#死生観 #平穏死 #本

食べられなくなったとき、人はどう生き、どう死ぬのか。

書籍 「平穏死」 のすすめ - 口から食べられなくなったらどうしますか (石飛幸三) は、延命治療よりも 「穏やかな最期」 を選ぶという選択肢を提示し、高齢化社会に暮らす私たちに静かな問いを投げかけます。

人生の最終章をどう締めくくるか――。その選択を考えさせられる一冊です。

本書の概要

老衰などで口から食べられなくなった超高齢者に、私たちはどう向き合えばいいのでしょうか。

家族の立場なら、1 日でも長く生きてほしいと願うのは当然です。医療従事者であれば、目の前の患者を助けたいと考えます。

しかし、その想いから行われる延命処置が、実は本人を苦しめているとしたら――。

この文脈で本書は示唆に富みます。

特別養護老人ホームの常勤医として長年、80 から 90 歳を超えるような超高齢者の終末期医療の最前線に立ち続けてきた石飛幸三氏によるこの本は、現場の実態をもとに 「平穏死 (自然死) のあり方」 を提言した書籍です。

死への問題提起と提案

本書が指摘するのは、老衰による筋力低下や体力の衰えによって口から食べ物が食べられなくなった超高齢者に対して、一般的に行われる胃ろうや多量の栄養点滴投与が、延命効果よりもむしろ肺炎や苦痛を誘発するという問題です。

本書の主張は、寿命を全うし死への準備に入っている体には、無理な栄養補給は不要だということ。そうではなく、提案するのは、それにふさわしい最低限の水分と栄養があれば穏やかに最期を迎えられるという自然死です。

本書には実際の介護現場の問題に即したことが書かれ、死の価値観を再考し、腑に落ちる内容です。読むと自分や家族の人生への示唆が得られます。

特養ホームで起きていた現実

著者が配置医師として赴任した、東京世田谷区の特別養護老人ホーム 「芦花 (ろか) ホーム」 では、赴任当初において、ある驚くべき状況が起きていました。

数日おきに救急車が到着し、入所者が病院とホームの間を行ったり来たりしていたのです。原因は誤嚥性肺炎 (ごえんせいはいえん) でした。食べ物が気管に入り込んで起こる肺炎です。

しかし問題の本質はそこにありませんでした。肺炎を治療するために病院に搬送されると、抗生剤や強心剤で肺炎は治ります。ところが嚥下障害そのものは治らないので、病院は胃ろうを勧めます。

胃ろうをつければ肺炎はなくなると思われましたが、実際には違いました。栄養剤を直接的に管を通して胃に流し込んでも、体がそれを受けつけないと胃から喉へと逆流が起こり、それが誤って肺に入ってしまい肺炎を引き起こすのです。芦花ホームの高齢者たちはこうした悪循環に陥っていました。

著者は当初、特養入所者のお年寄りに対して 1 日 1,500 キロカロリー、水分 1,400 ミリリットル程度を与えていました。しかしこれが過剰と判断し、見直しを図ることになります。

ある 95 歳の認知症の入居者は、1 日 600 キロカロリーで 2 年間過ごし、無理な延命をせず、比較的穏やかに最期を迎えたそうです。このような事例が示すのは、老衰が進んだ体には通常の大人と同じ分量の栄養量を与えること自体が過剰となるということです。

8 年間介護した妻を胃ろうにしなかった夫

印象的なエピソードがあります。

認知症になった妻を 8 年間、自宅で介護した夫がいました。年上の姉さん女房です。しかし夫は自分ひとりでの介護が身体的・精神的にできなくなりホームに妻を預けることになりました。やがて妻は嚥下障害で病院に搬送されます。

病院では当然のごとく胃ろうを勧めました。しかし夫は断固として拒否しました。「胃ろうをつけてまで生かすことは、世話になった女房の恩に仇をかえすようなものだ」 と言って、そのままホームに帰そうとしたのです。

ホーム側も当初は受け入れに戸惑いました。胃ろうがなければ栄養を取ることができない人の食事介助をすることに、著者や介護士たちとの間で侃々諤々の議論になりました。責任感を持っているスタッフだからこそ、胃ろうのない嚥下障害の妻の食事介助をすることに戸惑ったのです。

最終的には医師である著者が責任を取る形で、胃ろうをせずに退院することにしました。この決断が、芦花ホームにおける平穏死への転換点となりました。

 「平穏死」 のすすめ

本書のタイトルは 「平穏死のすすめ」 です。

平穏死の対比として挙げられるのが延命治療です。

延命治療がもたらす苦しみ

老衰が進み、身体が死へ向かう準備に入ると、人間は自然に栄養や水分を必要としなくなります。

口から食べられなくなるのは病気の症状ではなく、まもなく寿命を迎えて死ぬから食べないという自然な摂理の結果なのです。

ところが医療現場では、患者を助けたいという信念から水分や栄養を与えます。これが過剰な量になってしまうと患者を苦しめます。胃ろうや点滴で無理に栄養や水分を補給すると、身体が処理しきれずに肺水腫や誤嚥性肺炎を誘発する可能性が高まるのです。

これは点滴液や栄養剤が逆流しやすくなるためです。延命のためと信じている処置が、かえって患者の苦痛を長引かせている現実があります。

著者は、高齢者では身体の代謝が低下し、食べる量も水分必要量も少なくなることを強調します。また認知症などでコミュニケーション能力が低下した人では、本人の意思を確認できないまま延命処置が行われることの問題も指摘します。

家族の情が最期を苦しめることもある

延命治療を選択する背景には、まわりの家族が何もしてあげなかったと後悔したくない、このまま見殺しにしたくないという心情があります。

大切な人に少しでも長く生きていて欲しいと願う気持ちは否定されるものではありません。しかしだからと言って、本人が望んでもいない延命治療を施し、それによって苦痛を与えてしまうとしたらどうでしょうか。

著者は尊厳死、事前指示書、ACP (アドバンス・ケア・プランニング (日本語では 「人生会議」 と呼ばれ、事前に自分の価値観や希望について考え、家族や医療・ケアチームと繰り返し話し合い共有する取り組み) ) などの考え方を紹介し、最期の選択を家族、医療者、本人で共有しておくことの重要性を説きます。

実は本人は、自らの終末期には無理な延命をしないでほしいと望んでいる。しかし自分の親が年老い、老衰や病気になると、本人にとって苦しみでしかない延命治療を選んでしまう。皮肉にも、本人の意思の代行判断を迫られた家族の情が、安らかな大往生を妨げてしまっているのです。

延命治療から平穏死へ

では、どうすれば穏やかに最期を迎えられるのでしょうか。

本書が提唱するのは、老衰における自然死である 「平穏死」 です。

平穏死とは、医療によって死を先延ばしにするのではなく、人間本来の自然な死を受け入れることです。

食べられなくなってからの最期の数日間は、体内でエンドルフィンという麻薬物質が分泌され、強い苦痛を感じることは少ないとされます。この時期に無理な栄養補給を控え、必要な対症療法のみを行うことによって、人は眠っているように静かに、穏やかに息を引き取ります。

著者の石飛氏が作った 「平穏死」 という言葉は、延命治療がもう意味をなさないのであれば、延命をしなくても医療従事者は責任を問われるべきでないという主張の旗印でもあります。

ただし著者は何もしない看取りを理念としつつも、実際の施設運営では職員の意識変革、家族との合意形成、医師と介護職の調整、制度的な制約への対応といった現実的な壁をひとつひとつ乗り越えていくプロセスも語ります。

人生の最期をどう迎えるか

本書の最終章では、著者自身の外科医としての歩み、がん告知での経験、医療者としての葛藤が率直に語られます。

宗教的な視点、医療や倫理、人命尊重論への考察も織り交ぜながら、安らかな最期を迎えるために人生全体をどう捉えるかという、本質的な問いが投げかけられます。

人が死ぬことは避けられない現実です。しかし日本では、自分や家族の死の迎え方という人生の終わりについて語ることが、とかく避けられがちです。だからこそ著者は、最期の迎え方をあらかじめ考えておくことの重要性を繰り返し説きます。

本書を通じて学べることは多岐にわたります。

まず、延命が常に正しいとは限らないという視点です。過剰な医療や栄養治療がかえって苦痛をもたらすことがあります。高齢者、とくに老衰期や認知症期では、必要な栄養や水分量が非常に少ない可能性があるという理解が必要です。

また、家族、施設、医療者の間でのコミュニケーションや合意形成の重要性は、いくら強調してもしすぎることはないでしょう。

そして何より、人としてどう生きるか、どう死ぬかを自問する姿勢が求められます。

本書が示唆するのは、こうした多面的な視点から人生の最終章を考えることの大切さです。一度しかない人生をしっかり生きて、その最期をどう締めくくるか。

生きて死ぬのは自然の摂理です。

まとめ

今回は、書籍 「平穏死」 のすすめ - 口から食べられなくなったらどうしますか (石飛幸三) を取り上げ、学べることを見てきました。

最後にポイントをまとめておきます。

  • 本書は特養ホームの常勤医が現場から提言する 「平穏死」 のあり方を説く
  • 口から食べられなくなった超高齢者への胃ろうや過剰な栄養点滴が、延命効果よりも肺炎や苦痛を誘発する問題を指摘
  • 寿命を終えようとしている人は 「死ぬから食べない」 のであって 「食べないから死ぬ」 のではない。老衰で死への準備に入った体は自然に栄養や水分を必要としなくなり、無理な栄養補給はかえって苦痛をもたらす
  • 延命治療を選ぶ家族の 「何もしないことへの後悔」 という情が、皮肉にも本人の安らかな最期を妨げる。本人が望まない延命治療により苦しみが長引く現実がある
  • 平穏死とは医療で死を先延ばしにせず、人間本来の自然な死を受け入れること。食べられなくなった最後の数日間は体内でエンドルフィンが分泌され、眠るように穏やかに息を引き取れる
  • 人生の最終章をどう迎えるか、事前に家族・医療者・本人で話し合い共有しておく。一人ひとりが自分の死を考えることが大事