#生き方 #問い #本

100m 走という、たった 10 秒の世界に人生を賭ける漫画があります。

今回は、『ひゃくえむ。(魚豊) 』のストーリー概要と、読んで思ったことを書いています。

作品の概要

『ひゃくえむ。』は、魚豊 (うおと) による、100m 走を題材にした陸上漫画です。

講談社のアプリ / Web の 「マガジンポケット」 で 2018 年 11 月から 2019 年 8 月に連載されました。全 40 話・単行本は全 5 巻 (新装版は上下巻) としてまとまっています。

100m 走という 「たった 10 秒の世界」 に人生を賭ける者たちの情熱、そして 「何のために走るのか」 という哲学的な問いを投げかける漫画です。

二人の主人公

物語は 100m という一瞬の競技に、なぜ人が惹きつけられ、人生の時間を注ぎ込んでしまうのか——その熱量の正体を、二人の少年の関係を軸に追っていきます。

主人公のひとりはトガシです。速く走ること以外に何も持たない少年だったトガシは生まれつき足が速く、小学 6 年生の時点で 100m 走・全国 1 位という実績を持っていました。

そんなトガシのクラスに転校生としてやってくるのが、もう一人の主人公である小宮です。小宮は周囲となじめず、なぜかいつも黙々と走っている少年でした。

小宮はつらいことを忘れるために走っているような雰囲気をまとっていました。トガシはその姿が気になって声をかけます。

トガシは小宮に 「100m だけ誰よりも速ければ全部解決する」 と言います。小宮はやがて 100m 走にのめり込み、二人は親友でもあるライバルでもあるという関係になっていきます。

物語は、教える側と教わる側だった二人の関係が、少しずつ変化しはじめます。その後は、100m の世界が学校行事から陸上競技の勝負の世界へと広がっていきます。

舞台が学校からさらに先へ広がり、さまざまなランナーたちとの出会いの中で、二人の関係もまた変わっていきます。

天才型と努力型 - 互いが互いを狂わせる関係

主人公の二人は対照的です。天才型のトガシと努力型の小宮。二人の対比は、よくある 「才能 vs 努力」 の構図に見えます。

でも『ひゃくえむ。』は、その対比を勝敗の決着に収束させません。むしろこの対比は、互いが互いに人生に影響を与え合う存在として描かれます。

天才型のトガシは、自分は誰よりも速いから走れるし、走れるから評価され、評価されるから走ります。才能がある人は、「なぜそれをやるのか」 という問いを持たないまま上へ行けてしまいます。だから、ある地点で問いが遅れてやってくる。「なぜ走るのか」 。これがトガシの苦しみでした。

努力型の小宮は逆です。

最初から問いがありました。現実を変えたい、ここから抜け出したい。走ることで自分を変えられると知り、そこに執念を燃やす。努力型は、理由があるから走れます。

しかし努力型には葛藤があります。走る理由が強いほど、失うものへの執着が生まれ、恐怖も強くなります。

二人の対比がドラマを生むのは、どちらが正しいかを決めるためではありません。

興味深かったのは、全く違う二人が相手に与えるものです。

  • トガシは小宮に 「走る」 を与える
  • それが、小宮の人生を走るに縛りつける
  • 小宮はトガシに 「挫折」 を与える
  • しかし同時に、トガシの世界を壊す

天才型は努力型に救われ、努力型は天才型に救われる。でもその救いは、痛みを伴う。ここが『ひゃくえむ。』のおもしろさだと思いました。

互いの存在は、優しい励まし合いというよりも、逃げ道を塞ぐ鏡のように働きます。

何のために走るのか

では、読んで考えさせられたことです。

漫画『ひゃくえむ。』の大きな問いは、「何のために走るか」 です。

 「結果」 ではなく 「過程」 - この漫画が本当に描きたかったもの

漫画『ひゃくえむ。』のおもしろさは、スポーツ漫画なのに 「勝った / 負けた」 「新記録が出た / 出ない」 を物語の中心に置いていないところです。

普通、スポーツ漫画における 「結果」 は分かりやすい物差しです。勝利はスカッとするし、敗北は次の展開への前振りになります。

ところがこの作品は、そうではありません。『ひゃくえむ。』の物語の中心は、勝ったかどうかではない。では何を描いているのか。

それは過程そのものです。具体的には、

  • 走る理由が、いつの間に変化していく
  • 楽しいはずだった行為が、不安や恐怖に侵食される
  • 言語化した瞬間に、ズレが生まれる
  • 一度つかんだはずの手応えが、また逃げる

こういう 「揺れ」 「逆」 「後退」 を含んだ過程です。人間の現実の変化は直線じゃなく、だから作品も直線では描かれていません。

結果に焦点を当てるストーリーは一本道になりやすいのに対して、『ひゃくえむ。』の過程は行ったり来たりします。そこが人生っぽくもあり、読む側の共感を呼びます。

結果は、ある意味で 「外部」 です。一方の過程は 「内部の変化」 。『ひゃくえむ。』は外部の採点よりも、内部の変化に価値があり、そこに重きを置いています。

 「どう勝つか」 より 「どう本気になるか」 

漫画『ひゃくえむ。』が描く 「本気」 は、精神論の気合ではありません。

むしろ本気は、本気になるために勝ち負けが必要になるという位置づけで描かれます。

『ひゃくえむ。』での 「本気」 とは、安全が整う前に踏み出す勇気のことです。恐怖や不安を抱えたまま、それでも自分の意思で前に進む状態が 「本気」 というわけです。

一般的なスポーツ漫画では、勝利が目的で、本気は手段です。でも『ひゃくえむ。』は、本気が目的で、勝利が手段のように感じました。「どう勝つか」 より 「どう本気になるか」 が印象に残りました。

挫折は 「終わり」 ではなく 「本気への入口」 

挫折は通常、ストーリーの谷の部分ですが、『ひゃくえむ。』の挫折は、もっと根源的な役割を持ちます。

挫折は問いを生み、人生をも再起動させるようなスイッチになります。

トガシは速い。だから走れる。評価される。だから走る。この循環にいる限り、トガシは走る理由を問わないまま続けられてしまいます。これは天才型の危うさです。

そこに突然、小宮に負けるという挫折が起きると、世界の色がガラッと変わります。

挫折によってトガシは走れなくなります。本当は速いのに走れない。ここが重要で、挫折は負けたという事実より、今までの走り方が成立しなくなることを意味します。つまり挫折は終わりではなく、別の走り方を選ばざるを得ない入口というわけです。

そして、その別の走り方とは本気を前提にした走り方です。「勝てるから走る」 ではなく、「走る意味をつかむために走る」 。挫折からの再起動は、意味を問わない勝利の延長を終わらせ、意味があるかもしれない走りへ入っていく入口になっています。

人生は喜びながら苦しむもの

『ひゃくえむ。』という作品は、喜びと苦しみを切り分けずに描かれています。

普通は苦しい時期があって、最後に報われて喜ぶという流れです。でも『ひゃくえむ。』は、喜びと苦しみが同じ瞬間に発生するシーンを描きます。

本気で走る時、気持ちがよく、風を感じる。身体が前に出る。でも同時に、怖い。壊れるかもしれない。負けるかもしれない。終わるかもしれない。

喜びながら苦しい。苦しいのに、喜びがある。それが人生のリアリティだと作品が言っているように感じます。

喜びと苦しみの混合を、走りの表情、呼吸、踏み込み・崩れで見せてくれます。

読者はそこに、自分の人生を垣間見ます。仕事でも、人間関係でも、創作でも、子育てでも、何でも本気の瞬間は気持ちいいだけではないでしょう。怖いし、しんどい。でもやっている。『ひゃくえむ。』はその瞬間を描きます。

100m という人生の縮図

100m は究極的にシンプルな陸上競技です。

だからこそ、100m は誤魔化せず、人生の縮図になります。

球技なら、相手や味方や展開のせいにできます。流れや運もある。でも 100m は、スタートして、加速して、維持して、ゴールする―― 、ほぼ自分です。

だから 100m は、自分の内側のことを悟るしかない競技になり得ます。自分は何を支えに走るのか。

そしてその問いは、そのまま人生の問いになります。

読み終わって

『ひゃくえむ。』は、100m 走という極限までシンプルな題材を使って、人生への哲学的問いを描く作品でした。

作品の中心にある 「何のために走るのか」 という問いは、そのまま 「何のために生きるのか」 という問いになります。でも、その答えを提示しません。むしろ、答えを探し続ける過程そのものに価値があると言っているように思いました。

読み終わった後にも残る、自分は何のために書いているのか、何のために働いているのか、何のために生きているのか。もちろん答えは簡単には出ません。でも、問い続けること自体が、本気で生きるということです。

そんなことを考えさせてくれる漫画でした。

まとめ

漫画『ひゃくえむ。(魚豊) 』を取り上げ、読んで考えさせられたことを掘り下げてみました。

学びのポイントをまとめておきます。

  • 結果よりも過程に価値を置くことで、人生の本質が見えてくる。勝ち負けという外部の評価ではなく、自分の内側で何が起こっているかに目を向けることが大切
  • 本気とは、安全が整う前に踏み出す勇気のこと。恐怖や不安を抱えたまま、それでも自分の意思で前に進む状態が本気である
  • 挫折は終わりではなく、新しい挑戦への入口。それまでのやり方が成立しなくなることで、本当に意味のある道を探し始めることができる
  • 喜びと苦しみは分離できないもの。本気の瞬間は気持ちいいだけでも苦しいだけでもなく、両方が同時に存在している
  • 競争の意味を問い直すことで、自分を本気にする源泉が見えてくる。競争は勝つためだけとは限らず、本気になるための競争として捉え直すこともできる