体の使い方について書かれた本でした。
身体意識から見えてきた「一人称」と「三人称」
そこでは、首、胸、腰を連動させる動きや、身体の力を抜いた状態から瞬間的に力を出すこと、動きの前にタメをつくることなどが紹介されていました。
読んでいて思い浮かんだのが、日本の古武術です。
古武術では、丹田、体軸、脱力といった言葉がよく使われます。私自身も以前からこうした考え方に興味があり、身体の中心を意識することや、余計な力を抜くことが動きにどう影響するのかは興味深いテーマです。
そこで気になったのが、身体をどう捉えているかという違いです。
丹田や体軸は、本人が身体の内側から感じるものです。「丹田に重心を落とす」「軸を通す」と言われても、丹田や軸が臓器のように実際にあって確認できるわけではありません。本人が身体を動かす中で、少しずつ感覚としてつかんでいきます。
一方でスポーツ科学では、身体の動きを別の方法で捉えます。
どの筋肉が、どのタイミングで働いているのか。骨盤や胸郭、腕がどんな順番で動くのか。筋電図や映像、各種センサーなどを使えば、外から観察し、数値として測れます。
同じ人間の身体を見ていても、観察する観点が違います。
自分の身体の内側から「どう感じているか」を捉える一人称の視点と、外側から「何が起きているか」を捉える三人称の視点です。
もちろん、日本と西洋を文化としてきれいに二分することはできません。西洋にも身体感覚を重視するダンスや身体技法があり、日本でも身体を客観的に分析します。
古武術の丹田や軸と現代スポーツ科学を並べてみると、それでも一人称と三人称という二つの見方が浮かび上がってきます。
一人称と三人称は、暗黙知と形式知につながる
こうした身体の見方について考えているうちに、もう一つの違いに気づきました。
丹田、脱力、軸といった身体感覚は、説明を聞いただけですぐ身につくものではありません。何度も身体を動かし、「今の感覚かもしれない」と試しながら、自分の中に蓄積していきます。
言葉ですべてを説明しきれない知識です。
経営学では、こうした経験の中に埋め込まれた知を「暗黙知」と呼びます。本人には分かっていても、他人にそのまま説明することが難しい知識です。
それに対して、スポーツ科学では、身体の動きを数値や言葉に変えていきます。
どの筋肉が働いているか、どんな順番で身体が動くかを測り、他の人にも共有できる形にします。こちらは形式知に近い捉え方です。
この二つの組み合わせを見ているうちに、身体の話が仕事にもつながっているように思えてきました。
日本人の仕事は、形式知を追い求めすぎていないだろうか
ここでひとつ問題提起です。
日本人の仕事に蓄積されてきた一人称の知
日本のものづくりや職人文化には、長い時間をかけて腕を磨き、微妙な違いを見分けられるようになるという仕事の文化があります。
経験を重ねる中で、「この音はいつもと違う」「この手触りなら仕上がりが変わる」「今日は機械の調子がおかしい」といった感覚が養われていきます。
こうした暗黙知は、なにも工場や職人の世界に限りません。
営業であれば、お客さんと話したときの反応から何かを察します。マーケティングなら、調査で聞いた何気ない一言が妙に引っかかる。商品開発では、試作品を自分で触って「何となく使いにくい」と感じる場面も出てきます。
数字になる前の段階で、仕事をする本人はすでに何かを感じ取っています。
形式知を重視する仕事への変化
ビジネスの世界では、ロジカルシンキング、各種フレームワーク、KPI 、データ分析などが広く使われるようになりました。
こうした手法を使えば、自分の考えを他人に説明しやすくなり、組織の中で共通理解をつくれます。意思決定の根拠も明確になります。
私自身も、ロジックやデータを仕事で日常的に使います。
ただ、ここで少し気になる点があります。
説明できること、測れること、数字で示せることが重視されるうちに、まだ説明できない感覚を仕事の情報として扱いにくくなっていないでしょうか?
「それはあなたの主観ですよね」
「データはありますか?」
「数字で説明できますか?」
こうした問いはもちろん大事です。ただ、感じた直後からこの問いだけを当てると、まだ形になっていない気づきが消えてしまうこともあります。
顧客インタビューをしていると、発言内容よりも、話し方や間、表情が妙に気になるときがあります。
それでも、その引っかかりを残しておくと、あとから別の発言や行動とつながり、「この人が本当に気にしていたのはここだったのか」と気づくことがあります。
日本人の仕事は、形式知を積極的に取り入れてきました。その過程で、もともと得意としていた一人称の知を、以前ほど重く扱わなくなったのではないでしょうか。
仕事の起点を一人称に置き、そこから形式知へつなぐ
では、一人称の知を仕事でどう扱えばいいのでしょうか?
まず自分で感じ、問いに変える
最初にやることはシンプルです。自分で見る。触る。使う。現場へ行く。お客さんと話す。そこで感じた小さな違和感を、すぐに消さずに残しておきます。
「なぜ、この言葉だけ何度も出てきたのだろう?」
「なぜ、自分はここに引っかかったのだろう?」
「数字は悪くないのに、なぜ現場ではうまくいっていないように感じるのだろう?」
ちょっとした感覚を問いに変えると、次に何を確かめればいいかが見えてきます。
主観の中には、まだ整理されていない情報が含まれています。自分が何かを感じたという事実も、一度は仕事の材料として扱ってみる価値があります。
問いを確かめ、共有できる知にする
問いができたら、次は確かめます。
他のお客さんにも同じ傾向があるのか。データに兆しが出ているのか。別の現場でも同じことが起きているのか。追加で観察したり、話を聞いたり、数字を確認したりします。
そこで得た知見は、言葉や数字に変えていきます。
他の人にも説明できる形になれば、個人の経験だった暗黙知を形式知として組織でも使えます。判断基準や仕事の進め方に反映すれば、再現性も高まります。
流れにすると、次のようになります。
- 感じる
- 問う
- 仮説をつくる
- 確かめる
- 言語化・共有する
日本人の仕事が培ってきた感覚的な強さと、これまで学んできたロジックやデータを、この順番で組み合わせる方法です。
AI が形式知を扱うほど、「形式知になる前」の暗黙知が重要になる
この話は、AI が仕事にますます入ってくる今後、別の意味を持つようになっています。
人がつかむ「まだ言葉になっていないもの」
AI は、すでに言語化された情報を扱うのが得意です。大量の文章を読み、要約し、比較し、分類し、論点を組み立てる。データを渡せば分析もできます。
一方、人は現場にいけます。
お客さんと話していて、何かがおかしいと感じる。商品を使っていて、数値には出ていない使いにくさに気づく。いつもの仕事をしていて、小さな変化を感じる。
その段階では、名前も数字もついていません。
「なぜ気になったのだろう?」と自分に問いかけるところから、新しい仮説が生まれます。
一人称の知と AI を循環させる
そこで AI も使えます。
自分が感じた違和感を言葉にして AI に投げ、関連する事例を探したり、考えられる原因を広げたり、仮説を整理したりする。調べる範囲も広げられます。
そして最後は、再び現場で確かめます。
流れをまとめると、「人が一人称で暗黙知をつかむ → AI も使って形式知にする → 現場で再び確かめる」という循環です。
お客さんと話したときに何が引っかかったか。商品を使って何に違和感を覚えたか。まだ言葉になっていない変化をどう問いにするか。こうした一人称の知を、仕事の中でもう一度大切に扱ってみるわけです。
仕事の中で最近感じた小さな違和感を思い出してみてください。まだうまく説明できないからといって、そのまま流してしまってはいないでしょうか?
そこに、次に調べるべきことや、新しい問いにつながる手がかりがある残っているかもしれません。
まとめ
- 身体には、自分の内側から感じる一人称の視点と、外側から観察・測定する三人称の視点がある
- 一人称の身体感覚は暗黙知、三人称の観察や測定は形式知という、知識の扱い方にもつながる
- 日本人は仕事において形式知を追い求める中で、現場の勘や違和感といった一人称の暗黙知を軽く扱いすぎているのではないか
- 仕事では、自分で感じたことから問いをつくり、仮説を確かめ、言語化・共有する順番で一人称の知を形式知へつなげる
- AI が形式知を扱う範囲が広がるほど、人が現場でまだ言葉になっていない変化をつかみ、問いや仮説にする人間の役割が重要になる