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なぜ、我々はマネジメントの道を歩むのか という本をご紹介します。
エントリー内容です。
- 本書の内容、なぜマネジメントの道を歩むのか
- 人間としての成長
- 人との巡り会い
本書の内容
以下は、本書の内容紹介からの引用です。
なぜ、我々は、マネジメントの道を歩むのか。
部下や社員の人生を、預かること。部下や社員の成長を、支えること。そのことが、マネジメントの責任であるならば、それは、文字通り 「重荷」 であるはず。
にもかかわらず、なぜ、我々は、自ら 「重荷」 を背負って歩むのか。本書はそのことを、著者の四半世紀の歩みを振り返りながら、語ります。
なぜマネジメントの道を歩むのか
本書の考え方は、「人のマネジメントとは、その人の人生を預かること」 です。生活や成長に責任を持つことです。
なぜマネジメントの道を歩むのかは、次の2つがあるからです。
- 人間としての成長
- 人との出会い。単なる出会いではなく、一人の人間との巡り会い
人間としての成長
本書では、人間としての成長は3つあると書かれています。以下の3つの心がわかるようになることです。
- 相手の心
- 集団の心
- 自分の心
それぞれについて補足します。
相手の心
マネジメントをする相手、例えばチームメンバーの心がわかるようになるという成長です。相手のことを深く理解し、心が見えるようになることが、人間としての1つめの成長です。
集団の心
場の雰囲気や空気が読めるようになります。
集団とは、一人一人の人間の集まりです。一人の人間という相手の心がわかるからこそ、次の成長は一人一人の総体である集団の心を理解できるかです。
自分の心
この本では、相手や集団の心よりも、最も見るのが難しいのは自分の心だとします。
わかっているようで理解できていないのが自分自身です。無意識のこと、自分の気持ちや考えを言語化できないことは、自分でも理解しているとは言えません。
自分自身の理解
最も難しいのは自分自身の理解という考え方は、興味深いです。
あらためて考えると、自分の無意識下での判断と意思決定、行動は、自分でもなぜそうしたのかは、明確に言うのは簡単ではないことです。そもそも、無意識で行っているので、自分でも気づいてすらいない場合もあります。
普段から心がけたいと思ったのは、曖昧になっていること、無意識な自分の振る舞いに、まずは自分で気づくことです。
まだ頭の中で整理ができてないことの言語化、そして、自分はなぜそう感じたのか、思ったかを自分自身の内側に向けて掘り下げるプロセスを通じて、自分自身の理解を深めたいです。
人との巡り会い
考えさせられたのは、自分にとって人との出会いは何を意味するのかです。
本書では、人との出会い、単なる出会いではなく巡り会いによって、人間というものをあらためて学べる機会があるとします。
この本からの学びは、一人一人との向き合う上での考え方です。相手と巡り会い、一緒に過ごす時間は自分にとってどのような意味なのかを考えることです。
自分にとってだけではなく、相手にとっての意味もです。自分という一人の人間との出会いは、相手にとって何を意味するのか、会ったことによって自分は何かしらの価値を提供できているかです。
最後に
本書では人間としての成長には、3つの心がわかるようになるかと書かれています。3つとは、相手の心、集団の心、自分の心です。
3つのうちの相手と集団の心は、本質的には自分以外の人の心です。私が思うのは、どこまでいっても理解することはできないということです。
しかし、だからこそ相手の心と集団の心を少しでも理解しようとする姿勢を持ち、理解することが成長するという意味であると捉えました。
相手や集団の心の理解、そして、自分の心の発見というプロセスを通して自分磨きを続けることが、生きるということの意味の一つです。