#マーケティング #インサイト #価値提案

効率や速さが重視される時代に、あえて 「手間をかけるおもしろさ」 でユーザーを魅了した企業があります。

今回は、富士フイルムが 2025 年に発売したデジタルカメラ 「X half (エックスハーフ) 」 の事例から、隠れたインサイトを見つけ出し、新しい価値に変えるマーケティングを紐解きます。

富士フイルム 「X half」 

出典: 日経クロストレンド

富士フイルムが 2025 年 6 月に発売した 「X half」 は、ハーフサイズカメラをモチーフにした縦長写真が撮れるデジタルカメラです。

かつての写真フィルムの色合いや階調をデジタルで再現する 「フィルムシミュレーション」 の機能を搭載し、若い世代から支持を集めています。

出典: PR TIMES

では、富士フイルムの事例から学べることを掘り下げていきましょう。

インサイトと価値提案というふたつに示唆があります。

インサイト

インサイト (insight) とは、in (中に) と sight (見る) から構成され、「中を見る」 というニュアンスを持つ言葉です。

深い理解から勝ち筋への見出し

ビジネスの文脈では、インサイトはデータや情報、観察を通じて得られる対象への深い理解や洞察のことを指します。お客さんの行動や本音から新たな事業アイデアを導く洞察、既に成功している事業者の能力やノウハウから自社の勝ち筋を再構成するための洞察を得ることです。

人間や企業の行動原理、心理、ビジネスの特性、大きなトレンドの動き方に関して多くの背景知識を持った状態で、「あの商品が売れている」 「お客さんは大きな不満を持っている」 という現象を観察すると、「このようにすれば勝てるのではないか?」 という発見 (インサイト) を得ることができます。

富士フイルムの背景知識と観察事象

富士フイルムがフィルムシミュレーションで深いインサイトを得られた背景知識を見ていきましょう。

富士フイルムには、長年にわたって蓄積してきた独自の知識基盤がありました。

フィルムメーカーとしての知見では、各フィルムの色味や階調 (グラデーション) の特性を熟知し、被写体やシーンごとに最適なフィルムを選ぶ文化を理解していました。また、カメラメーカーとしての経験では、フィルムカメラ時代からデジタルへの移行プロセスを目撃し、2004 年から 20 年以上にわたる機能進化を試行錯誤してきました。

さらに顧客接点の多様性として、富士フイルムは店頭販売員との定期的な対話、SNS でのユーザー行動観察、幅広い世代のカメラユーザーとの接点を持っていました。

こうした豊富な 「背景知識」 や 「顧客文脈」 があったからこそ、富士フイルムは一見バラバラに見える複数の現象を 「ひとつのストーリー」 として読み解けたわけです。

具体的には、富士フイルムは 4 つの現象レベルの情報を丁寧に観察していました。

  • デジカメが登場した初期、「フィルムカメラのように使い分けができない」 という不満がヘビーユーザーから寄せられていた。デジカメの便利さの裏で 「失った体験」 があった
  • 店頭販売員が 「顧客への説明の 8 割はフィルムシミュレーションの話」 と証言。「カメラの中にフィルムが入っています」 という言葉に、若い世代が強く反応していた
  • Z 世代の間で、写ルンですや古いコンデジの 「不完全さ・質感・味」 などのアナログ感が新しい価値になっていた
  • 日常撮影ではフィルムシミュレーションが好まれるものの、フィルムシミュレーションは消費者からは 「派手な遊びのフィルター」 とは別物として認識されていた

見出したインサイトから、顧客への価値提案

観察から、富士フイルムは 5 つのインサイトを導き出し、それぞれに対して具体的な顧客価値をつくっていきました。

順番に見ていきましょう。

 「儀式」 としてのフィルム選択をもとに、選ぶ体験の再構成

かつてのフィルムカメラが主流だった時代では、「被写体によってフィルムを替える」 という行為は一般的にされていたことでした。それは自分なりのこだわりを表明する儀式であり、撮る前から作品をイメージするためにも必要なプロセスでした。

しかしデジカメが世の中のカメラの主流になったことにより、フィルムを替えるという儀式ごと消えてしまったことが、実はカメラのヘビーユーザーの不満になっていました。

そこで富士フイルムは、フィルムを選ぶ体験そのものをデジタルにどう再構成するかに焦点を当てました。

2024 年の 「X-T50」 で専用のフィルムシミュレーションダイヤルをカメラの 「軍艦部」 (主に上部カバー, そこに搭載されたレンズ, ファインダー, 巻き上げレバー, シャッターボタン, 各種ダイヤルなどを指す俗称) に設置し、ダイヤルを回すと背面のグラフィックが連動して動くようにしました。

これでデジカメでありながら 「この被写体はどのフィルムで撮るか」 と考える楽しみが復活したのです。20 年かけてたどり着いた儀式の再構築でした。

 「憧れのカルチャー」 としてのフィルムをもとに、入口の提供

若い世代はフィルムをリアルに経験していないにもかかわらず、フィルム風な写真に惹かれていました。彼ら・彼女らにとってフィルムは、ノスタルジーの再現であるとともに、憧れのカルチャーへの 「入口」 だと富士フイルムは洞察したわけです。

そこで富士フイルムは、豊富な種類 (実機では 20 種前後) のフィルムシミュレーション機能を用意し、ダイヤルに PROVIA 、Velvia 、ACROS といったフィルム名を刻印。フィルムを知らない若い世代も 「このフィルムはビビッドな発色が特徴」 といった経験や知識を得ながら、自分の表現を見つけていく楽しさを味わうことができます。

 「物語と体験」 の重視をもとに、じっくり味わう体験の設計

写真をキレイに残したいだけなら、スマホで十分でしょう。それでもカメラにお金を払う人は、撮る時間そのものも楽しみたいと考えています。スマホ時代のカメラには、スペックより物語と体験が必要なのです。

そこで X half では、2 枚の写真を組み合わせることでストーリー性が生まれる新しい体験と表現を実現しました。

例えば同じカットを違うフィルムで撮影する、まったく違うカットを意識的に組み合わせるなど、2 枚の写真を組み合わせることで、これまでのカメラとは異なる表現方法が生まれます。

2 枚の写真を組み合わせることで新しい表現を生み出せる (出典: 日経クロストレンド

さらに X half のフィルムカメラモードでは、設定した枚数を撮り終えるまで背面液晶で確認できないようにしています。

アプリで現像した後にようやくわかるというプロセスを再現することによって、撮ってすぐ確認できない不便さが、撮り終わった後の現像の楽しみという新しい価値に転換されました。

タイパの真逆にあるような手間をかけるおもしろさは、50 代以上の元フィルムユーザーと若年層の両方に響くことでしょう。

 「本物感」 と 「遊び」 の境界線をもとに、機能の明確な棲み分け

フィルムカメラには、写真の中で本来光が当たってはならない部分に光が漏れ込み、フィルムに意図しない光が写り込む現象が起こることがあります。これを 「ライトリーク」 と呼びます。

X half ではライトリークのような強い効果をフィルムシミュレーションに入れる案もあったそうですが、この案は却下されました。フィルムカメラのコアファンが求める 「本物感」 と、ライトユーザーの求める 「遊び」 に境界線を引くべきと判断した結果です。

そこでフィルムシミュレーションは写真フィルムをベースにしたしっかりしたクオリティーとして、アドバンストフィルターは明確な遊び心があるエフェクトとして分けました。

これで、本気で撮りたいときはフィルムシミュレーション、遊びたいときはフィルターという使い分けができるようになり、既存ファンのニーズも満たしつつ、新規ユーザーの遊び心にも応えることができました。

 「富士フイルムエコシステム」 の強みをもとに、統合体験の価値

富士フイルムは、フィルム製造、カメラ開発、プリント技術、アプリ開発まで、撮影からプリントまでのすべてのプロセスを自社で持っています。撮影からプリントまですべてを持つのが他にはない富士フイルムの強みであり、製品・サービスをつなぐことで新しい体験が生まれるという洞察を持っていました。

そこで X half は、カメラとチェキのちょうど中間的なポジションとし、アプリと連携させることで写真の現像・プリントまで一貫して楽しめる体験価値を実現しました。

X half は単なるカメラの枠を越えて、富士フイルムエコシステムのハブとして機能します。

インサイトと価値創造の一体的なマーケティング

富士フイルムのフィルムシミュレーション事例が示すのは、インサイトの発見と顧客価値の創造は、切っても切り離せない一体的なプロセスだということです。

豊富な背景知識を持って現象を観察すれば、表面的な事実の奥にある本質的なインサイトが見えてきます。そして、そのインサイトは常に 「このようにすれば勝てるのではないか?」 という価値創造の方向性を指し示します。

インサイトを導き出し、それぞれに対して具体的な顧客価値をつくっていく――。

インサイトをもとに、「お客さんがお金を払ってでもほしい」 という価値に転換するマーケティングです。

まとめ

今回は、富士フイルムの 「X half」 の事例から、インサイトと価値創造の関係を見てきました。

最後にポイントをまとめておきます。

  • インサイトは 「中 (in) を見る (sight) 」 というニュアンスを持つ。データや情報、観察を通じて得られる対象への深い理解や洞察のこと
  • 業界や顧客に関する 「豊富な背景知識」 があって初めて、バラバラな現象がつながり深い洞察が生まれる。複数の現象を 「ひとつのストーリー」 として読み解くことで、本質的なインサイトが見えてくる
  • インサイトがあることで 「このようにすれば勝てるのではないか」 という価値創造の方向性を指し示してくれる
  • インサイトの発見と顧客価値の創造は、切り離せない一体的なプロセス