#マーケティング #事業開発 #非効率と試行錯誤

九州電力では、AI・情報工学を専門とする社員が、自宅で始めたバニラ栽培を発展させ、人工授粉ガンなどの技術を生み出し、事業化を進めています。

この事例から学べるのは、AI で市場や技術の情報を短時間で集め、仮説をつくりやすくなった今、新規事業では、どこまで自ら現場に入り、試して確かめるかの重要性です。

今回は、九州電力のバニラ事業をもとに、「調べればわかること」 と 「実際にやって初めてわかること」 をどう見分け、試行錯誤で得た知見を事業の強みに変えていくかを紐解きます。

九州電力がバニラを育てるまで

キュアリング後のバニラ (出典: @Press) 

九州電力とバニラ。一見すると結びつきにくい組み合わせです。

プロジェクトの中心人物は、九州電力総合研究所の大熊康彦さんです。専門は情報工学で、AI 開発などに携わってきた研究者です。農業経験はありませんでした。

きっかけは、バニラビーンズの値段

始まりは新型コロナウイルス禍でした。

大熊さんは、当時小学生だった 3 人の子どもと自宅でアイスクリームを作ろうと考え、材料を買いに行きました。高級食品を扱う店でバニラビーンズを見つけ、値札を見ずにレジにいき、表示された値段を見て驚いたそうです。店員に 「価格の桁が間違っていませんか」 と尋ねたほどでした。

日本で消費されるバニラは、9 割以上を輸入に頼っています。大熊さんは 「これだけ高いなら、大量に育てられれば事業になるのではないか」 と考え、自宅でバニラを育て始めました。価格の高さに気づいたあと、自分で栽培して確かめるところまで進んだわけです。

自宅で 3 年、ようやく花が咲いた

実際に育ててみると、簡単にはいきませんでした。

バニラは栽培条件が難しく、花が咲くのは年に 1 回、しかも朝の短い時間です。開花した日の限られた時間に人工授粉する必要があります。人工授粉が必要なのは日本にはバニラの花粉を媒介する昆虫や動物はいないからです。収穫後には、甘い香りを引き出す 「キュアリング」 という熟成工程もあります。キュアリングとは、収穫した農作物を高温多湿の環境に置いて表面の傷をコルク化させ、腐敗を防いで長期保存できるようにする処理のことです。

大熊さんは温度や光、二酸化炭素などの条件を変えながら栽培を続けました。自宅で育て始めてから 3 年後、ようやく花が咲きました。

どの条件なら育つのか。何を変えると植物がどう反応するのか。大熊さんは実際の変化を見ながら確かめ、次の試行につなげていきました。

大熊さんのバニラ事業の提案を受け、九州電力は 2024 年度からバニラのプロジェクトを始め、2025 年 5 月にはビニールハウスでの大規模栽培に進みました。その後、一斉開花と自家製バニラビーンズの生産にも成功し、事業化に向けた取り組みを進めています。

現場の試行錯誤を、事業の強みに変える

バニラの 「高い理由」 を紐解いていった

事業として興味深いのは、大熊さんがバニラの価格を押し上げている理由を一つずつ紐解いていったことです。

育てにくい。授粉できる時間が短い。加工にも手間がかかる。価格の裏側には、いくつもの難しさがありました。

自分で育てると、どこで時間がかかり、どこで失敗し、何が品質を左右するかが具体的にわかってきます。「なぜ高いのか」 という疑問が、栽培・授粉・加工という個別の課題に分かれていきました。

大熊さんは情報工学で培った知識も生かし、栽培環境を数値で捉え、条件を変えながら植物の反応を確かめました。現場に入ると、自分の仮説と現実のズレが見え、次に何を試すかも具体的になります。

バニラの場合、価格を押し上げていた手間や難しさが、実際に育てた経験を通して解くべき技術課題へ変わっていきました。

試行錯誤で得た知見が、事業の差に

大熊さんが現場で得た知見は、装置や技術へ発展しました。

九州電力は、年に 1 回の短い開花時間に行う授粉を助ける 「人工授粉ガン」 を開発しました。花に装置を差し込むと授粉できる仕組みで、作業の省力化につながります。

さらに、熟練を要するキュアリングを自動化する装置も開発しました。株分けや開花、果実を大きく育てる技術なども含め、大熊さんはバニラに関する 6 件の特許を取得しています。

大熊さんが試行錯誤から得た知見は、本人の経験だけに残らず、他の人も使える装置や方法へ置き換えられていきました。

自分で育てる。うまくいかない理由を探る。条件を変える。もう一度試す。わかったことを装置や栽培方法に反映する。こうした繰り返しによって、栽培経験が事業で使える技術へ変わっています。

後から同じ市場に参入する企業が完成した技術を知ることはできても、そこに至るまでに蓄積された試行錯誤を短時間で再現するのは簡単ではありません。現場で何度も試し、失敗から学び、得た知見を再現できる方法に変えてきた時間も、事業の差になります。

AI 時代に、どこまで自ら現場に入り込むか

AI は、市場や技術の情報収集、仮説づくり、検討する選択肢の洗い出しを早めてくれます。AI で事前に情報を集めて仮説をつくり、現場で確かめ、そこで得た知見を次の仮説に反映する。情報収集と現場での試行錯誤を往復すると、試すべきことも絞り込みやすくなります。

仕事で考えたいのは、得た情報のうち、どこから先を自分で確かめるかです。

新商品開発なら、顧客が実際にどう使うのかを見て、反応を見て直していく。営業なら、商談に同席して相手がどこで迷うのかを知る。サービスなら、自分で利用したり問い合わせ対応を経験したりして、画面や資料からはわからない不便を確かめる。

判断の目安は、「調べればわかること」 と 「実際にやって初めてわかること」 を分けることです。後者が事業の成否を左右しそうなら、自ら現場に入り込んで確かめる価値があります。

ビジネスの実務において、次の流れで進めると使いやすいです。

  • AI や既存情報を使い、まず仮説をつくる
  • 現場で実際に試し、想定との違いを観察する
  • うまくいかなかった理由を確かめ、条件を変えてもう一度試す
  • 得た知見を、他の人も再現できる方法や仕組みに変える

最初から大きな実験をする必要はありません。お客さんに 1 人会う、試作品を 1 つ使ってもらう、自分でサービスを最初から最後まで利用するなど、小さく確かめるところから始められます。

九州電力のバニラ事業では、バニラビーンズの価格の高さへの素朴な疑問から自宅栽培が始まり、3 年の試行錯誤を経て、人工授粉やキュアリングの技術へ発展しました。

AI で情報収集や仮説づくりがしやすい時代になるほど、自ら現場に入り、試行錯誤を重ね、ときに失敗しながら得た知見が事業の足腰を強くします。

まとめ

九州電力のバニラ事業から学べることをまとめます。

  • 高価格の裏にある栽培・授粉・加工の難しさへ自ら入り込むと、事業で解くべき課題が具体的になる
  • 現場で試し、失敗から学び、条件を変える試行錯誤の蓄積が、人工授粉ガンやキュアリング技術のような模倣しにくい知見につながる
  • 得た知見を装置や方法に置き換えて他の人も再現できるようにすると、個人の経験が事業の強みに変わる
  • AI で情報収集や仮説づくりを早めつつ、実際に手を動かしてやって初めてわかる領域には自ら現場に入り込むといい