投稿日 2025/05/17

トヨタの 「医療的ケア児用バギー」 の開発は、デザイン思考の実践のお手本例

#マーケティング #新規事業 #デザイン思考

新商品を開発したのに、思うように売れない…。せっかくのサービスなのに、なぜかユーザーが離れていく…。

少なくないケースで陥っているのは、本当のユーザーニーズを見失っているからかもしれません。その解決策となるひとつが 「デザイン思考」 です。

今回は、トヨタの医療的ケア児に向けた開発事例から、ユーザー視点で価値を生み出すデザイン思考の実践方法を紐解きます。ぜひ一緒に学びを深めていきましょう。

デザイン思考


デザイン思考は、人間中心のアプローチで問題解決や新たな価値創造を行う手法です。

出典: Hint Clip

デザイン思考を実践するフレームは5つの要素からなります。

  1. 共感 (Empathize) で利用者の潜在的なニーズを理解し
  2. 問題定義 (Define) で本質的な課題を明確にする
  3. 創造 (Ideate) で多様なアイデアを生み
  4. 試作 (Prototype) で形にし
  5. 検証 (Test) でユーザーからフィードバックを得て改善していく


5つのステップは一方向で進むというよりも、何度も行き来しながらブラッシュアップを繰り返し、最終的にユーザーが本当に求める解決策を導き出します。

では、トヨタが新規事業として挑戦している 「医療的ケア児」 へ商品開発は、家族の移動課題に対処する取り組みです。こちらを題材に (参考記事) 、事例からデザイン思考の実践方法を紐解いていきましょう。

トヨタの 「医療的ケア児」 でのデザイン思考の実践


医療的ケア児と呼ばれる子どもたちは、全国におよそ2万人いるとされ、この10年で倍増しているとのことです。

医療的ケア児とは、日常生活を営むために、呼吸、栄養、排泄などに関して日常的に医療的ケアが必要な児童のことです。

医療的ケア児の子どもは生まれたときから長期入院を余儀なくされ、退院後も家族が24時間体制でケアをする必要があります。

トヨタが行った 「医療的ケア児用バギー (障がい児用の車いす) 」 の開発事例は、デザイン思考に当てはめると、ビジネスでの新規サービスや新規事業を開発するための示唆に富みます。

順番に詳しく見ていきましょう。

共感 [Empathize]

デザイン思考において、最初に重要になるのはユーザーの状況や声を深く理解する 「共感」 です。

インタビューや観察調査を通して、ユーザーが置かれている環境、状況、ライフスタイル、生活リズムや習慣、とっている行動、心理的な気持ちをリアルに感じ取り、相手と同じ立場や視点に立ちます。

今回のトヨタの事例で言えば、医療的ケア児と呼ばれる子どもたち、その家族への深い理解がスタートとなりました。

医療的ケア児は、生まれつき重い病や障がいを抱え、24時間でのケアが必要になります。生まれたときから長期入院を余儀なくされ、退院後も痰が詰まって呼吸困難にならないよう家族が24時間ケアをするというような現実は想像以上に厳しく、夜中の絶え間ないアラート対応、早朝の投薬、15 ~ 30分ごとの痰吸引など、ケアをする家族はまとまった睡眠もままならない日々です。

こうした家庭では子どもから離れられないため多くの親は働きに出ることも難しく、40.8% もの家族がわずか5分以上でも子どもから目を離すことができない実態があり、家族は社会的孤立を感じやすい状態です (参考記事) 。

このような困難な環境に対して、開発者であるトヨタのメンバー自身も当事者として関わっていることもあり、開発者のひとりは、自分の息子も先天性の難病を持って生まれ、在宅ケアとなり、まともに寝れないといった体験を語っています。

デザイン思考の 「共感」 のステップでは、当事者視点や対象者へのインタビュー、観察調査によって、背景となる文脈や抱えている困りごとが浮かび上がっています。そして、こうした文脈への共感を深めます。

問題定義 [Define]

次に 「問題定義」 の段階に入ります。

トヨタの例に当てはめると、医療的ケア児の家族は 「子どもに普通の生活体験をさせてあげたい」 や 「公園やショッピングなど当たり前の外出をできるようになりたい」 という切なる願いを抱えています。しかし、簡単には外出や移動ができないという事実が多くの困難をもたらしていました。

例えば、特別支援学校のバスに乗るには看護師の同乗が必要ですが、看護師不足のため利用が難しいケースがあります。結果的に親が自ら車を運転し、車内の子どもや積まれた医療機器のことを常に気にかけなければなりません。また、走行中は車の後部座席に横たわる子どもの様子がわかりにくく、たとえば痰が詰まっても気づきにくいなどの深刻な可能性があります。

トヨタはこうした状況を具体的に把握し、移動中に医療的ケア児の状態を安全かつ確実に把握できる手段がないこと、外出の心理的・物理的ハードルが非常に高いという解決すべき問題を浮き彫りにしました。すなわち、移動の難しさによって、医療的ケア児とその家族の生活の質が著しく損なわれていることを問題定義としたのです。

創造 [Ideate]

問題定義によって解決すべき問題が明確になったら、次はアイデアを生み出す 「創造」 の段階です。

アイデア創発においては、既存の発想にとらわれず、多様な解決策やコンセプトを広く検討します。

トヨタは定義した問題に対し、車内での子どもの状態確認を簡単にするバギーの設計を考えました。


生まれたアイデアが、車内でバギーを前後反転させるという発想でした。

特徴的なのは、車内でのバギーの向きを前後で反転させていることにあります。運転席から振り向けば、子どもの顔を見やすく、信号待ちなどの短い停車中でもすぐに手を伸ばして触れることもできます。子どもの状態を目で確認することができなくても、触れてあげることでの安心感が得られます。

トヨタはこのアイデアをさらに膨らませていく中で、「車両本体の改造を含めた総合的な仕組みづくり」 や 「ブレーキの位置を変える」 、「瞬時に固定できる車の床との接続方法」 など、細部にわたるアイデアが次々と検討されていきました。多くの関係者からの助言を踏まえ、幅広い発想を出し合う 「創造」 です。

試作 [Prototype]

アイデアを形にしていくのが 「試作 (Prototype) 」 です。

頭の中や図面上で考えられたアイデアを、試作品として実物を作り上げていくことによって、初めて実用性や使い勝手を検証できるようになります。

トヨタは、安心してバギーを載せられるように車の運転席のブレーキの位置を変えたり、車内の床とバギーを瞬時に固定できる仕様にするなど、地道に課題を洗い出しては改善を繰り返しました。机上のアイデアから一歩踏み出し、具体的な形となった車両改造やバギーの設計変更が行われ、試作品が実際に使用できる状態にまで進化しました。

検証 [Test]

最後に 「検証 (Test) 」 に入ります。

実際にユーザーや関係者に試作品を試して使ってもらい、フィードバックを受けて改良点を洗い出します。得られた知見をもとに、再び問題定義やアイデア出し、試作を行うこともあります。

デザイン思考の試作や検証段階は、一回で完成を目指すのではなく、ユーザーや関係者に触れてもらいながら改良を重ねることが重要です。トヨタはなんと500回以上のヒアリングを実施しているとのことですが、これは裏を返せば何度も試作を作っては見せ、現場の声を反映し続けていることを意味します。

トヨタの担当者のひとりである医療的ケア児の親が、試作車両とバギーを体験したことによって、信号待ちで安心して子どもの顔が見られたそうです。車で子どもと一緒にいるときに身体にトントンと左手で触れてあげることができた、そして、家族でのお出かけをするのもできるかもしれないと、考えるようになったとのことです。

実際に体験したことで、利用者視点に立った検証結果を得られ、プロトタイプが一歩実現に近づいたことを示しています。また、試作・検証を通じて、法規、安全面、耐久性など、実用化に向けたより具体的な課題も発見されます。

さらに 「医療的ケア児に向き合ってくれるだけで、自分たちは生きていていいんだと希望をもてた」 というユーザーからの声や、「介護ではなく育児をしてあげたい」 という切なる想いも反映されることによって、試作物が人々の生活そのものを支える存在になりえることへの確信を持てることでしょう。これはプロトタイプを実際にテストをし、検証したからこそです。

まとめ


今回は、トヨタの医療的ケア児への社会的な開発事例を取り上げ、学べることを見てきました。

最後にポイントとしてデザイン思考の5つの要素をまとめておきます。

  1. 共感 (Empathize) : 利用者の潜在的なニーズを理解し共感する
  2. 問題定義 (Define) : 本質的な課題を明確にする
  3. 創造 (Ideate) : 多様なアイデアを生む
  4. 試作 (Prototype) : アイデアを形にする
  5. 検証 (Test) : ユーザーからフィードバックを得て改善していく


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多田 翼 (運営者)

書いている人 (多田 翼)

Aqxis 代表 (会社 HP はこちら) 。マーケティングおよびマーケティングリサーチのプロフェッショナル。ベンチャーから一部上場企業の事業戦略やマーケティングのコンサルティングに従事。

前職の Google ではシニアマネージャーとしてユーザーインサイトや広告効果測定、リサーチ開発に注力し、複数のグローバルのプロジェクトに参画。Google 以前はマーケティングリサーチ会社にて、クライアントのマーケティング支援に取り組むとともに、新規事業の立ち上げや消費者パネルの刷新をリードした。独立後も培った経験と洞察力で、クライアントにソリューションを提供している。

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名古屋出身、学生時代は京都。気分転換は朝のランニング。