#マーケティング #ブランディング #コンセプト
広告を打っても、ロゴを刷新しても、なかなかお客さんの心に響かない。企業のブランディングに共通する悩みです。
阪急電鉄は違うアプローチでブランドを築き上げました。そのカギとなったのは、社員が毎日当たり前にやっていたことに光を当てることでした。
今回は、阪急電鉄の取り組みからブランディングへのヒントを考えます。
阪急電鉄の取り組み
2023 年から 2024 年にかけて、阪急電鉄は中期経営計画の策定を機に、本格的なブランド強化に乗り出しました。
背景にあった危機感
阪急電鉄が直面していた課題は大きくふたつありました。
ひとつめは、従来の中期経営計画と現場との間に生じていた温度差です。
数値目標やアクションプランは立派に作られても、それが現場の一人ひとりの行動にまでつながっていない。経営計画が絵に描いた餅になってしまう。そんな状況がありました。
もうひとつは、人口減少という避けられない未来への危機感です。これまでの鉄道事業は、需要があることを前提に、乗客が減れば費用を削減するという 「需要対応型」 のモデルでした。
しかし、人口そのものが減り続ける時代に、このやり方では立ち行きません。必要なのは 「需要を創造する」 ことだからです。
当たり前への気づき
ちなみに、阪急電鉄は日本版顧客満足度指数 (JCSI) 調査において、近郊鉄道部門で 16 年連続 1 位と高い評価を得てきました (参考情報) 。
しかし、高い顧客満足度という実績があったにもかかわらず、阪急電鉄がなぜお客さんに選ばれているのかを深く理解し、社内での言語化や共有ができていませんでした。
そこで阪急電鉄はあらためて顧客調査を行いました。
調査結果は興味深いものでした。運転士や車掌が安全確認のために行う指差確認や敬礼は社内では当たり前の日常業務でしたが、お客様は現場の従業員に 「真剣さ」 や 「誠実さ」 を感じ取り、信頼を寄せていたのです。
ふかふかのシート、清潔な車内、駅員の丁寧な対応。これらすべてが組み合わさって、お客様に特別な感覚を与えていました。
その感覚を、阪急電鉄は 「ゆとり」 と捉えました。
* * *
では、阪急電鉄の事例から学べることを掘り下げていきましょう。
コアバリューを決める
ブランド戦略の第一歩は、お客様に約束する最も大切な価値である 「コアバリュー (中核的な顧客価値) 」 を定めることです。
阪急電鉄は顧客調査を通じて、自分たちが提供している価値の核心が 「ゆとり」 という言葉に集約されることを発見しました。
ここで言う 「ゆとり」 は、単に電車が空いているという表面的な意味ではなく、お客様の心の中に生まれる、穏やかで上質な感覚のことです。もっと深い、心の余白のようなものです。
ゆとりは、主にふたつの要素から成り立っています。
ひとつは 「安心できる利便性」 です。時間通りに電車が来るという当たり前のことが、実は日々の生活に 「焦らなくていい」 という心の余裕を生み出していました。
もうひとつは 「上質なおもてなし」 でした。阪急電鉄の伝統のマルーンカラーの車体、きれいに清掃された車内、冬には暖かく感じるふかふかのシート、そして駅員や乗務員の丁寧な立ち居振る舞い。これらが重なり合って、移動時間を 「ホッと一息つける時間」 に変えていたのです。
阪急電鉄は、この感覚こそが自分たちの揺るぎない価値 (コアバリュー) であると定義し、「ゆとり」 をすべての活動の出発点に据えました。
インターナルマーケティングに反映
どんなに素晴らしい戦略を描いても、最終的にお客様に 「ゆとり」 という体験を届けるのは、現場で働く一人ひとりの社員です。
阪急電鉄は 「ブランドは広告だけでつくるのではなく、現場がつくる」 という考え方のもと、コアバリューを社内に浸透させることに力を注ぎました。つまり、インターナルマーケティングです。
現場の気づきの言語化
まず行われたのは、車掌や駅員の 「指差確認」 の例のように、現場の当たり前がお客様にとってどれほど価値を持っているかを言語化し、社員に伝えることでした。現場の当たり前に意味づけをしたというわけです。
お客様から見た指差確認や敬礼は、真剣さや信頼感が伝わるものです。現場で当たり前にやっていた行為が、実は強いブランド資産だったという気づきを全員で共有しました。
価値観の共有と仕組み化
コアバリューである 「ゆとり」 を体現するための行動指針として、阪急電鉄は5つのバリュー (社内で大切にしたいこと) を策定しました。
出典: 日経クロストレンド
- 常にお客様の立場に立つ
- 仲間を大切にし一丸となって取り組む
- 良い行動や成果を積極的に認め讃え合う
- 伝統を守りながら発展を続ける
- 主体性を持って行動し工夫を凝らす
ポスターや動画、トップメッセージを通じて全社に共有し、「ゆとり」 を誰もが口にできる共通の合言葉へと昇華させていきました。
整備士は 「お客様の『ゆとり』のために、今日も完璧な車両を」 、駅員は 「お客様に『ゆとり』を感じていただくため、丁寧なご案内を」 。全部門の仕事が、同じ目標に向かっているという一体感が、サービスの質を高めていくことでしょう。
まず内側 (社員) が自社の価値となるコアバリューを理解し、強く信じ、自ら体現する。顧客価値の輝きが自然と外側 (お客様) へとあふれ出していく。インサイドアウトという内から外へのアプローチもあってこそ、阪急電鉄のコアバリューがブランドをつくっていくのです。
コアバリュー起点の戦略立案と施策
阪急電鉄は、「ゆとり」 というコアバリューをもとに戦略から様々な施策にも展開しました。
一貫性のある施策展開
コアバリューを 「ゆとり」 と定めた阪急電鉄は、組織の 「コンパス」 としました。
自分たちの向かう方向性が定まったことで、新しいサービスを始めるとき、車両をリニューアルするとき、駅を改装するときなど、あらゆる場面で 「この決定は、お客様の『ゆとり』につながるだろうか?」 という問いが立てられるようになりました。
運行や設備においては、安定運行の徹底はもちろん、清掃品質の向上、座席や照明の質感にまでこだわりました。これらは 「ゆとり」 という体験の土台となる部分だからです。
また、案内やサインも見直されました。
見やすさだけでなく、落ち着きを感じられるデザインにし、焦らすような表現は避け、心が急かされない工夫が施されました。
接客コミュニケーションも統一されました。声かけや車内放送のトーンを 「やさしく、丁寧に」 という方向で揃えていきました。お客様という呼び方ひとつとっても、全社で統一することにより細部にまで一貫性を持たせたのです。
沿線全体への展開
興味深いのは、この 「ゆとり」 の概念が鉄道事業だけにとどまらなかったことです。
沿線づくりや催事の企画においても、混雑やストレスを減らし、散策そのものが 「ゆとり時間」 になるような設計が心がけられました。
広告や PR も変わりました。過度な派手さを避け、体験としての上質さが伝わる表現へとシフトしていきました。
このように、運行、設備、接客、まちづくり、広告のすべてが同じひとつの 「ゆとりの物語」 を語るかのように連携します。
汎用的な学び
では阪急電鉄の事例から、私たちが汎用的に学べることを整理しておきましょう。
コアバリューは言葉だけでなく、体験でも伝える
まず大切なのは、コアバリューを言葉で飾るのではなく、体験として伝えることです。
いくら美しい広告を作っても、実際の体験が伴わなければ意味がありません。阪急電鉄は 「ゆとり」 という言葉を、広告で連呼して押し付けようとするのではなく、お客様が乗車し、駅を利用するたびに、五感で自然と感じられる体験へと落とし込みました。
言葉と体験が一致したとき、ブランドの約束は本物になります。
現場の当たり前が、いちばん強いブランド資産
次に大事なのは、当たり前の価値に光を当てることです。
阪急電鉄は自分たちが日々行っている業務の中に宝物を見つけました。運転士の指差確認、駅員の丁寧な対応、技術者の真摯な仕事ぶりは、すべて長年かけて培われてきた阪急電鉄の企業文化の結晶でした。
他社が簡単に真似できない、時間をかけて積み上げてきたものが最強のブランド資産になります。
新しいものを外から無理やり持ってくるのではなく、すでにあるものの価値を再発見し、磨き上げるという発想は他の企業にとって示唆に富みます。
共通言語が一貫性と意思決定・実行のスピードを生む
最後に、共通言語の力です。
阪急電鉄では 「ゆとり」 という言葉が組織全体の共通言語になったことによって、組織での意思決定の判断基準になりました。
経営陣から現場まで、誰もが 「これは『ゆとり』につながるか?」 という同じ物差しで見ることができ、部署を超えた議論もスムーズになります。意思決定のスピードと質が向上することでしょう。そして決定されたことに、全社が同じ方向を向いて動けるようになります。
日々の小さな決定から大きな投資判断まで、全員が同じコンパスを持つことにより、組織は迷うことなく、一貫した価値提供へと突き進むことができるのです。
まとめ
今回は、阪急電鉄の事例を取り上げ、学べることを見てきました。
最後にポイントをまとめておきます。
- 自社の 「当たり前」 には独自の強みが眠っている。外部から新しい価値を探すだけでなく、自社の文化や日々の業務の中に根付いている 「当たり前の行動」 に光を当てる
- 顧客や自社を深く理解し、顧客に提供できる価値をコアバリューとして言語化する
- コアバリューを企業活動の判断基準にする。製品開発、サービス設計、マーケティング、営業、顧客対応など、あらゆる意思決定の場面で 「コアバリューを実現するか?」 を問いかける
- コアバリューを社内に浸透させ、全社員が自社の価値を理解し、共感する状態を目指す。組織の一体感と自律的な行動を促す
- 細部にまで価値観を浸透させる。言葉遣い、デザイントーン、対応の仕方など、一見些細に見える要素も含めて統一する。また、中核事業だけでなく、周辺事業や関連サービスにもコアバリューを展開し、顧客体験全体を包括的にデザインする
