投稿日 2013/09/07

出産に立ち会っての雑感


2013年9月1日の日曜早朝、長女が生まれました。

その2日前の金曜夜に妻が入院し、陣痛が本格的に始まった*のが土曜の15時くらい。いよいよかと思ったら、誕生まで13時間くらいかかった出産でした。
*10分間隔くらいの定期的なサイクルで来る陣痛

出産直後の心境は、とにかくほっとしたことが一番大きかったです。生まれた感動もありましたが、それよりも安堵感のほうが強かったです。

出産のタイミングが土曜〜日曜朝にかけてだったので、妻に付きそうこともでき、出産も立会いました。自分にとって貴重な経験でした。

投稿日 2013/08/31

書評「会社を変える分析の力 」:データ分析をする時の4つの自問自答

「会社を変える分析の力」という本が、ここ最近考えていたこととドンピシャという感じで、示唆に富む内容でした。

本書は、データ分析をする際の「心得」が書かれています。データ分析の心得は、高度な分析モデルやツールを使うケースから、Excelで関数を使って集計しグラフを作るという場合にもいずれにも当てはまります。本書で言われていることはどれも至極当然のこと。でも、実際に自分はできているか。全てにYesとは言えない自分がいました。

■このデータ分析は、問題解決のための意思決定にどれだけ使えるのか?

本書のスタンスで明確にしているのは、ビジネスにおけるデータ分析は問題解決につながってなんぼ、というもの。

データ分析とはデータで問題を解決すること。問題解明につなげる意図がないデータ収集や数値計算は、その方法がどれだけ高度であっても単なる「数字遊び」と著者は言います。

データ分析から得られた結果/示唆を、問題解決のための意思決定にどれだけ使えるか。ここが肝であり、「データ分析=意思決定の重要性×意思決定の寄与度」で決まると。2つ目の意思決定の寄与度とは、意思決定のための判断材料が数多くある中で、どれだけ重要な材料になれるかです。

■データ分析をする時の4つの問い

本書を読み始める前に目次を見て、まず始めに読んだ箇所が「データ分析をする時の4つの問い」でした。一番に目を通したこともあってか、読後においても最も印象に残っている問いかけでした。

著者は、データ分析の際には4つを自問自答するようにしていると言います。4つはデータ分析でビジネスを変える力の鉄則を問うものだから。若手を育成する際にもこの4つを繰り返し、繰り返し問いかけるそうです。

1.その数字にどこまで責任を取れるか?

データ分析者の役割とは端的に言うと数字を作ることです。であるならば作った数字に自分が責任を持てるかどうか。分析結果を出すと、それが大変なプロセスほど満足感も高まります。でも、その数字が本当に正しいのか、計算ミスや分析ミスをしていないか。疑いの目を向ける。自分自身がその数字に違和感がなく納得のいくものかどうか。

なお、「数字が正しいか?」と「予測結果が正しいか?」は少し別の話です。データ分析結果というのはあくまでもっともらしい答えであり、その予測通りになるとは限らないです。責任を持たなければいけないのは、あくまで分析が正確にされているかどうかです。

2.その数字から何がわかったか?

データ分析をした結果、前年比で30%増えた、みたいなことがわかります。ここで注意しないといけないのは、この段階では計算結果に過ぎないということ。本当に必要なのは、この結果から何がわかったかという「解釈」です。解釈は示唆・インサイトなどと表現してもいいですが、数字の意味を具体的に言えるかどうかです。

数字の解釈をするためには、分析の発端である分析課題、仮説、データや分析の前提/制約まで立ち返り、トータルで考える必要があります。数字を数字で終わらせないためにも「その数字から何がわかったか?」と問いかけるのです。

3.意思決定にどのように使えるのか?

データ分析の価値は意思決定のためにどう使えるかです。それなのに、「意思決定にどのように使えるか?」にちゃんと答えられないようなら、それは単なる分析遊びをやっていたにすぎないかもしれません。

著者は、多くの分析者はこの問いに「予測ができるようになった」などと答えると言います。でもこれは答えになっていない。どのように使えるか?の答えとしては、予測ができるようになり何の意思決定にどう使えるようになったかまでを具体的に言える必要があります。

がんばって分析を進め解釈もした、でもそれが意思決定には使えない時ほど無駄なことはありません。これを防ぐためには、いきなり計算や分析プロセスに入るのではなく、自分はこれからどういう問題に対して分析を始めるのか、得られるであろう結果/解釈が意思決定に役立つかどうかをまず最初に考える。そのための問いが「意思決定にどのように使えるのか?」。

4.ビジネスにどれぐらい役に立ったか?

データ分析の価値は意思決定にどれだけ役立ったかですが、ビジネスにおいてはこれだけでは十分ではありません。データ分析からわかったことが実際のビジネスに貢献できたかどうかです。ビジネスへの貢献度を具体的な数字で答えられるのが理想です。単に売上に貢献できましたとかではなく。

データ分析でビジネスに役立つところまで持っていくには、分析をして終わりではなくその結果を役に立てたい、もっと貢献したいという強い気持ちが求められます。意思決定者の立場になり、当事者意識を持つ。意思決定にどう使い、それが実際のビジネスにどう活かされるのか。より具体的にイメージしてみる。この問いかけに対して答えられる時、データ分析者として初めて達成感に浸れるのです。

■その深掘りは、単なる知的好奇心を満たすためにやろうとしていないか?

読んでいる中であらためて自分が問われていると思った1つが、「そのデータ分析は自分の知的欲求を満たすだけのためにやろうとしていないか」でした。

データ分析のプロセスで一般的なのは、大きなところからデータで明らかにし、徐々に詳細や深掘りをしていく流れです。どこを細かく見ていくかを決める際に、その深掘りはデータ分析の目的(設定した課題)と仮説に沿ったものになっているかが本来です。そうではなく、単に自分の好奇心だけのWhy?を知るだけの深掘りになっていないか。課題解決・仮説検証・意思決定につなげる分析は頭ではわかってはいるのですが、いざデータ分析にどっぷり入ってしまうと、ついつい視野が狭くなってしまいがちです。目的やゴールを見失わないようにしなければ、と。あらためて。

★  ★  ★

本書で書かれているのは、データ分析をする際の心得や姿勢と、著者の経験や事例の具体例が中心です。逆に言うと書かれていないのは具体的な分析モデルであったり解析手法です。この本を読んですぐに分析力が向上することは望めないかもしれません。

ただし、本書の心得を理解し、そもそもデータ分析とは何なのか。何のために、どう活用するのか。実際のビジネス課題は千差万別で、分析からわかることも様々。意思決定にどう使い、それがビジネスにどう貢献できるか。このあたりを常に意識しながらデータ分析を進めるのか、それとも単に「数字あそび」をやっているだけなのか。以下のデータ分析での4つの問いは、意識し続けたいと思っています。
  • その数字にどこまで責任を取れるか?
  • その数字から何がわかったか?
  • 意思決定にどのように使えるのか?
  • ビジネスにどれぐらい役に立ったか?




投稿日 2013/08/25

なぜイチローは日米通算4000本安打を打てたのか

イチロー選手が日米通算4,000本安打を達成しました。以下の動画は記録達成の瞬間です。


Toronto Blue Jays vs New York Yankees-Ichiro 4,000 Hit - YouTube

ヒットを打った後にチームメイトがダッグアウトから出てきて、観客からも祝福されるシーンは感動でした。実況アナウンサーが「ヨンセン!」「オメデトウ!」と、ちょくちょく日本語を入れているのもうれしいですね。

■成功の裏には2倍以上の失敗や悔しさがある

4000本安打達成後のインタビューが、イチローの考え方/哲学が色々出ていておもしろかったです。例えば、以下のコメントです。
投稿日 2013/08/25

オーディオブックを献本いただき、初めて聴いてみた所感

以前のエントリー記事で、「MAKERS―21世紀の産業革命が始まる」という本の書評を書いていました。
「MAKERS」書評:Web世界で起こった革命がモノづくりでも起こる未来は明るいのか?

「MAKERS」のオーディオブック版が8月23日より配信開始とのことで、このエントリー読んでいただいた株式会社オトバンク様からいただきました(いわゆる献本のような形です)。同社はオーディオブックなどの音声コンテンツを配信するFeBe(フィービー)を運営しています。

オーディオブックとは、本を耳から聴くものです。例えば、以下のサンプル音声を聞いてみるとイメージしやすいと思います。どちらも、クリックすると再生ページに飛び再生が自動で始まります。
  • 「もしドラ」のオーディオブックサンプルはこちら 
  • 今回いただいた「MAKERS」のサンプルはこちら 

■オーディオブックを聴いてみた

オーディオブックをちゃんと聞いたのは今回が初めてでした。まず思ったのは、同じ本でも文字を目で読むのと音で耳から入れるのでは、感覚として全く違うことでした。脳の異なる場所が刺激される感じで、新鮮な体験です。

記憶への残り方も目と耳では同じ内容でも違うように思いました。今回はMAKERSというビジネス書でオーディオブックを経験させていただきましたが、小説だともっと違った体験になるように思います。

その一方で、オーディオブックは自分には合わないなとも感じました。合わないというのは私自身が本に求めるニーズを満たしてくれないという意味です。簡単に書いておくと、
  • インプットの速さが耳と目では、目のほうが早い。速読と速聴では速読のほうが効率がよい(速聴のトレーニングをすれば変わるかもしれませんが)。オーディオブックにもFeBeには2倍速コンテンツが用意されていますが、それでも目で文字を読むほうが早い。本をパラパラとページをめくってざっと全体観をつかむのもオーディオブックではできない
  • メモが取りにくい。本であればメモを取る時にはただ次のページに進まず立ち止まれますが、オーディオブックの場合は気になったフェーズを聴いてメモを取るためにはデバイスを一時停止する必要があり、この作業が面倒に思いました
  • 付箋や電子書籍のハイライトができないので、後からオーディオブックを聞き返したい箇所にダイレクトに行くのが困難。よって、再読(再聴)で必要な箇所だけ聴くことや、読後のまとめがやりづらい。【8/26追記】FeBeのオーディオブック再生用アプリ“KikuPlayer”では付箋機能がある

思うに、紙や電子書籍の目で読む本と、オーディオブックでは読者層が異なってくるのではないかなと。目で読むのも音で聴くのも両方好む重なるユーザーは存在はすると思いますが、読書のヘビー層はオーディオブックとは相性があまりよくないのかもしれません(少なくとも私がそうでした)。

それよりも、あまり読書をしない人であったり、読みたくても読書をする時間が取れない人が、隙間時間や何かをしながら聴くというイメージがあります(家事とか)。通勤中に聴くのもありかもしれません。満員電車で本を手にできない状況でも再生ボタンさえ押せれば聴くことができそうです。

■FeBeを見てみると

ここからはFeBeを見ての所感です。FeBeはオーディオブックなどの音声コンテンツを配信するサービスサイトです。

正直な感想として、もったいないと思いました。オーディオブックなどの音声コンテンツがあるのに、仕組みとして使いやすいようには思えなかったからです。
  • 購入(音声ファイルダウンロード)できるのがデスクトップPCのFeBeサイトのみ(?)。iPad/iPodやAndroidスマホでもやってみましたが、うまくダウンロードできませんでした
  • Mobileでのダウンロードページには「iPhoneやiPodをご利用の方は、ストリーミング再生となり、音声の保存はできません」。この方法は使いやすいとは言えない・・
  • iPhoneに音声ファイルを入れる場合は、デスクトップでダウンロード→iTunesへインポート→iPhoneと同期という流れ。厳しい言い方をすればこのやり方は5年くらい古い印象です。初期のiPodとiTunesを同期させて音楽を取り込んでいた時代のやり方。専用アプリで購入/ダウンロード、ファイル保存、再生、を全てMobile内で完結させる仕組みを用意すべきと思いました。聴くまでのハードルをなるべく下げないと。【8/26追記】FeBeのオーディオブック再生用アプリ“KikuPlayer”では、付箋機能やリピート再生、倍速再生などの利用が可能。スマホからのダウンロード再生もアプリより行うことができる
  • 理想を言えば、Amazonのページには同じ本が紙でもKindle版(電子書籍)のどちらも買えるので、そこにオーディオブックが買えるとよいと思いました。オーディオブックはKindleアプリから聞ける仕組みに

オーディオブックの価格設定も気になりました。基本的には紙の本と同じ値段です。日替わりの値下げや、有料会員になると安く購入できる仕組みもあるようですが、それを考慮しても割高感があります。例えば、今回のMAKERSオーディオ版は1995円。紙と同じというのは高い印象です。

価格に対する個人的な感覚としては、紙の本>電子書籍>オーディオブックの順番。この理由を考えてみると、コンテンツ内容は同じですが、目に見えるリアリティみたいなものがあるほど、価格の価値としては高く感じてしまうからだと思います。

紙の本に比べると電子書籍はモノとしてのリアリティは下がりますが、電子書籍デバイスの中に画面内で存在はしています。ぎりぎりモノとして認識できるレベル。

オーディオブックは電子ファイル化された音声なので、電子書籍に比べてさらに実態としての存在感が低く感じるんですよね。だから実態感が、紙の本>電子書籍>オーディオブックとなり、価格許容度もこの順番になってしまう。AmazonではKindle版が同じ紙の本より安いことが多いので、紙の本>電子書籍が普通になっている一方で、「オーディオブック=紙の本」がなおさら高いように感じてしまいます。

オーディオブックについては、まずは認知を広げ、ユーザーを増やせるかどうかだと思うので、潜在ニーズのある層でも価格がボトルネックとなってしまうのではないか。戦略的な値付けも大胆にやってみてもいいかもと思いました。

★  ★  ★

色々と書いてしまいましたが、オーディオブックはコンテンツとしては紙の本や電子書籍とはまた違って、故に紙/電子書籍では応えられなかったニーズを満たせる可能性があると思います。

詳細の数字は割愛しますが、海外に比べて日本でのオーディオブック市場は小さいようなので、これからの国内でのオーディオブック市場の拡大はどこまでいくのか。今回いただいたMAKERSを機に関心領域の1つとなりそうです。


投稿日 2013/08/24

マネーフォワード:お金への 「虫の目・鳥の目」 両方がある便利なサービスをご紹介


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毎月の資産運用チェック


毎月の始めに、資産運用をする時間を少し取っています。前月までの資産運用の状況をチェックしています。

  • 1ヶ月あたりの収入と収支を見る。収支については食費にいくらのレベル
  • 資産配分 (アセットアロケーション) を確認。アロケーション項目は現金や預金、日本株、海外株、外国債券の4つ
  • 毎月の投資は基本的には投資信託への自動積立で、特にやることは無し

以上を15~30分でやっています。3ヶ月に1度の頻度で、資産配分の調整をしています。


重宝している Money Forward


毎月の収入と収支を管理するのに使っているのは Money Forward (マネーフォワード) です。使うようになって毎月の資産管理が効率的にできるようになりました。


Money Forward が便利な3つの理由


マネーフォワードを使い続けている理由は次の通りです。
投稿日 2013/08/18

書評: 満員電車がなくなる日 - 鉄道イノベーションが日本を救う (阿部等)




今回は、満員電車についてです。エントリー内容は以下です。

  • そもそもの満員電車の問題
  • 書籍 「満員電車がなくなる日」
  • どうすれば満員電車をなくせるか
投稿日 2013/08/17

ブログのアクセス数減少が教えてくれた大切な2つのこと




Google Analytics というサイトのアクセス解析ツールがあります。自分のブログへのアクセス状況が、これだけで十分に分析できる便利なツールです。

Analytics を見ていて気づいたのが、8月に入ってからブログへのアクセス数が減少したことでした。ページビュー数 (PV) のトレンドグラフを見ると、それまでに比べ明らかに減ってしまっています。

これまでは PV の傾向としては少しずつ増えていたこともあり、いきなり PV が減ってしまいその水準が一時的ではなく続いているので、正直に言うと知った時はちょっとショックでした。

PV 数の減少要因を分析してみると …


とはいえ、気にしていても仕方ないのでもう少し Google Analytics で分析してみることに。PV 数は、訪問者数 × 訪問者あたり PV 数に分けられて、減少要因はそもそもの訪問者数が減っていたことでした (ユニークユーザー数も減少) 。
投稿日 2013/08/11

YouTubeで音楽をヘビーに聞くようになっての雑感

ふと気づけば、最近は音楽を聞くのがYouTubeが多くなっています。

自分の日常で音楽を聞くのは、通勤などの電車の中、自宅、仕事で集中したい時。このうち、自宅と仕事時はYouTube(YT)を使っています。

YTには音楽コンテンツがかなり充実していると思っていて、その中でもよく利用しているのは60分くらいのDJの人がミックスしたコンテンツです。YTにはSubscription(登録)の機能があり、気に入ったDJさんは何人かは登録しています。(例えば、 Soulful Evolution JaBigMike WhitfieldHeiera Mark MelloTrevor NygaarddarkocorazzoErwin Westerborg)

YTで音楽を聞く時は作業用BGMとしてです。音楽を聞く時間も増えました。一日あたり3,4時間は聞いています。YT利用者全体でみた場合、たぶんヘビーユーザーの1人になっているように思います。以下は、YTで音楽を聞くようになり、ここ最近思っていることです。

■音楽の保有意識の低下

以前であればiPhoneの中に入っている曲を聞いていました。今でもなくなったわけではないですが、YTの音楽を聞くことで音楽の保有意識がなくなりつつあることを実感しています。

YTで音楽を聞くことに関しては、曲を持っている実感はなくて、ただYT上にある音楽を「再生」するだけという感覚です。保有もダウンロードもしている認識もなく、ただそこにある音楽を聞いているだけです。

音楽再生はCDというメディアだった頃に比べ、iTunesからiPodなどにダウンロードして聞くスタイルに変わった時、音楽の保有意識も変わりました。CDという物理的なメディアに入っていたものが、MP3形式になり音楽に対してモノの感覚が薄れた記憶があります。

それでもiTunesの中(PCの中)だったり、iPod/iPhoneの中には入っているという意識はあったので、保有の実感はありました。それがYTでストリーミングで聞くことが多くなり、音楽はもはや保有ではなく、その時だけ利用し聞くものになりました。

保有意識の低下によって、今のところ、だからどうというわけではないのですが、あらためて思うとこの感覚の変化は大きいと思っています。

■YTが使えない環境で顕在化した不便

通勤での電車内でも音楽を聞いていることが多いのですが、今のところこの時間はYTは使わずに、iPod touch内に保存してある音楽を聞いています。

電車内でもYTは使えないこともないのですが、通信が弱いので途切れてしまうことがあります。デバイスも常に通信をするので、バッテリーの消費も激しくなります。なので、通信をせずに音楽を聞くとなると、デバイス内の音楽を聞いています。

従来はこのモバイルデバイス内のローカル保存の音楽を聞くという視聴スタイルに特に不便は感じなかったのですが、自宅等の屋内でYTで聞くことが多くなると、YTを使いにくい環境下での不便が顕在化してきています。

デバイス内で保存してある曲数は、YT上にある音楽の多さに比べると少ないので、曲に飽きてきてしまいます。それに比べるとYTで聞ける音楽は感覚としてほぼ無限にある感じなので、選曲に迷うこともないんですよね。iPodから曲をいちいち選ばないといけないのが、意外に不便に感じてしまうようになってきています。これはYTを音楽用として利用する前には全くなかった不便です。

■コンテンツプロバイダーにプロもアマもない。ただ自分が気に入った音楽を聞くだけ

上記で自分がYTで登録しているDJさんのいくつかをご紹介しました。昔の、CDでミックスを買っていた頃を思い出すと、CDを出せるようなDJはその世界でのかなりのトップクラスだったはずです。

一方、YT上にはプロのDJもいれば、セミプロ、アマなど様々なクラスが混在しています(プロやセミプロの定義はここではあまり厳密に考えていません。要はトップ級だけではないということを言っています)。あらためて思うのは、自分にとって大事なのは音楽というコンテンツプロバイダーがブロorアマではなく、自分の好きな曲を提供してくれるか、自分の音楽嗜好/センスに合っているかどうかです。

YTというプラットフォームに音楽だけでも多種多様なコンテンツがあり、その中で自分が気に入った音楽を聞くだけなんですよね。すごくフラットな世界という感覚です。

■音楽接触時間は増えた。ただしお金は払っていない

YTで音楽を聞くことが多くなり、結果として音楽視聴時間は以前よりも増えました。特に作業用BGMとして、PCで何かを集中してやりたい時はだいたい聞いています。

一個人として音楽利用時間が増えたのに対し、音楽に対して支払うお金は減りました。ことYTに関してはフリーです。厳密に言えば、YT内で見る広告のうちいくつかは課金が発生していますが(TrueViewで広告スキップをしない、スキップ機能がないIn-Stream)、これも自分のお金が支払われるわけではないので感覚としてはYTに一銭もお金を払っていないのです。

音楽視聴時間は増えているのに、支払うお金は増えていない、むしろYTを利用すればするほど減っています。今後、マーケットとして成り立つのかがとても気になります。

コンテンツプロバイダーにとっては、音楽視聴者から直接ではなく広告からお金を稼ぐことは可能です。CDやiTunesでのダウンロードでは、音楽を買う、つまり音楽視聴者から直接お金がまわってきていました。YTでは、お金の流れとしては視聴者からではなく、広告主からYT経由(Google経由)で支払われます。

このエコシステムが良いのか悪いのかはなんとも言えないのですが、気になるのはお金という視点で見た時にマーケットとして、今後も成り立つのかどうか。利用者にとってYTでタダでいくらでも音楽を聞けるうれしい環境ですが、音楽提供者にとって金銭的な旨みがなくなれば、プラットフォームとしては成立しなくなる?というのがここ最近の感心事です。

■YTでの音楽視聴は、YT本来の使い方?

YTで音楽を視聴すると言っても、作業用BGMとして利用する場合には「視」はありません。ユーチューブなのに、映像は全くと言っていいほど見ていなく。ただ音を聞いているだけです。

動画のほうも、1時間とかある音楽コンテンツはもともと映像はないようなもので、1時間ずっと同じ静止画が表示され、音楽だけ流れるというパターンも結構あります。コンテンツ提供者側も利用者側もはじめから動画を見ることは想定していないということ。

YTはもともとは動画サイトなのに、映像が作られていない/ニーズがないというのはよく考えるとおもしろい現象です。YTがもともと想定していた使い方ではないように思いますが、動画サイトなのに映像ではなく音だけに一定のニーズがあり、需要と供給が成り立っているのは興味深いです。


投稿日 2013/08/10

決断とは最善を尽くすこと:落合博満の采配論から学ぶ意思決定の心構え




中日ドラゴンズの前監督である落合博満氏は自らの著書 采配 で、次のように書いています。

どんな局面でも、采配というものは結果論で語られる事が多い。

(中略)

責任ある立場の人間が下す決断ーーー采配の是非は、それがもたらした結果とともに、歴史が評価してくれるのではないか。ならばその場面に立ち会った者は、この瞬間に最善と思える決断をするしかない。そこがブレてはいけないのだと思う。
投稿日 2013/08/04

子どもは親の鏡:出産予定日がちょうど1ヶ月後なので忘れないように

今日は8月4日。9月に子どもが生まれるのですが、予定日が9月4日(水)です。

あと1ヶ月なんですよね。1ヶ月ってすぐに時間が経つ感覚なので、待ち遠しい限りです。そういえば今朝、初めて夢に自分の子どもが出てきました。

自分の子どもが生まれるということで、子育て系の本も読むようになりました。今回のエントリーでご紹介したいのは「子どもが育つ魔法の言葉」

本書のキーメッセージは「子どもは親の鏡である」。子どもは常に親から学んでいて、親の姿を見ている。親のありのままの姿を子どもはよく覚えている、というもの。親の考え方、言動、行動が子どもに与える影響は大きいのは、実感としても理解できます。

本書で印象的だったのは、以下のフレーズです。
  • 認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
  • 誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ
  • 叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう

■認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる

親のスタンスとして、子どものことを認めてあげられるようにしたいと思っています。子どもとはいえ、1人の存在として認めることであったり、子どもがやること、言うことに対しても受け入れるようにしたい。食事をこぼして床にぶちまけたりとか、時には怒りたくなるようなことでも、まずは受け入れる。認める。そのすぐ後にきっと怒ってしまうような気もしますが、認めることなしに叱ることは避けたいなと。

子どもの立場で考えると、一番の身近な存在で信頼できる大人が親です。そんな親から自分は認められていると感じられるか。認めてもらえないのであればその影響は大きいように思います。本書に書かれている「認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる」というのはわかるんですよね。自分のことが親に認められたと実感できると、そんな自分のことを誇らしく思え、好きになるというか。

■誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ

子どもの何を誉めるとよいか。親として大切にしたいのは、プロセスをまずは誉めることです。自分で考えたこと。行動を起こしたことに対して。やる気とかモチベーション。時には失敗もするかもしれませんが、まずは結果に至るまでのプロセスにおいて誉めるようにしたいと思ってます。

意識したい褒め方としては、具体的に誉める、その場ですぐに伝える、時にはさらに良くなるような助言もセットで誉める。

親から見て、子の長所についても触れて、子ども自身が自分の良い面をわかるようにもしてあげたいです。2つあって、自分が長所と思っていることを親に認めてもらえること、自分が気づいていないことでも長所と指摘され意識することで、新しい自分が見つかる。ポジティブに捉えられるようになり、自己肯定感を持てるようになってほしいですね。

子育てに関する本を何冊か読みましたが、よく出てきてたのが「自己肯定感」でした。自分を認めること、何が起こっても「大丈夫」と思えること、自信を持つこと。自己肯定があることで、考え方が前向きになれます。

自分の長所や努力を誉めることで、子どもはそれが正しいアプローチと理解できる。それが次のプロセスにつながっていく。こうした良い循環ができることで明るく前向きな子になってほしいと願っています。

■叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう

子どもを誉めることは大事だとわかっていても、怒ったり叱るケースもあります。どういうふうに叱るかは結構難しいなと感じています。

叱る時に意識するようにしたいのは、その場で叱ること、具体的に叱る、公平であること。その場でというのは、後から叱っても効果は低いように感じるので、具体性も併せて、次につながる叱り方をしたい。決して自分のストレスやイライラの解消のために怒ったり叱ることはないように(公平に叱る)。

「怒ったり叱ったり」と書いて思ったのが、怒ることと叱ることの2つを分けて考えたほうがいいなということ。必ずしも2つはセットである必要はなくて、怒る要素は減らし叱ることにフォーカスしたいです。

怒る行為は、親にとって自分本位なこと。感情的になることは仕方ないですが、自分の気持ちを子どもに向けてぶつけているイメージです。でもそれは果たして子どもにとって良いことなのか。子どもにとってプラスになるからこそ叱る。子どもにとっても長い目で見ると怒られるのでなく、叱られたほうが得るものも多くなる。そんな親子関係を目指したいもの。

叱る回数が多くなり過ぎないようにも気をつけたいです。目指したいのは誉めると叱るの割合が1:1くらいになること。理想は誉めるほうを多くすることですが、果たしてそんなうまくいくのかな。

★  ★  ★

こうして考えると、親の役目もなんとなく見えてきます。子どものことを受けとめ、肯定し、認めてあげること。励まし、誉めてあげる。叱る時には公平におもいやりをもって。

こうした子どもへの直接の触れ合いだけではなく、普段からの親の立ち振舞を子どもはきっと見ているはず。子どもは親から学ぶ、子は親の鏡であるという本書の指摘は、忘れないようにしたいと思っています。

最後に、本書からの引用です。
けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる
「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもはみじめな気持ちになる
子どもを馬鹿にすると、引っ込みじあんな子になる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう

励ましてあげれば、子どもは、自信を持つようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ
愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる
分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ
やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世はいいところだと思えるようになる

※関連記事
父親になるということ
父として子に何を語るか
親子で楽しむ「子どもの才能をグングン引き出す脳の鍛え方/育て方」
「男の子の子育ては楽しい」と思えるようになるためのしつけ方




投稿日 2013/08/03

転職して3ヶ月を振り返る


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転職して3ヶ月が経ちました (2015年8月現在) 。

感覚的に、3ヶ月が1年くらいの時間のようです。いや、もっと長い時間かもしれません。それだけ密度が濃かったし、早く時間が過ぎました。転職を通じて様々なことが変わりました。

今回のエントリーでは、あらためて転職後の3ヶ月を振り返ります。仕事で意識していた3つです。

  • 自分がいることによって、価値を出せているか
  • 行動し一歩でも中に入り込む
  • 楽しく働く
投稿日 2013/07/28

ネットがもたらした 「注意力散漫な脳」 は進化?退化?




カジケンブログにある以下のエントリーを、興味深く読みました。

参考:テレビドラマって、もう一話15分で良いんじゃないの?|カジケンブログ


テレビドラマは15分くらいが最適?


エントリーの内容は、自分の SNS 上で話題になっていた NHK の連続テレビ小説 「あまちゃん」 についてでした。オンデマンドで見始めたを機に、テレビドラマは15分くらいが最適なコンテンツ時間なのではと考えるようになった、という内容です。

以下は該当箇所の引用です。

まず最初の取っ掛かりとして、15分だったらとりあえず一話ぐらいは観てみようかなという気になりました。YouTube も一つの動画の長さが最大10分なのでその感覚に近いかも。

逆に言うと、45分や1時間とかだったら観ていなかったと思います。実際今までのテレビドラマを観なかったのは、それが原因。

あと、一話の単位が15分だとちょっとしたスキマ時間で観れます。15分だからこそ 「あ、今ちょっと時間あるから次の回を観てみよう」 となる。それこそ友達に薦められた YouTube の動画をさらっと観るみたいな感じで。

これが45分とかだったら、例えば会社の昼休みをほとんど使っちゃうわけでかなりの決断になるし、この違いは大きい。
投稿日 2013/07/27

ネット選挙解禁で実感した民主主義に悪影響を及ぼす 「フィルターバブル」




2013年の参院選より、ネット選挙が解禁されました。公示後も投票日前日までは、党や政治家、有権者がネット上で選挙運動ができるようになりました。

投票日までのネット上の選挙に関する情報は、ネット選挙解禁前に比べて増えました。ネットに選挙関連情報が増えること自体は望ましいことです。

一方で、今回の選挙で思ったのは、ネットでのパーソナライズ化により起こる 「フィルターバブル」 でした。
投稿日 2013/07/21

書評「日本の景気は賃金が決める」

「日本の景気は賃金が決める」という本がわかりやすくおもしろかったのでご紹介。

アベノミクス解説本としてだけではなく、経済がより理解できる内容になっています。とても丁寧にデータを積み上げて書かれていて、説得力もありました。何よりデータドリブンなところに好感が持てる本でした。

今回のエントリーでは本書を通じて学んだことを取り上げています。

■物価デフレよりも深刻な「賃金デフレ」

著者はモノやサービスの価格が継続的に下落する物価デフレよりも、深刻なのは「賃金デフレ」であると言います。物価デフレと賃金デフレが1998年以降で同時に起こっており、下落が大きいのは賃金デフレであると。

本書で紹介されていた総務省と厚生労働省のデータを見ると、1997年から2011年までにおいて、
  • 消費者物価指数(コア指数):年平均0.23%下落
  • 賃金指数(現金給与総額):年平均0.92%下落
と、賃金が4倍下がっています。なお、賃金指数とは基本給に残業やボーナスも含んだ全ての給与を合計したもの。1人当たりの賃金(給与)の動向を示す指数です。

物価よりも賃金の下落が大きかったことは重大な意味があります。物価下落を上回るスピードで賃金が下がったということは、両者の差だけ生活が苦しくなったということ。消費が伸びず、不況がますます深刻になり、それが賃金下落につながる。消費が伸びないという悪循環になり、賃金デフレが起こったのでした。

なぜ賃金デフレになったかには日本企業の構造的な問題があると著者は指摘します。

1998年〜2008年までは資源価格が上昇した期間でした。輸入物価は26.9%上昇しこの間の輸入依存度平均は12.1%なので、2つを掛け合わせた3.3%分、国内の物価を押し上げました。ですが、GDPデフレーターでみた国内物価は同期間でマイナス14.5%。輸入物価が上昇したのであれば、その分だけ国内物価が上がってもよさそうなのに、現実は逆だったのです。

こうした状況で起こったことは、多くの特に中小企業において、資源/材料高に伴うコスト増をモノ/サービスの値上げにつなげられず、利益を確保するために賃金を下げたのでした。賃金デフレが深刻化した構造的な問題です。

■構造的な賃金格差:「男・大・正・長」vs「女・小・非・短」

賃金デフレは皆に一様に起こったのではなくバラツキがありました。賃金格差が拡大し、著者はここに問題があると指摘します。

賃金の格差はあるパターンで見た時に顕著に現れます。それが「男・大・正・長」vs「女・小・非・短」。男性で、大企業で働き、正規雇用、長年勤務している人は高い賃金を得ています。反対の、女性で、中小企業で働き、非正規雇用、勤務年数が短い人は賃金が低い。賃金格差には4つの項目があり、①男女、②企業規模の大小(大企業or中小企業)、③正規/非正規の雇用形態、④勤続年数の長短。4つの条件のうち、1つでも多く当てはまるほど格差は大きくなります。

本書のデータで見るとよくわかります。厚生労働省の「平成24年版労働経済白書」によると、男性で正規雇用フルタイム労働者の平均年収を100とすると、
  • 女性・正規雇用・フルタイム:72
  • 男性・非正規雇用・フルタイム:58
  • 女性・非正規雇用・フルタイム:43

ちょっと話が脱線しますが、私の意見としては賃金格差が生じるのは「あり」と考えています。ただし、格差要因が仕事に生み出せる付加価値や能力によっての場合です。今後はますますのグローバル化やITによって、高付加価値の人材とそうではない人材の所得は自ずと差が大きくなると思っています。一方で、本書にあるような、男女・大企業/中小・正規/非正規・勤続年数などの、付加価値とは異なる条件で賃金格差が生じ、大きくなるのは問題と考えます。

■日銀などの中央銀行は、金融引締は得意・金融緩和は苦手

本書からの3つ目の学びは、中央銀行による金融引締と金融緩和について。まず、不況が深刻な場合に日銀などの中央銀行が行なう金融政策は基本的に2つあります。
  • 政策金利を下げる。企業や個人がローンを組む金利に影響を与えることで、企業や個人がお金を借りやすくする
  • マネタリーベース(日銀が直接コントロールできる貨幣量)を増やすペースを高め、民間銀行が企業/個人にお金を貸しやすくする
金融引締はこれとは逆のことを行ない、企業や個人がお金を借りにくくする政策です。

なるほどと思ったのは、中央銀行は金融引締は得意だが、金融緩和は苦手という構造問題があるということ。日銀が金融緩和で、企業や個人がお金を借りやすい状態にしたとしても、実際に借りさせることはできません。あくまで企業や個人がお金が必要という状況が必要です。

本書にあった犬の首輪と手綱の例がイメージしやすいので引用しておきます。
金融政策は、犬の首輪につけた手綱を操るようなものだといわれることがあります。早く走ろうとする犬の手綱を引っ張って、犬にブレーキをかけるのはやりやすい。金融引締がこれに当たります。

他方、犬をもっと遠くに行かせたいと思って、手綱を緩めても、犬自身が遠くに行こうとしなければ、効果はない。金融緩和はこれに近い感じの政策です。

引用:書籍「日本の景気は賃金が決める」

中央銀行が消費者物価上昇率の目標を設定する「インフレターゲット」。黒田日銀は15年までに2%の上昇率を目標に掲げています。インフレターゲット(目標)は、もともとは「高すぎるインフレ率を抑制するための金融引締の手段」であり、今の日銀はその逆のインフレ率を高めるための金融緩和の手段として設定されています。

★  ★  ★

最後にもう1つだけ。相対的貧困率という指標があります。これは、日本の全国民の年収を順に並べ、真ん中の人の年収(中央値)に対して、半分よりも少ない年収の人が「相対的貧困」です。

相対的貧困率を子育て支援の視点で見た時、政府による所得再配分の前後で見ると、なんと、再配分後のほうが相対的貧困率が上がるのです。本書には再配分前の子供の相対的貧困率は12.4%、配分後は13.7%とあります。つまり、日本政府による支援が何もないほうがまだましということ。これは日本の社会保障がいかに高齢層に偏っているかを物語っています。日本政府は子育て世帯の家計を結果的に悪化させているのです。OECD加盟先進30ヶ国の中で日本だけです。




投稿日 2013/07/21

父として子に何を語るか

「今、父は子に何を語るべきか」という本を読みました。タイトル通りに父親として子に何を語るべきかを、著者の人生観や日本社会、家族内での父親の立場/存在感の低下を指摘しながら書かれています。

9月上旬に自分の子ども(第一子)が生まれる予定で、あと1ヶ月半ほど。奥さんも先週から産休に入ったのでいよいよという感じです。そんな状況で本書を読んだので、自分だったら子どもに何を語るかを考えてみるきっかけになりました。

1.「大切なもの」を大切にしてほしい

言葉にすると当たり前に聞こえますが、自分にとって「大切なもの」をちゃんとその通りに大切にしてほしいと思っています。「大切なもの」は本人が大切と思うものなので、まずは自分にとって何が大切かを考えるところから。家族、友だち、自分が置かれた環境、食事、自分が好きなこと。

子どもは特に小さい時は好奇心の塊です。自分がおもしろいと思ったり、知りたい/疑問に思ったこと、親としては子どもの興味/関心を削がないようにしたいし、子どものやりたいことを尊重し、サポートできるような立ち位置でありたいと思っています。

自分が大切と思うことには、そう思う理由があるはず。好きだったり、楽しいと思う気持ちを大事にしてほしいです。自分の心に逆らうことなく、大切なものを大切にしてほしい。そこには感謝の気持ちも添えて。ちょっとしたことでも「ありがとう」と思え、それを言える子になってほしいなと思っています。

2.自分の頭で考え、自分で判断し決めること

小さい時に全て自分で考えて決めることは難しいかもしれませんが、なるべくは最終的には自分で決めてほしいと願っています。考えるため/決めるためのアドバイスだったり、判断材料を伝えることは親としてやるけど、決めるのは本人というスタンスです。

まずは自分の頭で考えること。時間がかかってもいいし、時にはミスジャッジをするかもしれません。それでも、最終的に自分で決めることを続けてほしい。ミスってもそこから学べばいいので。

時には親としての考えと、子どもの考えが異なるケースも出てきます。その時も、頭ごなしに子に伝えるのではなく、お互いになぜそう思うかを話せる関係でありたいです。その上で子どもの考えに理解できるのであれば、たとえ自分とは考え方が違っても尊重し、自分の考え/判断にそってあとは子に任せきることができるのが理想です。子どもにはその子の人生があるので、自分の人生は自分で決めるような子になってほしいなと思います。

3.死について(死生観)

生と死は難しいテーマですが、ここもすぐにではなくても自分なりの考えを持ってほしいと思っています。

私自身の場合で言うと、幼稚園くらいの時に人は死ぬとどうなる、みたいな話を聞きました。親から聞いたかどうかまでは記憶にないのですが、自分にとってショックだったのは、死ぬともう二度と生き返ることはないとわかったことでした。それまでは死んでも生き返るとなぜか思っていて、希望的な解釈が間違いとわかったことと、死ぬと永遠に生き返らずに死んだままということに強いショックを受けました。

初めは永遠という言葉の意味がまだうまく理解できなかったのですが、100年たっても、1000年、1万年たっても、どれだけ時間が過ぎても生き返ることはない、そうイメージできた時、永久に/永遠にという意味が実感できた記憶があります。

死ぬと二度と生き返ることはないとわかった後に思ったのは、親や家族が死んでいなくなってほしくない、友だちも死んでほしくない、そして自分はまだ死にたくない。夜になると死が不安で眠れなかったのをよく覚えています。

そのうち、いつかは自分も含めてみんな死ぬこともなんとなくわかってきました。いつか死ぬことがわかると、自分の時間や人生も有限なんだなということが、今言葉にするとこう言えるのですが、当時の自分もなんとなく実感できました。それ以来、自分の頭の隅っこに死がありました。何かのタイミングでふと考えるというか。時間を大切にするようになったし、人生もいつかは終わると考えられるようになりました。

死生観については、あまり子どもが小さい時にはテーマとしては難しいかもしれません。ちょっとずつ、例えばセミが1週間で死んでしまうことだったりの、身近なところから子どもと一緒に考えてみるといいかもしれません。

★  ★  ★

先日、妊婦検診に付き添って、エコーによる胎内の様子を見せてもらいました。お医者さんに子どもが男の子or女の子を聞いてみたところ、女の子なのではとのこと。個人的には男の子が欲しかったのですが。奥さん曰く、一日中かなり動いているようなので、元気な子が生まれてくることを祈っています。


投稿日 2013/07/20

ネットの本質から考える「ネット選挙活動解禁」に期待したいこと

インターネットの本質は以下の3つだと思っています。
  • 個の情報発信
  • 双方向性
  • 履歴が残る
簡単に言うと、個人やモノなどの個のレベルでネット上に情報発信ができ、情報は個々の間で双方向に流れる。また、アクセスや表示、ウェブページ自体もアーカイブされることで履歴がデータとして残る。

今回の参院選からネット選挙が解禁されました。現時点でのネット選挙解禁について考えてみます。

ちなみに、ネット選挙解禁と言っても、できるようになったのはネットによる選挙活動であり、ネットからの投票はできません。ネット選挙運動解禁で期待される効果の1つに投票率アップがありますが、ネット選挙投票もできるようになると投票率は上がるでしょう。ただ、アメリカでもまだネット投票は実現されておらず、現状では難しい印象です。個人的にはせめて投票券を往復はがきにして、はがき投函で投票できるといいなと思っています。

■個の情報発信

さて、本題。ネットの本質で書いた1つ目の「個の情報発信」。これをネット選挙解禁に当てはめてみます。

ネット選挙解禁により、各政治家が自分のホームページ、ブログ、Facebookやツイッターなどから、選挙公示後も情報発信ができるようになりました(更新できるのは投票日前日まで)。

従来であれば、公示後の立候補者の主な選挙活動は、ポスターの掲載、ビラ配布、街頭演説、選挙カーによる連呼。いつも思っていたのが、これらの活動は多くの有権者にとっては深い情報があまりわからないということ。特に接触する機会が多いボスターや選挙カーからわかるのは、立候補者の名前、所属政党、抽象的な主張くらい(街頭演説はずっと聞いていれば、その政治家は何をしたいのかはわからなくはないですが)。

つまり、政治家を選ぶための情報が選挙活動量やかけたコストの割に足りない。結局、投票する政治家を選んだ理由が雰囲気、みたいな状況になります。ポスターの感じや選挙カーの名前・よろしくお願いします連呼だけの印象から選ばれるという。

「個の情報発信」ということで期待したいのは、政党よりも政治家個人について、この政治家の主張/活動は共感できるので「この人を応援したい」という政党依存からの脱却です。支持政党とは別に応援したい政治家ができやすい環境ができるようになってほしい。そうなると、政治が身近な存在になります。政治家が主張することは社会の問題と解決なので、自分事して考えられるようになることで政治参加意識の高まり、ひいては投票率アップまで。

マスメディアに出る政治家は各党の代表、もしくはそれに近い限られた政治家だけです。ネットも選挙活動に使えることで、これまでは2割の政治家がマスメディアで8割の情報発信をしていたのが(この数字はイメージです)、多くの政治家がネット上で主張できることで、多様な意見/議論が生まれることを期待です。

■双方向性

ネット選挙解禁によりもう1つ期待したいのが、政治家と有権者の双方向のやりとりです。従来であれば、政治家→有権者への一方向でのやりとりが中心でした。有権者の声や意見がなかなか政治家サイドに届かない。政治家とのタウンミーティング(対話集会)も存在しますが、参加できる人、そもそも存在を知ることも難しかったりします。

ネットという政治家とコミュニケーションできる仕組みが増えたので、ここでも政治家を身近に感じるようになったり、政治との距離感が縮まる。結果的にネットでの双方向性から有権者の声が政治により反映されることを期待したいです。

■履歴が残る

オンラインでの活動はオフラインに比べて履歴が残りやすい特徴があります。

ネット選挙の視点で考えると、政治家のネット選挙活動にログが残ることになります。街頭演説であれば、情報としてはフローですが、演説動画をネット上のYouTube等にアップすればストック情報として蓄積されます。

政治家にとっては自分の発言や情報発信の履歴が残るので、それだけへたなことは言えない。対抗候補者の批判も根拠が求められたりなど、こうした積み重ねにより選挙活動の質の向上を期待したい。

もう1つ期待したいのは、選挙活動におけるデータ活用やマーケティング視点の取り入れです。履歴が残るということは、データとして蓄積されます。データを使って、政治家にとっては自分の選挙活動の効果を可視化できたり、分析結果から次の施策を立てる。データを使った選挙活動の仮説検証ができるようになれば、もう少し科学的な選挙活動になってほしいなと。

選挙活動におけるデータ活用は今後の課題になるし、できる政治家と取り組みをしない政治家では、支持だったり影響力の差が出てくるはずです。

■その他の期待

ネット選挙解禁について、①個の情報発信、②双方向性、③履歴が残る、の視点で考えてみました。あらためて思うのは今回からのネット選挙解禁により期待したいのは、
  • 政治家/党が身近な存在になり、より知ることで選びやすくなる
  • 有権者の政治参加の促進
  • 投票率アップ(特に若年層)

3点目の投票率については、今回はもしかすると下がるように思っていますが、これはネット選挙解禁のプラスの効果よりも、自民圧勝の各種報道や、選挙の焦点が曖昧(自民以外の等の存在感が低いように思う)などの構造的な理由で、有権者の特に浮動票層の投票率が減ると予想しています。

ネット選挙による投票率アップの効果は、明確な支持政党/政治家がいない浮動票だったり、支持政党はあるけど投票に行くのが面倒と思っている人たちに対して、投票所に行ってもらう点にあると思っています。

アメリカ大統領選では、オバマの奥さんであるミシェル夫人がツイッターのダイレクトメッセージで「投票に行きましょう」というメッセージが有権者に送られたとのことで、ファーストレディから直接そう言われれば効果も大きいと思いました。オバマに入れてください、ではなく投票に行こうという呼びかけ方もうまい。

ネットでの選挙活動が一般的になると、ネットとマスメディアの役割もこれまでとは違うものになるはず。マスメディアの報道がネットでの政治家の活動の後追いになるのではなく、マスメディアならではの、各種争点の整理だったり分析が報道されれば、ネットvsマスメディアではなく、ネット&マスメディアとお互いが補う構図です。

今回の参院選で日本でもようやくネット選挙解禁がされました(公示後〜投票日前日)。初のネット選挙ということで、ネットでできること、課題も見えてきます。投票が終わり選挙結果が出れば、ネット選挙活動が終わりではありません。政治家にとっては、むしろスタートであり、今後もどれだけ自分の主張や活動をネットも使って、有権者に知ってもらうか。有権者と政治家の双方向のコミュニケーションを続けられるか。ネット選挙解禁をきっかけに日本の政治の質が上がり、長い目で見て日本の社会をより良いものに変えていってほしいです。

投稿日 2013/07/15

書評「テレビが政治をダメにした」:参院選の前に読んでおきたい1冊

書籍「テレビが政治をダメにした」(Kindle版はこちら)の著者は、「すずかん」こと鈴木寛氏。民主党政権で文部科学副大臣を務めた政治家です。大学で教授などの歴任もあり、政治家の視点だけではなく、様々な学者の引用もあり、説得力のある内容でした。来週は参院選の投票日でもあり、本書の内容は知っておくべきことだと思いました。

驚かされたのは政治家の一部に「テレビ政治家」という存在がいること。本書ではテレビ政治家の実態が具体的に書かれています。内容は国民にはあまり知られていないものだと思います。

■本来の役割よりも番組出演を重視する「テレビ政治家」

テレビ政治家はテレビ出演を選挙活動の一つと考えており、出演番組のテーマや内容に関係なく、討論番組だけではなく「ビートたけしのTVタックル」などのバラエティ番組にも積極的に出演します。

問題だと思うのは、単に出演するだけではなく、所属する党の方針とは違った発言を持論として展開すること。本書では具体的なケースがいくつか紹介されています。
  • 民主党内の会合で消費増税の議論で、議論が積み重なり取りまとめ段階になってようやく現れるのがテレビ政治家。なぜならこの時になってはじめてテレビカメラの取材が入るため。カメラがまわっていることを確認すると突然手を挙げ立ち上がり、司会の制止を振り切り、テレビカメラに向かって演説を展開し始める。撮影が終了すると、会合はまだ続くにもかかわらず、テレビ政治家は会場からいなくなる。今度は会場の外でテレビカメラの前で取材を受けている。テレビ政治家はテレビカメラが入らない党内の政策議論にはほとんど参加しない
  • テレビ政治家は国会ではなくテレビ優先の行動を取る。国会のスケジュールは最終的には前日or当日に決まる。しかしテレビ局からすると出演が「前日か当日にならないとわからない」では困る。テレビ政治家はテレビ局側に配慮し、国会の日程が入った場合でも国会ではなくテレビに出ようとする。テレビ政治家はTV出演をしてアピールすることができるし、テレビ局に恩を売ることができる
  • 「TVタックル」などのバラエティ番組に出るには、政党を代表する必要もなければ、首尾一貫した政治姿勢が必要なわけでもない。テレビ局側の編集に任せて、テレビ政治家はテレビが喜びそうなことを喋っていればいいと考えている。視聴率を取るために、テレビ局に期待されたステレオタイプな役柄を演じる

問題は、本来の政治家の役割よりもテレビ出演を重視するだけではありません。テレビ政治家は、日頃、政党ではその問題についての政策論議に十分に関わっていないために、国会の論点とずれているとのこと。さらには事実誤認もあり、適当に番組の流れに沿って、適当に喋る。結果、視聴者にとっては政党を代表して政策を述べているかのように受け取られてしまう。

なぜテレビ政治家はテレビ出演を重要視するのか。理由は視聴率の高い番組に自分が出ることで選挙結果に有利働くから。「TVタックル」のような視聴率の高いバラエティ番組に積極的に出演をしようとします。

政治家の間では「TVタックルに出れば選挙に強くなる」と言われ、筆者によると05年の郵政選挙で、比例復活の当落の明暗を分けたのはテレビ。中でもTVタックルのようなバラエティ番組に出ているかどうかが大きいという分析結果が得られたそうです。

■視聴率至上主義の弊害:メディアの消費対象となる政治

本書のタイトルは「テレビが政治家をダメにした」です。ここまでは本来の職務ではなくテレビ出演を重視するテレビ政治家の実態でしたが、問題はテレビ局側にもあります。本書からわかったのは問題の深さで言うとこちらのほうが深刻ということです。

メディア側の問題点は視聴率至上主義の弊害です。視聴率を上げるためにはここまでやるのかという内容が書かれています。視聴率が取れるのであれば、それを面白おかしく放送する。政治家の発言も視聴率を取れるように編集するようです。
  • 著者が出演した際のケース。重要なテーマに関して政策レベルでどのように対応しているかといったことを話しているのに、カットされた。著者はそのテーマを多くの視聴者に伝えたるために、スタジオに行って多くの話をしたにもかかわらず。テレビではまったく意見をいっていないように放送されてしまう。その一方で放送されるのは、出演者に割り込まれたシーンなどテレビ的に面白いとされるところばかり
  • さらには、番組側は出演者が話している順番すら変えてしまう。収録の前半のテーマで話していたコメントが後半のテーマの中で使われ、後半のテーマで使われていたコメントが前半のテーマで話しているように使われる。Aというテーマについて「いや、それはおかしいですよね」と収録では発言したところ、実際の放送を見ると、Aの話題ではなく、別のBのテーマについて「いや、それはおかしいですよね」と言ったように使われてしまう

政治家の発言も視聴率を取れるように編集するのです。著者は、このようにして視聴率至上主義のもとで政治番組のバラエティ化が加速したと言います。

マスメディアの論調も視聴率や雑誌/新聞であれば発行部数をとれるかでコロコロ変わります。本書で印象深かったのが、視聴率が取れる限りにおいて、政治家や党が「消費の対象となる」という指摘。

支持率が高い間は政治家や党をもてはやして視聴率を上げようとするが、支持率が低くなる手のひらを返したように批判の対象に。バッシングの対象として叩く。バッシングすることで視聴率が稼げる。視聴率を上げるために消費し尽くしたとなれば、次にまた別の政治家を持ち上げ、人気に陰りが出ると、バッシングをする。

政権交代すらも消費の対象になります。支持率が落ちた政権では、マスメディアからことごとく叩かれるようになる。政権が一年ごとに次々に変わる要因でしょう。

テレビ局の視聴率至上主義を象徴する発言が本書にはありました。3.11の震災後のエピソードで、以下は本書から引用です。
あるテレビ局のプロデューサーからは耳を疑うような視聴率至上主義の返事が返ってきたのでした。

「水素爆発の映像を流せば視聴率(数字)が取れる。繰り返し流していても数字が取れる。数字が取れているんだし、会社のトップもそれを容認している」

(中略) 緊急時には災害対策基本法下で防災機関としての役割を担うはずのテレビメディアは、そんな状況になっても視聴率至上主義のままで、自分たちの役割を果たさなかったのです。

それどころか、救える命も救えないという事態を巻き起こしたのです。燃料や薬が届かないことで病院機能や搬送体制を維持することができず、多くの命が失われているというのも大事な事実です。しかし、そのことはテレビで大々的に報道されることはありませんでした。メディアの非を自らが認めることになりますから。

引用:書籍「テレビが政治をダメにした」

■問われる視聴者のメディアリテラシー

テレビ政治家は知名度や得票率を上げるためにテレビ出演を重視する。時には番組に都合の良いことしか言わない。テレビ局側も視聴率を上げるためにはここまでやる。テレビ政治家もテレビ局も得票率と視聴率を上げるというインセンティブがあり、利害が一致します。

ただ、「テレビ政治家やテレビ局が悪い」だけでは状況は変わらないように思います。本書を読んであらためて思ったのは、私たち視聴者側にも問題があるのではということです。視聴率が上がるということはそれだけ多くの国民がその番組を視聴しているということです。(なお、今回のエントリーではビデオリサーチの視聴率調査は正しい前提としています)

TVタックルのようなバラエティ化した政治番組を視聴者が見る→視聴率が上がる→テレビ政治家がバラエティ番組出演を重視する→テレビ局側もさらに視聴率を上げるためにバラエティ化を加速させる。

「テレビが政治家をダメにした」のは元を正すと視聴者側にも責任がある。もし、政治を正しく伝える番組の視聴率が上がり、バラエティ番組に人気がなければ、上記の悪循環は起こらないはず。つまり、私達ひとりひとりのメディアリテラシーの問題もあると思います。

本書で紹介されていたデータです。日本は、先進民主主義国の中ではテレビへの信頼度が高いようです。国際プロジェクト「世界価値観調査2005」によると、非常に信頼する、または、やや信頼すると回答した人々の割合から、あまり信頼しない、まったく信頼しない人々の割合を引いた数字が、80カ国中、日本は、中国、香港、イラクについで4位。具体的には、日本は+37.9%、米国は-35.3%、イギリスは-34.6%、オーストラリアは-64.5%。日本においては、テレビがいかに世の中に影響を与えているのかがよくわかります。

■あるべき政治家/メディアの役割

本書の著者である鈴木寛さんの主張で同意だったのが、政治家の役割についてでした。以下はその部分の引用です。
政治家の役割とは、「複雑な世の中の課題に優先順位を付けること」です。多くの人の利害がからみ、多様で多岐にわたる選択肢がある複雑な課題の中から、この国にとって現在に必要な解決策の優先順位を提示し、進めていくことなのです。

それは白とも黒ともはっきりとしない優先順位になることだって往々にしてあります。多くの人間が関わり、この国を動かしているのですから、そう簡単にはYES、NOではくくれないことばかりなのです。

矛盾や葛藤を抱えながら苦渋の決断さえもする必要がある。それでも、「その優先順位の選択からもたらされる結果については政治責任を負う」ということで政治家の信頼が確保されるのです。

引用:書籍「テレビが政治をダメにした」

しかし、現状のテレビが放送するのは編集で切り取られた部分です。背景や論点、政策議論の経緯だったりはカットされ、Yes or Noを一見わかりやすく伝えるだけ。視聴者も分かった気になってしまう。もう1つ賛同なのが、
本来、ジャーナリズムは、そのステレオタイプを是正するためにあるものです。こういう見方がある、ああいう見方がある。一方でこうした政策もある。とステレオタイプで切り捨てられる部分を拾い上げていく。

すると、多様な情報が議論の俎上に乗ることになり、政治家がどのような背景から優先順位を付けているのかというのが見えてくる。こうした様々な情報に基づいて熟議されることによって、民主主義というのは成立するはずなのです。

引用:書籍「テレビが政治をダメにした」

★  ★  ★

今回のエントリーは長くなったので、最後に問題点を整理しておきます。
  • 政治家本来の役割ではなくTV出演を重視するテレビ政治家が存在する。国会日程よりもテレビ出演を選び、さらには、党内の会合/議論には普段は参加しないため、論点がずれていたり事実誤認の発言をテレビでする
  • メディアは視聴率至上主義から、自分たちの都合の良い発言を政治家に求めたり番組編集を行なう。政治家や党は視聴率を上げるための消費の対象となり、人気に乗じて持ち上げたり、支持に陰りが見えると批判の対象に
  • テレビ政治家とテレビ局/番組の利害の一致、持ちつ持たれつの関係は、視聴者にも責任があるのでは。バラエティ化した政治番組の視聴率が取れるということは、視聴者がそれだけ見ている、楽しんでいるということ。メディアリテラシーがあらためて問われる問題
  • 政治家の本来の役割は、「複雑な世の中の課題に優先順位を付けること」。メディアはここにスポットライトを当てるべきだし、国民もテレビ番組の裏では多様な情報が議論の俎上に乗っており、政治家がどのような背景から優先順位を付けているのかまでを理解する姿勢が大切では

「テレビが政治をダメにした」キンドル版は7月21日の参院選までは100円セール中のようです(もとは840円なので88%OFF)。




投稿日 2013/07/14

書評「未来予測 ―ITの次に見える未来、価値観の激変と直感への回帰」

「未来予測 ―ITの次に見える未来、価値観の激変と直感への回帰」が色々と考えさせられる本だったのでご紹介。

提示されている未来のポイントは2つ。サブタイトルにあるように、①価値観が変わる、②直感の重要性が増す。

■価値観の激変と直感への回帰

1つ目の価値観の変化について。簡単に言うと、「お金に縛られず、自分らしく、仲間と一緒に、生きがいを持って人生を楽しく生きる」という価値観。自分らしく生きたいと考えるクリエイティブな人たちがこれからの社会にとってますます重要になる。

2つ目の直感の重要性について。多くの人が直感で物事を判断し、それぞれが得意とする分野でクリエイティブに生きるようになる。左脳的な発想する人の中から左脳と右脳をバランスよく使う人が増えていく、とのこと。

さらには、クリエイティブな人たちの多くは、精神世界的な真理観を持つようになるだろうと言います。ちなみに、「精神世界的な真理観」とは「目に見えない世界が存在するという信念と、自分と宇宙が1つにつながっているという考え方」という意味。目に見えない世界の存在を信じ、直感を大事にする人が増えるだろうと。

本書の特徴と言っていいのが、著者の湯川さん自身が、自分らしく生きる価値観と人間は宇宙とつながっている真理観を100%信じているわけではない、と言っている点。文章から迷いが読み取れます。

もう1つ特徴的なのは、こうなるだろうという変化に対して「〜になる。なぜならそう思うから」という論理展開が目立つことです。もしくは自分のまわりにそういう人が増えているから、というロジック。このへんはご自身も承知で、自ら内容について支離滅裂と書いています。おそらく本書の評価は割れるはずで、考え方や価値観が湯川さんの意見に近い人は賛同するだろうし、そうでない人にとっては、相容れない主張。

■磨きたい2つの直感

個人的には、お金に縛られず自分らしく生きる価値観と直感の重要性は同意です。

特に2つ目の直感については磨いていきたいと考えています。磨いていきたい直感は2つあって、自分の心や気持ちがわくわくする方を選びたいのと、本質を直感的につかめるようにしたいことです。

何かを判断する時に、色々と考えて様々な可能性を論理的に検討しますが、ジャッジが難しい時は結局は最後は直感で決める。今年になって転職をしましたが、その時の決断はまさにこれでした。最後の判断基準は「転職したほうがおもしろそう」というわくわくした気持ちが前職に残るよりもあったから。

現時点ではこの決断は正しかったし、結果的に直感に従ってよかったと思っています。湯川さんは本書で「直感は時として論理に勝る」と書いています。ただしその前提は、ベースに論理的な思考が十分にあること。左脳で考え尽くしたことがあってこそ、直感が生きるのではと思います。

もう1つ、磨いていきたいと言った本質を直感的につかめるようになること。例えば何かの話を聞いた時、資料を読んだ時やデータを見た際にここが本質というのをパッとつかめるようになりたいと思っています。話のポイントを反射的に理解できるというか。

例えば、何かのデータを見る場合。データがある数表を見た時に、注目すべき値の変化だったり、もしくは数字について違和感がある点をすぐに指摘できることです。イメージとしては、ここがポイントor数字がおかしいと直感的に気付き、そのひっかかりが後で論理的に考えてもそう言えることです。

直感で思ったこと/感じたことが、後からよくよく考えても同じ結論になる。これが本書で湯川さんが言っている「多くの人が直感で物事を判断し、それぞれが得意とする分野でクリエイティブに生きるようになる。左脳的な発想する人の中から左脳と右脳をバランスよく使う人が増えていく」ことなのかなと理解しました。右脳でポイントをつかみ、左脳でそれを証明/補足するイメージです。

湯川さんは、コンピューターが発達すればするほど、人間の価値は直感力やクリエイティビティにならざるを得ない、と言っていますが、直感でポイントを見抜いたり仮説を出せる能力が持てるとすれば、それは人間のコンピュータに対する優位性だと思います。

★  ★  ★

最後に、印象的だった内容を引用しておきます。
怖い気持ち、不安な気持ちを取り去る最大の処方箋は、ワクワクする気持ちである。ワクワクしていれば、勇気などいらない。その方向に進みたくて居ても立ってもいられなくなるからだ。あとはその方向の仕事をやり切るという覚悟を持つこと。途中で諦めたり、めげたりしなければ、確かに未来は変えられると思う。




投稿日 2013/07/13

Yahoo!のビッグデータ参院選予測から考える「未来予測と選択の余地のジレンマ」

「ビッグデータの正体 情報の産業革命が世界のすべてを変える」という本に、ビッグデータがもたらす3つのパラダイムシフトが提示されています。
  • 限りなく全てのデータを扱う。n=全数
  • 量さえあれば精度は重要ではない
  • 因果関係ではなく相関関係が重要になる

3つ目の因果関係ではなく相関関係が重要は、本書で最もインパクトがある論点でした。ちなみに「相関関係がある」というのは、AとBという2つが同時に起こることで、「因果関係がある」というのは、Aが原因でBが起こることです。

ビッグデータにおいては因果関係よりも、何と何に相関関係があるかさえわかればよく、その組み合わせを見つけることが重要であるという考え方。これまではAとBというわかりやすい相関しかわからなかったのが、大量データをまわすことで、AとTという一見何の関係もない2つに相関があることを発見できるかどうか。なぜAとTにどういう因果関係があるかは気にしないというもの。

■ビッグデータによる未来予測と選択の余地

ビッグデータの活用例として予測があります。大量のデータがあり、数式モデル等も導入することで、データから未来がわかる。一方で、本書で興味深かったのは以下の指摘。
ビッグデータ予測が完璧で、アルゴリズムが我々の未来を寸分違わずはっきりと見通せるなら、我々の行動にもはや選択の余地など存在しないことにならないか。完璧な予測が可能なら、人間の意志は否定され、自由に人生を生きることもできない。皮肉なことだが、我々に選択の余地がないとなれば、何ら責任を問われることもない。

これを実感したのが、Yahoo! JAPANが発表していた、Y!の検索データからの参院選予測でした。ビッグデータが導き出した参議院選挙の議席予測

検索データと、昨年末の衆院選の知見からモデルをつくり、データから選挙結果予測をすること自体は価値のあるものだと思います。

従来の選挙結果予測は、電話調査(RDD)による聞き取りであったり、投票後の出口調査からが主な方法でした。それを、ネットでの検索数から高い相関で出せるようになった。Y!が予測に使ったモデルは異なる2種類があり獲得議席数の予測に若干ぶれはあるものの、データから言える結論は変わらず、おそらくこの予測通りの結果になるのでしょう。

一方で、分析結果がこのタイミングで出ることは選挙にとってよいことなのか、もっと言うと日本の将来(少なくともあと3年はこの規模の選挙はないので)にとって有益なのかは考えてしまいます。

すでに勝負が決まったかのような情報が流れると、「投票してもしなくても変わらない」という意識が出てしまうのではと思います。自民支持者、自民ではない党を支持/投票しようと思っている人にとっても。特に浮動票と呼ばれる特定支持がない層。浮動票をどれだけ確保できるかは自公以外は結果に響く気がしますが、その層の投票率が下がってしまいかねない。

先月の東京都議選の結果は、自民が大勝したのと共産党の議席が増えて野党第一党になりました。投票率が下がったのは主に浮動票で、その分、組織票が強い党が票を集めた。同じ構図が今回の参院選でも起こるのではないかなと。

先に引用した「ビッグデータ予測が完璧で、アルゴリズムが我々の未来を寸分違わずはっきりと見通せるなら、我々の行動にもはや選択の余地など存在しないことにならないか」という指摘が当てはまります。

ヤフーの検索データからの選挙予測は、ビッグデータがもたらすとされるパラダイム・シフトの1つである「因果関係よりも相関関係」の例でもあります。検索と投票に高い相関があり、それを使うことで選挙結果が予測できる。

これまで活用していなかったデータから未来が予測できることは有意義だと思う一方で、「ビッグデータ予測が完璧で、アルゴリズムが我々の未来を寸分違わずはっきりと見通せるなら、我々の行動にもはや選択の余地など存在しないことにならないか」という問題意識は持っておきたいです。


※関連記事

因果関係よりも相関関係:ビッグデータがもたらすパラダイムシフト|思考の整理日記




投稿日 2013/07/07

2013年上期に読んでおもしろかった本(後編)

前回の続きです。

2013年上期に読んだ本の中で、おもしろかったものをご紹介。このエントリーは後編で、3冊を取り上げています。

前編はこちら

■勝負哲学

岡田武史×羽生善治の対談。この組み合わせを見ただけで思わず手にとった本が「勝負哲学」でした。

サッカーと将棋。それぞれの戦いで培った、勝負勘の研ぎ澄ませ方、勝負どころでの集中力の高め方、そしてメンタルの鍛え方、などなど。厳しい勝負の世界に生きる2人が自分の哲学をおもいっきりぶつけ合った対談。久々に読んでいて考えさせられることが多い対談本でした。

いくつかのテーマの中で最も印象に残っているのは、羽生さんのリスクテイクの考え方でした。簡単に言うと、
  • リスクとの上手なつきあい方は勝負にとって非常に大切な要素。だから「いかに適切なリスクを取るか」を考えるようにしている
  • 将棋で少しずつ力が後退していくことがあり、後退要因として最も大きいのが「リスクをとらない」こと。リスクテイクをためらったり怖がると、ちょっとずつだが確実に弱くなっていってしまう
  • 勝つためにリスクを取らず安全地帯にとどまっていると、周囲の変化に取り残される、進歩についていけなくなる。結果、自分の力が弱くなっていく。それを避けるために積極的なリスクテイクが必要。だから必要なリスクは果敢に取りにいくことを心がけている
羽生さんが、「いかに適切なリスクをとるか」「リスクとの上手なつきあい方は勝負にとってきわめて大切なファクター」「リスクテイクを避けると周囲の変化に取り残され自分が弱くなっていく」と言っているはあらためて考えさせられます。得られた示唆は2つだと思っていて、
  • 「リスクとはやみくもに避けるべき対象ではない。正しく付き合うことが大事」という認識に変える
  • いかに「適切なリスク」を取っていくか

この本では、良い対談の特徴である、お互いの発言を受けて会話がどんどん発展・深まっていきます。岡田さんのサッカーの説明を将棋の世界に当てはめる羽生さん、それを受けて話を進化させる岡田さん、といった感じ。

将棋とサッカーの世界は異なりますが、棋士である羽生さんは将棋盤上の駒を、サッカー監督である岡田さんはフィールド上で選手のパフォーマンスを、いかに最大化するかの勝負という共通点もあるので、対談にはちょうど良い2人のバランス感でした。

書評エントリーはこちら:羽生善治の勝負哲学から考える「自分を強くするリスクの取り方」|思考の整理日記




■2100年の科学ライフ

「2100年の科学ライフ」。今のところ自分の中で、2013年ベスト1です。

コンピュータ、人工知能、医療、ナノテクノロジー、エネルギー、宇宙旅行、それぞれについての未来予測。未来という時間軸を、近未来(現在〜2030年)、世紀の半ば(2030年〜2070年)、遠い未来 (2070年〜2100年)の3つ段階に分け、現在からどのように発展し、人々の日常生活をどう変えるのかが描かれています。

2100年の世界では、コンピュータ、人工知能、医療、ナノテクノロジー、エネルギー、宇宙旅行がどのようになっているのか。簡単にご紹介しておくと、
  • コンピュータ:自分の思考だけで物を動かせるようになり、思うだけで直接コンピューターを制御できるようになっている
  • 人工知能:意識や感情までもを持つようになる
  • 医療:臓器や細胞の修復、遺伝子治療により老化を遅らせることで、寿命が延ばせる。若さを保てるようになるだけではなく、老化を逆戻りさせることができるようになる
  • ナノテクノロジー:どんなものでもつくれるレプリケーター(複製装置)ができる。自己を複製し、自らのコピーをつくることができる。究極的にはいらなくなったモノをほしいモノに変えられる
  • エネルギー:電気ではなく磁気の時代になっている(例:リニアモーターカーのような磁気自動車。人間までも磁力で地面から少し浮き移動できるようになる)。エネルギー源で有力なのは宇宙のエネルギーを使うこと(宇宙太陽光発電)
  • 宇宙旅行:宇宙エレベーターが実現する。ナノテクノロジーの進化に伴い、宇宙ステーションや月にはロケットではなく地球から直接つながるエレベーターで行く

未来予測だったりSF系の本は数多くありますが、本書の特徴は予測の裏付け/根拠が科学的である点です。①新発見の最前線にいるトップクラスの科学者300人以上へのインタビューにもとづいている、②科学的発展の内容はどれもこれまで知られている物理法則と矛盾しない、③本書で触れたすべてのテクノロジーのプロトタイプはすでに存在する。

2100年までの予測が単に未来の空想ではなく、根拠があることで「仮説」として考えられているんですよね。読んでいて未来について想像できるだけでなく、現在の科学の最先端のことにも触れられる。このあたりが本書の特徴でもあり、一気に読めました。

書評エントリーはこちら:書評「2100年の科学ライフ」|思考の整理日記




■シニアシフトの衝撃

「シニアシフトの衝撃」。この本がおもしろかったのは、シニアビジネスの現状や今後を紹介するだけではなく、具体的にどういう市場に目を向ければよいかの着眼点と、どんなビジネスモデルに可能性があるかまで、結構踏み込んで書かれている点でした。

本書で印象深かった言葉が「飽和しているのは市場ではなく、私たちの頭の中である」。提供者側に固定観念があって市場が飽和していると決めつけてしまい、新たなニーズに対応できていない状況です。

シニアビジネスの観点で言うと、30・40代から見ると何でもないことも、高齢者にとっては不安・不満・不便を感じているケースがいくつか書かれています。例えば、
  • 老眼の進行:店頭での値札・商品説明・POP等の文字が小さく、老眼になった高齢者には読みづらい
  • 脚力の衰え:年齢とともに筋力が落ちるので、フロアのちょっとした段差に足をつまずきやすい。エスカレーターのスピードが年配者には早すぎる
  • 聴力低下:年齢を重ねると聴力が低下する。売り場での商品説明が聞き取りにくい
  • 頻尿:高齢者には頻尿症状が多い。買いものの途中でトイレに行きたくなっても、近くにない。またはトイレへの案内がわかりにくい
  • 認知機能の低下:年を取ると一般には記憶力や認知力が低下する。商品の説明において色々と効果を羅列すると印象が残らない

日本はすでに少子高齢化が現実となり、総人口が減っていく時代になっています。少子高齢化は今後、世界でも起こっていくことがわかっています。見方を変えれば、日本は今後の世界共通課題にいち早く取り組んでいるという状況です。日本は課題先進国であり、望ましいのは課題を持っているだけではなく、積極的に取り組み解決もしているという課題解決先行国。

シニアビジネスについてよくまとまっている本です。単にシニア向け市場が有望という表面的な話ではなく、シニアシフトの現状がどういう構造になっているか、具体的なシニア層の不(不安・不満・不便)、有望な市場、ビジネスモデルや商品/サービスの事例、今後のシニアビジネスの可能性まで。

書評エントリーはこちら:シニアシフトの衝撃:有望な市場とビジネスモデルを考える着眼点|思考の整理日記




投稿日 2013/07/06

2013年上期に読んでおもしろかった本(前編)

2013年も半分が終わりました(あとまだ半分も残っていると思うようにしています)。今年も本を読めていて、数えてみるとだいたい200冊くらいです。

全部を詳細で読んでいるわけではないのですが、その中からおもしろかった本をピックアップしてご紹介します。今回は前編で4冊です。

■働かないアリに意義がある

1冊目は「働かないアリに意義がある」

そもそも、なぜ働かないアリが存在するのか?「反応閾値」と呼ばれるメカニズムで、行動を起こすのに必要な刺激量の限界値のこと。反応閾値というラインを超えた刺激が与えられると行動に移せるけど、下回れば反応しないという仕組みです。反応閾値が低いとフットワークが軽く、高いと腰が重い、みたいなイメージです。

おもしろいのは、アリごとに反応閾値が異なるので、同じ仕事に対して反応閾値の低いアリAは反応し行動するけど、別のアリBは反応閾値が高いので同じ仕事なのに働かない(反応しない)。つまり、反応閾値の高くて腰が重いアリが「働かないアリ」。

働かないアリの意義は、バッファーです。常に一定の働かないアリという余力を持っておくため。働きアリの中にも反応閾値の違いという個性があり、働かないアリも「余力」として存在意義がある。多様性を持っておくことでアリの社会はうまくまわしているのです。

働かないアリの考え方は個人のあり方にも参考になります。働かないアリの話からの示唆をあらためて整理すると、
  • 働かないという余力/バッファーを持っておく、
  • 個性とか多様性が大事
  • 短期的には非効率でも長期では合理的

この3つを個人レベルに当てはめてみると、

働かないという余力/バッファーを持っておく:常に目いっぱいの状態よりも、ギアを1つ落としておく。余力を持っておくことで急なことにも対応できる。フルスピードにするのは本当に必要な時。仕事でもプライベートでも。見方を変えれば、自分で自分の限界をつくらないこと。いつでも1つ余裕を持っておく意識。

個性とか多様性が大事:自分は人と違っていてよい、という考え方。個性があることで組織全体に多様性ができてメリットになるのだから。

短期的には非効率でも長期では合理的:今やっていることがこの先に何の役に立つのかわからなくても、後からその経験が活かせることってよくあります。つまらない仕事でも、それをやっていたから今があるというか。同じ経験でも活かせるかどうかは、表面的な知識・スキルではなく、仕組みやメカニズムの理解だったりします。本質理解が重要。幹ができているのでいろんな花が咲かすことができる。

書評エントリーはこちら:ちゃんと役に立っている「働かないアリ」が教えてくれた3つのこと|思考の整理日記




■ビッグデータの正体

「ビッグデータの正体 情報の産業革命が世界のすべてを変える」。本書でおもしろかったのは、ビッグデータがもたらす3つのパラダイムシフトでした。

1. 限りなく全てのデータを扱う。n=全数:母集団と標本の話で、ビッグデータの世界では全部のデータが手に入るのだから、標本なんて作らなくてもいいよね、という。さっきの30歳男性の例に当てはめると、1000人からわざわざ全員を推定していたのはビッグデータ時代前の話で、ビッグデータの時代では80万人とかの全員のデータが簡単に手に入るから全員のデータを使うというイメージ。

2. 量さえあれば精度は重要ではない:いかに1000人を偏りなく選ぶための精度云々よりも、どれだけ数多くの人数のデータを集められるか、という話です。とにかく80万人に近いデータを入手できるか。

3. 因果関係ではなく相関関係が重要になる:この論点は本書で最もインパクトがありました。分析において、因果関係を考えるのは基本的なことであり、そのために分析をすると言ってもいいです。ちなみに「相関関係がある」というのは、AとBという2つが同時に起こることで、「因果関係がある」というのは、Aが原因でBが起こることです。

最も大きなパラダイムシフトは3つ目の「因果関係<相関関係」でした。本書で主張されているのは、ビッグデータにおいては因果関係よりも、何と何に相関関係があるかさえわかればよく、その組み合わせを見つけることが重要であるという考え方。これまではAとBというわかりやすい相関しかわからなかったのが、大量のデータをとにかくまわすことで、AとTという一見何の関係もない2つに相関があることを発見できるかどうか。極端に言うと、なぜAとTにどういう因果関係があるかは気にしないというもの。

個人的には、どれだけ示唆に富む相関関係を発見できるかを重視し、因果関係は考えないというのは慣れない話です。因果についてWhyを考え、それを1つ1つ定量的に見ていくのが分析のおもしろさだと思っています。

これがビッグデータというあらゆるものについて大量に、全数でデータが安価/迅速に手に入るようになると、Whyではなく相関というWhatに軸足が移るようになっていくのか。分析という考え方自体も変わっていくのかもしれません。

書評エントリーはこちら:因果関係よりも相関関係:ビッグデータがもたらすパラダイムシフト|思考の整理日記




■大便通

便は自分の健康状態を知らせる体からの「便り」である。そう言うのは「大便通 知っているようで知らない大腸・便・腸内細菌」の著者である辯野善巳氏。

この本を読むとウンチは自分の食べたもの・腸内の通信簿のようなものだと、あらためて考えることができました。

体からの「便り」としてチェックすべきポイントは、色・臭い・量の3つ。
  • 色は、黄色がかった褐色が良い。これは腸内にビフィズス菌が多い証拠。注意が必要なのは黒色の大便
  • オナラや大便が臭いのは腸内環境が悪くなっていることを伝えるサイン。ビフィズス菌を多く含んだ大便は顔をしかめるような悪臭はしなくて、やや酸っぱい感じの発酵臭がする。悪玉菌の多い大便は腐敗臭を発する
  • 大便は毎日300gくらいが理想的。20センチのバナナ状の大便3本分くらいの量
その他の指摘としては、毎日出すこと。食事をして便として出てくるまでの体内滞在時間は12〜48時間で、3日以上出ないと便秘ということ。がんばって息むことなく出せることも良い大便の条件。

良い便を出すために何ができるのか。ポイントは腸内環境を良くすること。そのためには2つで、善玉菌を増やすことと食物繊維です。
  • 色や臭いをよくするには善玉菌を増やすとよい。ヨーグルトは乳酸菌やビフィズス菌をそのまま摂取できるので効率よく腸内環境を改善できる
  • 量を増やすには食物繊維が効果的。食物繊維は人間の消化酵素では消化されないため、摂ることで便の量が増える。量が増えると腸を刺激し、排泄するための腸のぜん動運動が引き起こされる。食物繊維には保水性があり、便の形を整えて柔らかくしてくれる働きもある。また、乳酸菌やビフィズス菌の餌となる
毎日のトイレのためにヨーグルトばかりや食物繊維の多いものをひたすら食べ、その他の食事を軽視するという本末転倒です。自分が食べた物が体内でどう使われるかが大事。その上で排出される物、便がつくられる環境(腸内環境)にも関心を持ってみるといいと思います。

書評エントリーはこちら:ウンチと健康について真面目に書いてみる|思考の整理日記




■究極の身体

「究極の身体」。身体構造や運動のメカニズムについて独自理論が展開され、わかりやすく書かれています。

究極の身体の定義は「人体の中で眠っている四足動物、あるいは魚類の構造までをも見事に利用しきることで生まれる身体」。

背 景にある考え方は、人間の進化は魚類⇒爬虫類⇒哺乳類⇒人間と経てきており、人間の身体には魚類や四足動物(爬虫類・哺乳類)の構造を受け継いでいる。① 魚類運動=脊椎を使った動作、②四足動物の運動=脊椎の体幹主導動作+4本足主導の動作、の両方を使えるのが本来の人間の身体構造で、それを実現できてい るのが究極の身体。

著者・高岡氏の問題意識は、究極の身体を持っているにもかかわらず、現在の人類の多くはその身体資源を使いきれていないこと。究極の身体を実現するためにどうすればよいかの詳細は本書に譲りますが、印象的だったのは、
  • 重心とセンター(軸)。センターとは、身体の重力線とほぼ一致するところを通る身体意識。センター意識が構築されると潜在的に、常時重力線の意識が存在することになる
  • 究極の身体に不可欠なのは重心を意識すること。そのために脱力が必要。脱力を立つという動作例でいうと、立つためのギリギリの筋出力で立つこと
  • 究極の立ち方は吊り人形のように頭部の糸を持って吊り上げ、そこからゆっくり下ろして足を接地させたような立ち方(緩重垂立)。体重を支えるギリギリのところまで力を抜いたプラプラの状態

身体動作とか身体のメカニズム・構造に興味のある方は、おもしろいオススメの本です。

書評エントリーはこちら:書籍「究極の身体」がおもしろい|思考の整理日記




投稿日 2013/06/30

書評「粗食のすすめ」

「粗食のすすめ 新版」が考えさせられる本だったのでご紹介。

本書での主張を簡単に書くと、「FOODは風土から。肉食中心のおかずをたくさんとる欧米型辺中の食生活よりも、日本人の体質に合うのはお米を中心とした食生活である」。

お米を中心にした食事とは、(できれば)玄米や胚芽米などの精製されていないお米とみそ汁を中心に、季節の副菜を1品、あとは漬物です。
投稿日 2013/06/29

奥さんの妊娠と転職の共通点から考える2013年の後半戦




明日で6月が終わるので、2013年もちょうど半分の折り返しです。

今年は自分にとって大きな変化が2つあった年でした。1つは子どもを授かったこと (9月に生まれる予定です)、もう1つは転職です。

10年後に振り返って見ても、2013年は人生の分岐点の1つになった年になるだろうなと思っています。

■ 奥さんの妊娠と転職の共通点

奥さんの妊娠と転職には共通点があります。自分一人ではコントロールできない領域が相対的に大きいということです。

子どもの話では、妊娠しているのは奥さんなので、例えばお腹の赤ちゃんの成長に対して自分ができるのは間接的な貢献になります。性別の役割なのでどうしようもないのですが、妊娠期間中の育児での自分の役割は、あくまで妊婦である奥さんのフォローです。

転職については、新しい環境になり、はじめはわからないことだらけでした。

2ヶ月くらいたった今でもまだまだ見えていないこともあり、自分でコントロールできない領域も前職の時と比べると多いと実感しています。日々試行錯誤で、たくさんのハードルを超え続けている感じです。

制約の中で自分にできることは何か、自分が活かせる場所はどこか (比較優位の視点) 。今まで以上に考えるようになりました。

自分がコントロールできるかどうかで大事なのが、どこまでがコントロールできる or できないかを認識することです。そして、どうすればコントロールできる領域を増やしていけるかです。その一方でできない領域については、できないのを前提に自分ができることに集中することです。

この考え方は、「7つの習慣」にでてくる第1の習慣「主体性を発揮する」です。

生き方として、自分がコントロールできることとできないこととを区別し、自分のコントロールできること (本書では「影響の輪」と表現しています) に集中するという習慣です。主体性を持つとは、人間として自分の人生に対する責任をとること、自分の行動に対する責任です。

「主体性を発揮する」は、7つある習慣の中で一番影響を受けている考え方です。

■ 刺激と反応の間には選択の自由がある

第一の習慣に出てくる話で印象的だったのが、「刺激と反応の間には選択の自由がある」でした。

何かが自分に起こったという刺激に対して、自分の感情反応は1つではない、つまり、刺激 → 選択 → 反応と、刺激と反応の間には「選択の自由」を持っている、という考え方です。

例として、発車間際の電車に乗ろうとして目の前でドアが閉まり乗り損ねたとします。

1つの選択は、「今日はついてないな」とマイナスの反応で考えてしまうことです。乗り遅れた → 運が悪い、という気持ちになるかもしれません。

別の選択は、「次の電車はすぐ来るし、発車間際の電車より空いているかもしれない、待ち時間も有効に使おう、乗り遅れても数分の差で大したことない」と起こったことに前向きに考えてみることです。

電車に乗り遅れたという出来事 (刺激) に対して、自分がどういう気持ちを持つか (反応) には選択肢があるのです。

どうせ選ぶなら意識してポジティブな反応をします。1つ1つは小さなことでも、積み重なると大きいです。自分の身に何が起こるかではなく、それにどう反応するかです。

自分がコントロールできない刺激に対して、自分の反応は選べる (コントロールできる) 、選択の自由があるのです。

■ 人生はスーパーマリオ

今はできないことでも、1つ1つクリアしていく。クリアする度にまた新しいチャレンジが始まる。この話をうまく表現しているのが、ソフトバンク・孫さんの「人生はスーパーマリオ」です。

弟である孫泰蔵氏は、かつて起業したばかりの頃、資金繰りや社内の人間関係に苦しみ人生のどん底にあったと言います。そんな時に兄である孫正義氏から以下の話を聞いたそうです。

泰蔵、辛いやろ。苦しかろう。ばってん、お前は今いい経験をしよるとぞ。その苦労や経験は必ず実となって今後お前の人生に絶対に役に立つ。

人生はスーパーマリオみたいなものだ。

最初に1面を始めたときを考えてみい。ザコキャラのノコノコにすぐやられるし、雲に乗ることもできん。だんだん習熟してくるとボスキャラのクッパにたどり着けるようになる。だけど、本当にクッパを倒せるまでに何度も死ぬことになる。そこで挫折しそうになるのをこらえて挑戦を続けて、やっとクッパをやっつけてピーチ姫を助けることができる。次の2面はまた一段と難しくなっとる。そこで何度も何度も失敗するけど、努力と訓練でスキルを上げてクリアしてゆく。

いまのお前は1面で苦労している段階や。それでいかにも俺に助けてもらいたそうな顔をしているけど、プライドがあって言い出せんのだろう。最初に言っとくけど、俺は助けてやらん。お前の今の困難はおれも経験したし、助けてやるのは簡単やぞ。だけど、ここで助けてたらお前のためにならん。

『そこの土管から3面にワープできるぞ』と教えるのは簡単やけど、いまのお前の実力では3面にいったら瞬殺やぞ。だから、1面、2面で『必ず経験しておくべき失敗をして』、そのうえでクリアしていって、やっと3面のボスキャラに対抗できる実力が身に付く。ここで俺がお前を助けて3面に行かせてやったら、そこで致命的な失敗をする。だから、ここは逃げちゃいかん。お前の勝負どころやぞ。

書籍「僕たちがスタートアップした理由」より引用

自分自身の考え方の1つに、これまでの「今」の積み重ねが今の自分をつくっている、いかに毎日きちんと生活するか、を大切にしたいというものがあります。過去の積み重ねが今で、今を重ねていくことで未来になる、全ての「今」を積み重ねたのが自分の人生であり、常に「今」というこの瞬間をいかに生きるかが大事、という考え方です。

マリオは様々な制約の中で、敵と戦ったり時には逃げながらもピーチ姫救出というゴールに向かっていきます。自分にできることは何か。2013年の後半も、チャレンジし勝負していきたいと思っています。


※ 関連エントリー

リスクテイク→変化→成長という方程式
刺激と反応の間には「選択の自由」がある
人生はスーパーマリオ
インテージを退職しました
転職して1ヶ月を振り返る
父親になるということ


投稿日 2013/06/23

因果関係よりも相関関係:ビッグデータがもたらす3つのパラダイムシフト




ビッグデータの正体 - 情報の産業革命が世界のすべてを変える という本をご紹介します。



ビッグデータがもたらす3つのパラダイムシフト


本書で興味深かったのは、ビッグデータがもたらす3つのパラダイムシフトです。

  • 限りなく全てのデータを扱う。N = 全数
  • 量さえあれば精度は重要ではない
  • 因果関係ではなく相関関係が重要になる
投稿日 2013/06/23

ウンチと健康について真面目に書いてみる

健康のために食べるものに気を使う方は多いと思います。バランスの良い食事を心がけたり、カロリーや栄養素を考慮した食べ方、などなど。

その一方で、食べた物がどう出てくるかにはあまり注意が向けられていません。ウンチってむしろ目を背けたくなる存在ですよね。関心があるのは出てくる頻度が少なくなる便秘くらいかもしれません。

便は自分の健康状態を知らせる体からの「便り」である。

そう言うのは「大便通 知っているようで知らない大腸・便・腸内細菌」の著者である辯野善巳氏。この本を読むとうんちは自分の食べたもの・腸内の「通信簿」のようなものだと、あらためて考えることができました。
投稿日 2013/06/22

書評: 2100年の科学ライフ (ミチオ・カク)




2100年の科学ライフ という本をご紹介します。



エントリーの内容です。

  • 本書の内容と特徴
  • 2100年の未来とは
  • 未来は不確実だからこそおもしろい

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書いている人 (多田 翼)

Aqxis 代表 (会社 HP はこちら) 。Google でシニアマーケティングリサーチマネージャーを経て独立し現職。ベンチャーから一部上場企業の事業戦略やマーケティングのコンサルティングに従事。

ブログ以外にマーケティングレターを毎週1万字で配信しています。音声配信は Podcast, Spotify, Amazon music, stand.fm からどうぞ。

名古屋出身、学生時代は京都。気分転換は朝のランニング。