#マーケティング #価値の再定義
「うちの会社はこんな商品を作っている会社だから」 、これは本当にそうでしょうか?
実は、お客さんが本当に求めているのは、その商品やサービスそのものではないかもしれません。
老舗印鑑メーカーのシヤチハタは、デジタル化による印鑑需要の減少という危機に直面しました。しかし、シヤチハタは 「ハンコを作る会社」 という自らの存在意義を解き放ち、お客さんが本当に求めているものは何かを徹底的に追求しました。その結果、ユニークな新しい商品を次々と生み出すことに成功しています。
今回は、シヤチハタの事例から、視座を高め視野を広げることでの価値創出を学べます。
しるしの価値を広げるシヤチハタ
印鑑の代名詞とも言える 「シヤチハタ」 。
1925年に舟橋商会として創業し、ほどなくして 「インキを補充せず使えるスタンプ台」 の開発に成功。その後、1968年に誕生したインク内蔵式ハンコの 「シヤチハタ ネーム」 は大ヒットとなり、「朱肉がいらないハンコ = シヤチハタ」 というイメージは広く定着しました。
老舗印鑑メーカーを揺るがす時代の変化
ところが、近年のビジネス環境は大きく変化しています。
行政主導の脱ハンコやオフィスのペーパーレス化が進み、多くの企業が紙の契約書や書類から、電子決裁などでのオンライン手続きへシフトするようになりました。さらにリモートワークの拡大によって、わざわざハンコを押すためだけに出社しなければならないといった不便や不満が表面化し、押印不要の流れが進んだのです。
脱ハンコへの加速のあおりを大きく受ける立場にあったのが、印鑑やスタンプを主力とする企業であり、その筆頭にあるのがシヤチハタでした。
オフィスのデジタル化によって法人向けの印鑑需要は落ち込み、シヤチハタの主力商品であるネーム印の売上も影響を受けることとなりました (参考記事) 。
苦境を変革のきっかけに
シヤチハタはこの状況を変革のきっかけと捉え、新たな方向性を明確に打ち出しました。
それが 「しるしの価値を広げる」 という考え方でした。ハンコは書類に押して承認するための道具でしたが、シヤチハタは 「印鑑とは、さまざまなものを可視化するツールである」 と再定義したのです。
ハンコという具体的な物にこだわらず、自社の保有するインク技術やゴム成形技術を活かして、新しい 「しるし」 の可能性を拓いていくという発想の転換です。シヤチハタの次の100年を見据えた戦略の根幹になりました。
「しるしの価値を広げる」 から生まれた商品
では、シヤチハタは 「しるし」 をどのように広げているのでしょうか?商品の具体例を見ていきましょう。
トイレ掃除用品 「ミエルモ」
1つ目は、トイレ掃除用品 「ミエルモ」 です。2024年9月にテスト販売が始まった、まったく新しい発想のクリーナーです。
スプレーをトイレの便器や床に吹きかけると、尿ハネ部分が青い色で浮き上がり、汚れが可視化されます。青く色がついているうちは洗い残しがあるというわけです。拭き取ると、すぐに色が落ちて元に戻る仕組みになっています。
実はこの着色と消色を自在にコントロールするために、インクとゴム成形などに長年取り組んできたシヤチハタのノウハウが活用されました。汚れを可視化するという機能性は、ハンコの押印によって承認を可視化してきた技術を転用したものです。
手洗い習慣を身につける 「おててポン」
2つ目は、「おててポン」 です。産学連携で開発された正しい手洗い習慣を身につけるためのスタンプ商品です。
手のひらにスタンプを押して、水と石けんで洗うと印影が消えるという、スタンプが消えるまでしっかり洗えば、十分に手を洗ったしるしになります。コロナ禍で手洗いの重要性が叫ばれると、従来の教育用品という位置づけをはるかに超えて、大人も子どもも使える 「実用アイテム」 として出荷数が伸びました。
手のひらに押して見える形を作り、消えるまで行動するという行為は 「しるし」 の効果的な使い方です。
学べること
ではシヤチハタの事例から学べることを掘り下げていきましょう。
シヤチハタは 「しるしの価値を広げる」 という発想を汎用化して示唆を考えてみます。
本質的な顧客価値の再定義
従来であれば、ハンコは 「名前や社名をスタンプするもの」 に過ぎず、書類の承認のために使われてきました。いわば 「道具の役割」 としては限定的で、使われる場面もオフィスや役所などの固い場所です。家庭では印鑑は郵便や宅配便の受け取り、小さな子どもがいる家では子どもの連絡帳などへの使用です。
印鑑メーカーであるシヤチハタは、今まではその需要が拡大する限り、ハンコをアップデートし続ければ十分な市場があったという状況でした。
しかしデジタル化やリモートワークが進むと、押印が必須ではない風潮になりました。このとき初めて 「ハンコは本当に必要なのか?」 という根源的な問いが社会全体で浮上したわけです。
ここでシヤチハタが注目したのは、ハンコを押す行為自体の背景にある、人の心理や行動でした。人は何かを確認したり、承認する、あるいは祝福をしたり、ケジメをつけたりするときに 「形に残るしるし」 を求めるものです。ハンコはそれを象徴的に具現化していただけにすぎないと考えました。
シヤチハタは印鑑を 「しるし」 として、より高い次元で捉え直しました。存在意義を再定義した 「しるしの価値を広げる」 とは 「形を残す、見えるようにする、意識化させる」 という本質的な行為を、より多様なシーンに適用できることを意味します。
例えばトイレの汚れを一目でわかりやすくするのも、手洗いの習慣を可視化するのも、根っこは同じです。何らかの 「認知・行動・記憶・共有」 をサポートするために、物理的またはデジタル的な手段で 「しるし」 を見せることをつくり出すという発想です。
人が本当に欲しているのは、ハンコそのものとは限りません。欲しいのは、「確認したい」 「承認したい」 「祝福したい」 「思い出を刻みたい」 といった、より根源的なニーズです。その本質をしっかりと見据えれば、ハンコやスタンプだけにとどまらず、多彩な応用が可能になるわけです。
思い込みや先入観を疑う
シヤチハタの 「しるし」 の捉え方は、企業や個人にとって示唆に富みます。人はしばしば、自分の得意領域や既存の主力商品の機能にこだわりすぎてしまい、「そもそも何のためにそれを使うのか?」 という本質的な意味を見失いがちです。
シヤチハタが印鑑に縛られない新しい分野への転換を進められたのは、自分たちが本当に提供している価値は何か、お客さんが求めている真の目的は何かという問いを突き詰めようとする姿勢があったからです。
例えば、手洗いの習慣づけには 「適切なタイミング・手順で手を洗うにはどうすればいいか」 という気持ちに応えるために、「スタンプを手のひらに押す → 水で洗う → スタンプが消える」 というプロセスが効果的でした。手のひらにハンコを押すという発想は一見突飛に見えますが、しるしが消えれば洗い終わりを子どもがも楽しくパッと確認できるという方法は有効です。
どうやったら人が知りたいことを確実に把握することができ、望む行動を取れるかという問いを立て、ハンコの技術のエッセンスを取り入れた例です。視野を広げて考えると、シヤチハタの本業の 「印鑑」 の延長線とは異なる新しい領域が開けます。
視座を高めて、視野を広げる
このように視座を高め、視野を広げることによって、これまで当たり前と思ってきた商品やサービスの価値を再定義できます。なぜそれをしているのか、お客さんは本当に何を望んでいるのかをあらためて問い直せば、ユニークなアイデアにつながります。
自社の商品や技術、伝統に固執するのではなく、本当にお客様が求めている価値は何かを突き止め、それを満たすために持てる技術や強みを自在に組み合わせる――。既存の商品カテゴリーの枠に縛られず、アイデンティティを再定義することができれば、既存顧客にとどまらない新規顧客を取り込むチャンスが生まれます。
まとめ
今回は、シヤチハタの事例を取り上げ、学べることを見てきました。
最後にポイントをまとめておきます。
- シヤチハタは、顧客が本当に求めているのはハンコそのものではなく、その背後にある本質的なニーズ (確認, 承認, 記録など) だと理解した
- そこから 「ハンコ = 承認の道具」 という固定観念から脱却し、「しるし = 可視化のツール」 という本質的な役割を見出した
- 視座を高めて視野を広げることによって、新しい着想が生まれる
- 今の自社商品や事業に固執せず、何のためにそれが必要なのかの根本から問い直す。顧客の状況や生じているニーズ、まだ解決されていない困りごとを捉えることで価値を生み出す
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