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橘玲 (たちばな あきら) さんの最新作『HACK』。
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この小説は、サイバー犯罪を扱った小説としておもしろいだけではありませんでした。
現代の国家間のせめぎ合いや、ビジネスの世界でも起こる情報戦で活躍するハッカーたちのことを、「孫子の兵法」 を体現する存在として描く戦略書でもあります。
本書の概要
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橘玲さんが 11 年ぶりに書き下ろした長編小説『HACK』。
暗号資産が使われる国際金融ミステリーで、ハッカー、特殊詐欺、北朝鮮のサイバー攻撃が絡み合う、現代の情報戦争を描いた冒険小説です。
本書には 「バグ (欠陥) だらけのこの世界は、HACK (侵入・攻略) されるのを待っている」 という、冷徹なメッセージが込められています。
あらすじ
物語の主人公は、30 歳のハッカー・樹生 (たつき) です。暗号資産 (クリプト) で巨額の利益を得て、課税を逃れるために日本から海外に逃れ、バンコクで退屈な日々を送っていました。
ある日、樹生は、情報屋の 「沈没男」 から特殊詐欺で稼いだ 10 億円をビットコインでマネーロンダリングしてほしいと持ちかけられます。退屈しのぎに 「ゲーム感覚」 で請け負った樹生でしたが、想像を超える国際的な陰謀へと巻き込まれていきます。
検察・公安の諜報ルート、北朝鮮のハッカー集団 「ラザルス」 、タイ当局、そして正体不明の伝説的なハッカーの HAL が次々と絡み合い、狙われる資金規模は 10 億から 500 億、さらに 2500 億円へと膨れ上がっていきます。
加えて、かつて日本から失踪しバンコクで静かに暮らす元アイドルの咲桜 (さら) との出会いが、樹生の行動を合理性だけでは説明できない方向へと導いていきます。
興味深く読めるテーマ
この本は、バンコクの生活描写、サイバー、金融、時事、公安・諜報など、とてもリアルに読めます。
具体的には、暗号通貨、マネーロンダリング、ミャンマーの国際詐欺の拠点、アニメキャラを名乗る特殊詐欺の黒幕、北朝鮮のハッカー部隊による暗号通貨略奪などと、現在のアングラ経済のトピックがこれでもかと出てきます。
ストーリーを読み進めていくと、現代の裏社会のリアリティが突きつけられます。例えば、東南アジアを拠点とした特殊詐欺グループ (ルフィ事件) などの匿名流動性特殊詐欺 (トクリュウ) 、麻薬等の密輸、人身売買や売春といった、不正マネーのやりとり、ニュースで目にすることの闇が圧倒的なリアリティで描かれます。
暗号資産を使ったマネーロンダリングの手法も詳しく書かれています。ビットコインやイーサリアムなどの暗号通貨のブロックチェーンの仕組みを使い、サイバー空間とリアルの物理空間を利用する資金洗浄の方法は、フィクションとは思えない説得力があります。
また、国際情報戦とサイバー戦争という視点でもおもしろく読めます。国家が支援するハッカー集団による数千億円規模の資金窃取が描かれ、物理的な軍隊が無力なサイバー空間における新たな戦争の形が浮き彫りになります。
そして、ハッカーの振る舞いや心理が興味深かったです。ハッキングをさもゲームのように捉え、倫理的な境界線を自在に行き来する主人公の姿は、ハッカーの存在とは何かを考えさせられました。
「孫子の兵法」 の実践
本書における樹生の振る舞いは、現代のサイバー空間を舞台にした 「孫子の兵法のデジタル実装」 として読み解くことができます。
敵を知り、己を知る
樹生は直接的な攻撃を仕掛ける前に、相手がどのようなサーバーや通信方法などを使い、どんな思惑で動いているかのバックグラウンドまでを徹底的に調査します。
樹生はソースコードや暗号資産の台帳 (ブロックチェーン) を 「地形」 として読み解きます。相手のサーバーの脆弱性だけでなく、相手が何を恐れ、何を欲しているかという心理的・構造的弱点を特定した瞬間に、勝負は決まります。
ここに孫子が説いたことと共通する点があります。孫子の言葉である 「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」 は、樹生の徹底した情報収集と分析を意味します。
兵は詭道なり
ハッキングとは、「欺瞞 (ぎまん: 相手をだますこと) 」 の要素を強く含みます。
樹生は自分のことを 「ただの退屈している投資家」 や 「便利なマネーロンダリング請負人」 のように見せかけ、相手の警戒心を解きます。
実力 (己) を隠し、相手を驕らせることで相手のガードを下げさせるわけですが、これは孫子の説く 「能なるもこれに不能を示し、用なるもこれに不用を示す」 そのものです。能ある鷹は爪を隠すという、能力があるのにないように見せ、活用できる状態なのに使わないように見せるというわけです。
孫子の 「兵は詭道なり (戦いは騙し合いである) 」 そのものです。
ビジネスにおいても、自社の本当の強みや戦略をすべて明かす必要はありません。むしろ、戦略的な曖昧性こそが競争優位の源泉になり得ます。
戦わずして勝つ
ハッカーである樹生にとっての最高の勝利は、相手のパソコンやサーバーを破壊することではありません。相手が 「盗んだはずの資金が、気づかぬうちに自分のコントロール下から消えている状態」 にすることです。
小説の物語では、物理的な衝突や派手なサイバー攻撃を避け、スマートコントラクト (自動実行プログラム) の中に意図的に 「バグ」 を忍び込ませることで、相手が知らない間に資金を蒸発させます。
これは相手の戦意を奪う前に、戦っていることにすら気づかせない 「戦わずして勝つ」 です。
ビジネスへの汎用的な示唆
本書のハッキング的なアプローチから、現代のビジネスパーソンが学べる 「孫子の兵法」 は、次の 3 つに集約できます。
「環境 (エコシステム) 」 を味方につける
孫子が 「地の利」 を重視したように、樹生は暗号資産のブロックチェーンの仕組みや通信インフラを巧みに利用します。
ビジネスにおいても、自社単体の能力で勝とうとするのではなく、プラットフォームの特性や時代の潮流 (法規制の変化や技術トレンド) を 「追い風」 として利用することが重要です。
自ら動かずとも、環境が自分を勝利に運ぶ状況を設計することを狙うのです。
プラットフォーム戦略、エコシステム構築、ネットワーク効果の活用などは、すべてこの 「地の利」 を現代的に実装したものと言えるでしょう。
「情報の非対称性」 を戦略的に維持する
樹生の強みは、相手が知らない技術や資金の流れを徹底的に調べ上げ、熟知している点にありました。
ビジネスへの応用を考えると、自分が持つ独自のデータやノウハウを安易に開示せず、逆に相手の情報の流れを把握する仕組みを持つことの重要性が見えてきます。
顧客の行動データ、競合の戦略、市場の構造など、データの集積場所とその流れを深く理解することが、有利な戦略を立てるための前提条件になります。
「構造的な弱点」 に自分たちのリソースを集中する
ハッカーはシステム全体の中でわずかな脆弱性を突いて全体を支配します。
ビジネスへの応用として示唆的なのは、競合他社と真正面からシェア争い (消耗戦) をするのではなく、市場のルールや商流における 「ボトルネック (構造的バグ) 」 を見つけ、その一点に知力や資金、人員を割くことです。
具体的なイメージとしては、業界の慣習による非効率、既存プレイヤーが見落としている顧客ニーズ、規制の隙間にある合法的なホワイトスペースなどが、「構造的バグ」 に当たります。
10 の力で 10 を叩くのではなく、1 の力で相手の 「急所」 を突く。これは最小の労力で最大の効果を生む戦略です。
まとめ
橘玲さんの著書『HACK』を取り上げ、考えさせられたことを書きました。
学びのポイントをまとめておきます。
- 自社単体で戦うよりも、プラットフォームやエコシステムという 「環境」 を味方につけ、時代の潮流を追い風として利用することで、最小の労力で最大の効果を得られる
- 直接競争 (レッドオーシャン) を避け、市場の 「構造的バグ」 を見つけることに知力を集中させる。1 の力で急所を突く戦略が、消耗戦を回避する
- 情報で優位に立つことでビジネスでの戦いを有利にさせる。顧客の行動と心理、競合の戦略、市場の構造を深く理解した者が、戦う前に勝つ
- 自社の強みや戦略をすべて明かす必要はない。戦略的な曖昧性と情報の非対称性を維持することで競争優位をつくる
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