投稿日 2025/12/14

価値は誰に届ける?トヨタ GR に学ぶ、顧客文脈を捉え、選ばれる "鍵" をつくるマーケティング

#マーケティング #顧客定義 #鍵穴と鍵

優れたマーケティングは、お客さんが持つ 「本当に求めていること」 を見つけ出し、それにぴったり合う 「価値 (選ばれる理由) 」 を届けます。

今回は、トヨタのスポーツカーブランド 「GR」 を取り上げます。

トヨタ GR は、既存ファン、潜在層、そして販売店という3つの "顧客" を定め、それぞれの顧客文脈にぴったり合う価値を届け続けています。トヨタ GR をケーススタディにして、マーケティングの本質に迫ります。

トヨタ GR


出典: TOYOTA

トヨタ自動車の 「トヨタ GR」 は、トヨタのスポーツカーブランドです。GR はトヨタ自動車のモータースポーツ部門である TOYOTA GAZOO Racing の頭文字を取ったものです。

モータースポーツで培った技術やノウハウを市販車にフィードバックし、よりスポーティな走りを追求したモデルを展開しています。

トヨタ GR は 「クルマ好きに愛される」 というコンセプトのもと、既存ファンと潜在顧客の両方にアプローチします。モータースポーツで培った性能と走る楽しさを強みに、直接の顧客接点を重視したブランディングを行っています。

豊田章男会長がブランドホルダーとして企画段階から深く関与し、過酷なテストで壊れた部品も含めてありのままを見せる。こうしたストーリーへの共感を通じて、ブランドコミュニティを形成しています。

旧車部品の復刻販売や AE86 の修理書・カタログ復活など、購入後も顧客との接点を維持する取り組みがあります。マクドナルドやユナイテッドアローズといった異業種とのコラボレーションにより、車に興味がない消費者層にもブランド体験を提供しています。

* * *

では、トヨタ GR の事例から学べることを掘り下げていきましょう。

この事例は 「顧客は誰か」 へのビジネスでの最重要な問いに示唆があります。

顧客は誰か?


売りたい商品があっても、それを必要としているお客さんがいなければ、売ることはできません。

お客さんを定める

ビジネスの第一歩は 「お客さんが誰かをはっきりさせること」 です。これができていないと、どんなにすばらしい商品を持っていても、買ってはもらえないでしょう。

お客さんが誰なのかを決めることはビジネスの一丁目一番地です。

ビジネスには目的があり、目的を達成するための戦略を立て、戦略から施策を実行し展開していくにあたって、最初にはっきりさせるべきなのは 「自分たちのお客さんは誰か」 なのです。

顧客解像度を高める

 「顧客は誰か」 という問いかけは、あらゆるビジネスに当てはまります。自分たちのビジネスがどういうものかを知るために良い方法は、「顧客は誰か」 という問いを投げかけることです。

具体的には、

  • 最初のお客さんは誰だったのか
  • その後にお客さんになってくれた人は誰か
  • 長くお客さんであり続けてくれている人は誰か
  • 将来の潜在的な見込み客は誰か
  • 過去にお客さんだったが今は離れていってしまった人は誰か


様々なお客さんをひとくくりにせずに、自社のお客さんの解像度を高めるほど、それはすなわち自社のビジネスの特徴を知ることにつながります。

鍵と鍵穴

マーケティング活動とは、たとえるなら 「顧客文脈という鍵穴を発見し、それにぴったり合う鍵 (顧客価値) を提供する」 というプロセスです。

鍵穴にぴったり合う鍵とは、消費者の状況において生じているニーズや望みを満たす商品やサービスのことです。そして、鍵を開けるという行為は、お客さんが実際に価値を得たことを意味します。

トヨタ GR のマーケティング


トヨタのスポーツカーブランド 「トヨタ GR」 は、顧客は誰かという問いに対し、複数の重要な顧客を明確に定義し、それぞれに最適化されたアプローチを実践している事例です。

トヨタ GR は、既存ファン (クルマ好き層) 、潜在顧客層、販売店 (GR Garage) という3つの異なる顧客を定め、それぞれの 「顧客文脈」 という鍵穴に、ぴったり合う 「価値」 という鍵を提供しています。

既存ファン (クルマ好き層) 

最初の、そして重要な顧客は、ブランドを支える熱心な 「クルマ好き層」 です。彼ら・彼女らにとってクルマは単なる移動手段ではありません。

既存ファンの顧客文脈 (鍵穴) は、「自分の愛車をもっと知り、長く乗り続け、同じ情熱を持つ仲間と語り合いたい」 という、強いこだわりと愛情にあります。

この鍵穴に対し、トヨタ GR は完璧に合う鍵を用意しています。

1つ目は、共感を呼ぶストーリーです。

トヨタ GR の 「モータースポーツを起点としたもっといいクルマづくり」 というブランドの姿勢を、CM などで伝えます。豊田章男会長自身がブランドの象徴となり、クルマへの情熱がストーリーに説得力を持たせ、ファンの心をつかむことでしょう。

2つ目は、愛車に乗り続ける喜びという鍵です。

往年の車に乗り続けている人向けに、当時使われていた旧車部品を公式に販売したり、トヨタが1983年に発売した車種 「AE86」 の発売当時の修理書・カタログを復刻販売しています。

これらは 「このクルマにずっと乗り続けたい」 というファンの切実な願い (鍵穴) に応えるものです。他社には真似のできない深いレベルでの価値提供 (鍵) です。

3つ目の鍵は、専門的な知識と交流の場です。

専門スタッフが常駐する 「GR Garage」 は、修理やカスタムの相談ができるだけでなく、クルマ好きが集まり語り合えるコミュニティ拠点としての役割を果たします。

このようにトヨタ GR は、クルマ好きの熱量をブランドの中心に捉え、ファンの強いこだわりに寄り添うことによって、揺るぎないロイヤルティを築こうとしています。

潜在顧客層

次にトヨタ GR が顧客と定めているのが、今はまだクルマに強い興味を持っていない 「潜在顧客層」 です。この層は、将来のファン候補であり、ブランドの裾野を広げるために大事な存在です。

潜在層の日常にある 「鍵穴 (顧客文脈) 」 は、クルマとは直接関係ありません。例えば、「親子で楽しめるイベントはないか」 「好きなブランドのコラボグッズが欲しい」 「好きなアーティストのイベントに行きたい」 といった多様な興味関心事が、潜在層の顧客文脈です。

一見すると自動車とは無関係な鍵穴に、トヨタ GR は異業種コラボによる 「鍵」 を差し込みます。

具体的には、マクドナルドやタカラトミーとのコラボ企画です。

親子で楽しめるサーキットイベントを開催し、ハッピーセットのトミカが実車になって走るという体験を用意しました。ドライバーが運転する車に乗れたり、なりきりコスチュームに着替えて記念撮影ができました。

これは 「週末のレジャー」 という鍵穴に、「クルマの楽しさ」 という新しい価値の鍵を合わせるマーケティングです。

他にも、ユナイテッドアローズとのコラボグッズ販売、松任谷由実の名曲 「サーフ天国、スキー天国」 とのコラボイベントも展開しました。アパレルや音楽といった異なるカルチャーと融合させ、クルマに興味がない層にもトヨタ GR ブランドに触れるきっかけをつくります。

これらのアプローチは、直接的な販売を目的としていません。潜在顧客の日常に寄り添い、「クルマは楽しそう」 というポジティブな感情と記憶を残すことによって、将来的に潜在層がクルマに興味を持った時に、真っ先にトヨタ GR を思い出してもらうための戦略的な種まきなのです。

販売店 (GR Garage) 

3つ目の重要な顧客は、ブランドと消費者を繋ぐ最終接点である販売店である GR Garage のスタッフです。

店舗スタッフの顧客文脈 (鍵穴) は、車を売りたいだけにとどまらず、「ブランドへの誇りを持ち、専門知識でお客さまの期待に応えたい」 というプロフェッショナルとしてのモチベーションにあります。

この鍵穴に対し、トヨタ GR は 「インナーブランディング」 という鍵で応えます。

インナーブランディングの1つ目の要素は、スタッフの熱量を伝えるブランド研修です。


豊田会長自らが GR Garage の店長と販売員にブランドの思いを直接伝えたり、開発中の壊れた部品を見せながらエンジニアが開発秘話を語ったりする場をつくっています。

スタッフや販売員は深いレベルでトヨタ GR のことを理解でき、自らの言葉で熱量を持って来店客に語れるようになるでしょう。

2つ目のインナーブランディングは、ライバルから仲間への意識改革です。

トヨタは、研修では、販売店の接客の好事例を他の店舗にも共有するそうです。

一般的には競合関係にある販売店同士が連携してもらい、好事例を共有する文化を醸成しています。GR Garage 全体でお客さまをサポートする体制が生まれ、販売店の機運や士気を高めます。

GR Garage の販売店のことを単なる販売チャネルではなく、共にブランドをつくるパートナーと捉え、販売員のモチベーションと専門性を高めるインナーブランディングによって、最終的な既存ファンや潜在顧客層の顧客体験の質を向上させているのです。

* * *

トヨタ GR の事例は、「顧客は誰か」 を問い、それぞれの顧客文脈 (鍵穴) を理解し、鍵穴に合う鍵 (顧客価値) をつくり続けていることの重要性を教えてくれます。

トヨタ GR の既存ファンには 「深さ」 を、潜在顧客には 「広がり」 を、そして販売店には 「誇り」 を提供する。立体的な顧客理解と価値提供こそが、ブランドの持続的成長を支えているのです。

まとめ


今回は、トヨタ GR の事例を取り上げ、学べることを見てきました。

最後にポイントをまとめておきます。

  • 顧客を明確に定義することがビジネスの第一歩。「お客さんが誰か」 をはっきりさせる。顧客をひとくくりにせず、その解像度を高める

  • 熱心な既存ファン、将来的に顧客になりうる潜在層、そして事業を支えるパートナー (販売店など) といった、複数の異なる顧客層が存在することを認識する

  • それぞれの顧客層が置かれている独自の状況、抱えるニーズや課題、価値観などの 「顧客文脈という鍵穴」 を深く理解する

  • 発見した 「鍵穴」 に対して、問題を解決する商品やサービス、共感を呼ぶストーリー、誇りやモチベーションを高める仕組みといった、それぞれに鍵穴に合致する 「顧客価値という鍵」 をつくり、提供する

  • 複数の顧客層に合わせた異なるアプローチを同時に展開することにより、ブランドは既存顧客との関係を深めつつ、新たな顧客層を獲得し、持続的な成長を実現できる


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多田 翼 (運営者)

書いている人 (多田 翼)

Aqxis 代表 (会社 HP はこちら) 。マーケティングおよびマーケティングリサーチのプロフェッショナル。ベンチャーから一部上場企業の事業戦略やマーケティングのコンサルティングに従事。

前職の Google ではシニアマネージャーとしてユーザーインサイトや広告効果測定、リサーチ開発に注力し、複数のグローバルのプロジェクトに参画。Google 以前はマーケティングリサーチ会社にて、クライアントのマーケティング支援に取り組むとともに、新規事業の立ち上げや消費者パネルの刷新をリードした。独立後も培った経験と洞察力で、クライアントにソリューションを提供している。

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名古屋出身、学生時代は京都。気分転換は朝のランニング。